惚気
興奮した様子で何やら話している桃を見かけたのは、休憩時間もそろそろ終わろうかと言う時のことだった。
立ち位置の関係もあり、話を聞いている乱菊の表情まではわからない。わざわざ何の話をしているのか確かめるつもりは全くないので、冬獅郎は特に気にせず仕事場へ戻る。
この時に余計な気を利かせて確かめに行けばよかったと、後の彼は大きく後悔するのだった。
休憩時間が終わりを告げて少し経った頃、乱菊が仕事場へ戻ってきた。隊長として、部下の勤務態度を注意すべく視線を向ける。しかし彼が口を開く前に、乱菊が先手を打った。
「さっき雛森から聞いたんですけど」
「無駄話は休憩時間内だけでやれ」
「あはは、すみません。でもあまりにも面白い話だったもんですから」
「・・・さっさと仕事を片付けろ」
「色々聞けて楽しかったですよ『シロちゃん』の話」
話ながらも仕事を続けていた冬獅郎の手がぴたりと止まった。幼い頃に桃が彼のことを「シロちゃん」と呼んでいたことを、大抵の者は知っている。
「ちょっと首を傾げて見上げてくる『シロちゃん』が可愛いとか、雛森が離れようとすると必死についてくる『シロちゃん』がすごく可愛いとか、一人で眠れなくて布団に潜り込んでくる『シロちゃん』がとにかく可愛いとか、おいたをした『シロちゃん』を叱ったらものすごく寂しそうな目で」
「うるさい!めちゃくちゃガキの頃の話だろうが!!」
大人の態度で聞き流そうと試みた冬獅郎だったが、あっさり耐えられなくなって激昂した。室内に静寂が訪れたと思った刹那。
「ぶぉほっふ!」
妙齢の女性にはかなり似つかわしくない音を発して、乱菊が身を抱えうずくまる。冬獅郎が声をかける間もなく、今度は大きく身を仰け反らせて笑い出した。笑いを堪え切れずに吹き出した音だったようだ。
「あはっ、はははは!あはははは!!っははは、あはは!!」
「・・・お、おい」
あまりに乱菊が笑い続けているので、このまま窒息するのではないかと心配してしまう冬獅郎。先ほどの怒りも鳴りを潜めている。
暫く狂ったように笑っていた乱菊だったが、息が続かなくなってきたのかやっと途切れ途切れになってきた。肩で大きく息をしている彼女に、冬獅郎がお茶を差し出す。受け取った茶を一気に飲み干した乱菊は、大きく息を吐いてやっと落ち着いた。
「っぐ・・・わ、笑って・・・すみません・・・隊長・・・お茶・・・ありがとう、ございます・・・」
「いや、そこまで笑われるとお前が不憫に見えて怒りも消えた」
「ちょっと、ここまで面白い反応が返ってくるとは思わなくて・・・」
「どういう意味だ」
「仕事が終わったら・・・雛森の部屋に、行く予定なん、です・・・隊長も・・・一緒に行けば、わかります・・・」
再び冬獅郎の眉間に皺が寄る。すっかり憔悴した乱菊は、力なく笑った。この様子では午後の仕事は定時に終わりそうもない。
冬獅郎の見立て通り、笑い疲れた乱菊の仕事は定時までに終わらなかった。自分の分を終わらせてから、二人で作業を分担し、それほど遅くならずに終わらせる。
桃が寝泊まりしている部屋に着くと、彼女は嬉しそうに二人を出迎えた。
「日番谷くんも来てくれたんだね。乱菊さんから聞いたの?」
「・・・・・」
実際は何も詳しい話を聞いていないのだが、あえて黙っていた。一人で納得したらしい桃が、二人を部屋に招き入れる。
「わんっ」
桃へ駆け寄る真っ白な子犬を見て、その子犬をでれでれの笑顔で抱き締める桃を見て、冬獅郎は全てを悟ったのだった。背後には必死に笑いを堪えて変な体勢になっている乱菊がいる。
「えへへ、可愛いでしょ?シロちゃんって言うの。知り合いにね、ちょっとだけ預かってほしいって言われて」
乱菊が昼間話していたのはこの子犬の事で。冬獅郎が「子供の頃の話だ」とその内容を肯定してしまった訳で。晒さなくてもいい恥を、思い切り晒してしまった訳で。
「この子、日番谷くんみたいだよね」
そこへ桃からの一言。乱菊がとうとう吹き出し、冬獅郎のこめかみに青筋が浮かぶ。
「名前も一緒だし、毛が真っ白だし・・・日番谷くん?何でそんなに怖い顔してるの?乱菊さんも何でそんなに笑ってるの?」
理由がわからない桃と子犬は、揃って小首を傾げたのだった。