詫贈
冬獅郎はできる限り早く、せめて昼休み中には事を済ませたいと考えていた。だと言うのに、五番隊の執務室に桃の姿はなかった。そのため隊舎の扉を開く時の勢いは、自身の予想をはるかに越えるものとなってしまった。
すぱぁん!と小気味良く響いた物音に、中で昼休憩をしていた隊士たちが驚き視線をこちらへ向ける。声をかける手間は省けたが、気まずい空気を作ってしまったようだ。
「すまん・・・雛森はいないのか?」
部屋の中を見回し、桃の姿がないことを確認してから尋ねる。
「副隊長でしたら、先ほど十一番隊に行くと言って出かけられましたよ」
「そうか」
「副隊長が戻ったら何か伝えますか?」
「いや、何も言わなくていい。邪魔したな」
静かに扉を閉め、小さく息を吐く。
何を気負っているのだ。彼女に渡すものを渡して、すぐに立ち去ればいいだけのこと。
心中で己に言い、十一番隊へ向かって歩き出す。
それほど離れた場所でもないため、十一番隊にはすぐ辿り着いた。先ほど言い聞かせたにも関わらず、まだ彼の気が急いていたせいもあるだろう。
扉の前で一呼吸置き、今度はゆっくりと扉を開いた。
「あ、ひっつーだ!桃ちゃん探しに来たの?」
「っ!?」
声をかける前から十一番隊副隊長のやちるに用件を見抜かれて、冬獅郎は驚愕する。
彼女はいつから相手の心を読めるようになったのだ。それとも彼女の中で、自分はいつでも桃のことを追いかけ回していると言う認識なのだろうか。それならば違うと正してやらねばならない。
「あははは!ひっつー、変な顔!」
やちるに指をさして笑われながらも、冬獅郎は何とか平静を取り戻す。
「人を指さすな・・・どうしてわかった?」
「それはあたしがひっつーの心を読んだからなのだよ!」
胸を反り返らせて言うやちる。しかし冬獅郎は彼女の口調からその内容に疑問を覚える。
「・・・本当か?」
「嘘だよー」
「おい!」
「あはは!本当はさっきまで桃ちゃんが来てたから、何となくそうかなって思っただけ」
「・・・そうか」
「桃ちゃんと会えなくて残念だったね」
「別に・・・」
「わざわざ追いかけて来たのに?」
「・・・五番隊に戻ればいいだけの話だろ」
「それもそっか。ひっつーはいつも桃ちゃんを追いかけ回してるから、それくらいどうってことないよね!」
「それは違う!」
予想とは違ったが、結局やちるの勘違いを正す羽目になった冬獅郎だった。
「日番谷くん?」
少し手間取ってしまったが、あれからすぐに取って返したお陰で、桃が五番隊へ戻る前に見つけることができた。十一番隊へ向かった時に桃と会わなかったので、今度は別の道を選んだことも功を奏した。
思わぬ相手に声をかけられ、驚きの表情を浮かべた桃が振り返る。その顔を直視できずに、冬獅郎は視線を落とした。
彼女に渡すものを渡して、すぐに立ち去ればいいだけのこと。
再度同じことを心中で唱え、桃の傍へ歩み寄る。
彼女が何を思い、どんな顔をしているのかとても気になったが、視線を上げて確かめる勇気はなかった。
「・・・・・やる」
「え?」
呟くように言い、袖の中に隠すように持っていた袋を桃の前に突き出す。
戸惑う桃の声。暫くして袋の重みがなくなったことを感じ取り、冬獅郎は手を離した。
がさがさと袋を開ける音を、冬獅郎は俯いたまま聞いた。もう立ち去ろうかとも思ったが、何故か足は動かない。
名残惜しいのだろうか。
「わぁっ・・・!」
桃の嬉しそうな声を聞かずにこの場を去ることが。
「カステラだ!」
それは桃が以前食べてみたいと言っていた店のカステラだった。これを手に入れるために、彼は普段の倍以上の速度で仕事をこなした。事情を知らない乱菊はさぞかし不思議に思ったことだろう。
「ありがとう!日番谷くん!」
「おう」
いまだに下を向いたまま、冬獅郎は小さく返事をする。他の相手ならば少なからずその態度に気分を害していたであろう。だが桃の声は喜びに溢れている。
「とっても嬉しい!カステラをくれたことも嬉しいし、そうしようって思ってくれた日番谷くんの気持ちも嬉しいよ」
「っ・・・」
顔を上げていなくてよかったと冬獅郎は思った。赤く染まった顔を、彼女に見られたらそれこそ今すぐ立ち去るしかない。
「これ買うの大変だったでしょう?」
「別に」
「だって、すごく並ばないと買えないって聞いたよ。本当にありがとう」
「・・・ああ」
「はいっ」
桃の弾む声と共に、彼の鼻先に触れかけたのは、差し出されたカステラ。
「一緒に食べよう」
「・・・甘いんだろ、それ」
「うん。でも、食べてみたら気に入るかもしれないよ」
「ここで立ち食いするのか?」
「だって急がないと昼休みが終わっちゃう・・・あ!じゃあ、お仕事が終わったら一緒に食べようよ」
すぐに立ち去らなくてよかったと、冬獅郎は思った。
何故こんな差し入れをしたのか、彼女はその理由を察したのだろうか。気にならないでもなかったが、あえて聞く必要も感じない。
「お仕事終わったらそっちに行くね!それじゃあ!」
冬獅郎の返事も待たずに手を振り駆け出す桃。その後ろ姿は見るからに嬉しそうだ。
先日、彼女に謝ることができなかった自分を、少しだけ許せる気がした。