戸惑
「いこっ、日番谷くん!」
桃が冬獅郎の手を取る。温かいそれに、冬獅郎は目を見開いた。何度も触れられたことはあるはずなのに、彼女に対する嫌悪など欠片もないはずなのに、小さく肩が震える。
同時に昨日、部下に言われた言葉が頭を過った。
隊長は、雛森と付き合う気ないんですか?
「・・・っ?」
桃が目を見開く。何が起きたのか、理解できていないようだった。同じく冬獅郎も何故そんなことをしたのか、理解していなかった。
訳もわからず、ただ羞恥と後悔が胸に溢れる。
「・・・っガキじゃねえんだ。一人で歩ける」
「そ、そっか。そうだね。ごめん・・・」
桃が力なく笑った。冬獅郎が振り払った手を、もう片方の手で包むように握る。痛かったのかもしれない。彼にはあまりにも余裕がなくて、強引に手をほどいてしまったから。
「それじゃ、いこっか」
二人は少し離れたまま、とぼとぼと歩き出した。
それからの桃は、いつもより随分と饒舌だった。
しかし、口にする話題は天気のことや仕事のことなど、当たり障りのないものばかりである。
いつもなら、冬獅郎の相槌を求める様な場面でも、彼女は自分一人で話し続けた。桃に聞かれたらどう答えようか考えていた彼の労力は、全く無駄に終わる。途中からは考えること自体を放棄した。彼女の話を聞きながら、あの時手を振り払ってしまった自分を責め、後悔に沈む。
「えっと・・・今日はもう帰るね」
甘味処を出るなり、桃が言った。
約束していたあんみつを一緒に食べたのだから、目的は達していた。しかし、いつもの彼女ならこれからどうしたいかを彼に聞いてくるはずだった。冬獅郎もそう思っていた。どう答えるかまでは考えていなかったが。
冬獅郎が視線を上げると、うっすら笑う彼女の顔が目に入った。どこか苦しそうな彼女を見ていられず、再び視線を落とす。
彼女に何を言うか、暫し迷う。しかし、今日の桃は冬獅郎が口を開くまで待たない。
「今日はありがとう。さよなら」
弾かれたように、冬獅郎が顔を上げた。桃は既に身を翻していて、その顔は見えない。
駆け出そうとしている彼女の腕に手を伸ばす。
このまま別れることは許容できない。自分の不用意な態度が桃を傷付けたのだ。いつもあれほど守りたいと望んでいたはずなのに。
謝らなくては、と思っていた。沈む気持ちの中で、ずっと考えていた。謝ればすぐに彼女は許してくれるはずだ。それはわかりきっていた。
それでも、謝ることができなかった。
「・・・日番谷くん?」
冬獅郎に腕を掴まれた桃が、振り替えって首を傾げた。
やっとこちらから話す機会を与えられた冬獅郎は、視線を足元に落としたまま口を開く。
「っ・・・またな」
桃がぱちりと目を瞬かせたのを、俯いた冬獅郎は見ることができない。
続いて安堵したようにへらりと微笑んだのも、やはり彼には見ることができなくて。
「うん!また明日ね」
彼女の嬉しそうな声を聞いて、冬獅郎は桃の腕を放した。
手を振った彼女が見えなくなるほど遠くなってから、やっと冬獅郎は顔を上げた。
大きく吐かれた安堵の溜め息を、聞いていた者は誰もいない。