謎問
突然やちるが頭上から降ってくると言う状況は、冬獅郎にとってそれほど驚くことではない。姿が見える前から気配に気付いているし、彼女から奇妙なあだ名で呼びかけられてもいるので尚更だ。
今回は何をさせられるのだろうか。彼女が用件を口にする前から、冬獅郎はうんざりした表情を浮かべていた。
「あのね、ひっつーに聞きたいことがあるんだけど」
「忙しいから手短にな」
これから仕事の打ち合わせがあるので、嘘ではない。この迷惑そうな顔では、厄介払いの言い訳だと思われても仕方ないが、やちるはその言葉を信じたようだ。
「うん。じゃあ、手短に聞く方法を考えるから、ちょっと待ってね」
笑顔で言うと、眉間に人差し指を添えてむむむと唸り出す。台詞選びに失敗したと冬獅郎は思った。唸りたいのはこちらの方だ。
言われた通りに暫く待ち、耐えきれなくなった冬獅郎が口を開きかけたところでやちるが動いた。
「どの指がいい?」
「は・・・?」
眼前に突き出された小さな手のひらに、冬獅郎は見開いた目を一度瞬かせる。
「手短でしょ?早く早く」
そう言われては今更理由を説明しろとも言い辛い。そして何を聞いたところで、後の苦労は変わらないのだろう。
冬獅郎は大きく溜め息を吐くと、伸ばされた五本の指から一つを選んだ。
やちるから召集連絡があったのは、意味不明な問いかけをされてから十日後のことだった。始めの内はそれなりに気にもしていたが、三日も経つと仕事に追われ忘れていた。気が緩んだところへの連絡だったため、先日のやり取りを思い出すのに少し時間がかかった。
指示された場所へ着くと、見知った顔がちらほら見える。
彼から一番近いところには、やちると七緒が書物を間に額を付き合わせて何やら話していた。その奥には楽しそうに談笑するイヅルと恋次と桃。同期で集まると会話も弾むようだ。
「・・・っ!!」
冬獅郎の視線に気付いたイヅルが肩を大きく震わせる。続いて恋次も表情を強張らせて後ずさった。冬獅郎はただ見ているだけのつもりだったのだが、彼らには他にも感じ取るものがあるようだ。
桃は態度が一変した二人の様子に首を傾げてから、くるりとこちらへ振り返る。
「日番谷くん」
ぱ、と喜色を浮かべて桃がこちらへ駆けてきた。彼女が目の前に来ると同時に冬獅郎の鋭い気配が収まるのを感じ、イヅルたちはこっそりと胸を撫で下ろす。
「日番谷くんも参加するんだね」
「・・・お前、これが何の集まりか知ってんのか?」
「うん、やちるちゃんから聞いてるよ。日番谷くんは知らないの?」
「教えろ」
「新年会の余興で劇をやるんだって」
聞くなり冬獅郎はくるりと身を翻した。今すぐここから立ち去ろうとしたところで、やちると七緒が前を塞ぐ。
「逃げようとしても無駄だよー」
「こんな遊びに付き合ってる暇はねえ」
「遊びじゃありません。これも仕事です」
「隊長にやらせる仕事じゃねえだろ」
「ひっつーは嫌だって言わなかったじゃない」
「今、盛大に嫌だと言ってるだろうが」
「もう脚本はできあがってしまいました。出演者の変更は不可能です」
「芝居なら人が変わっても問題ないだろ」
「脚本は出演者に合わせて書かれたそうなので、問題大有りです」
「・・・似たような背格好のやつにやらせればいいだろ。草鹿とか」
「あたしは他の役をやるから無理ー」
「日番谷隊長は一度引き受けた仕事を放り出すおつもりですか。それでも隊長ですか」
女性二人に詰め寄られる冬獅郎を、生暖かく見守る同期三人組。文句を言いつつも、結局は参加するのだろうと思う桃たちだった。
やちるが脚本を配る間に、七緒が事務的口調で場を進行する。
「ではまず、新年会の余興で行う演劇の配役を発表します」
渡された脚本の表紙に「家族の絆」と書かれているのを見て、冬獅郎はますます逃げ出したくなった。他の面子も困ったような顔をしていたり、うんざりしていたり、青ざめていたりする。
「日番谷隊長は息子役です」
「ひっつーは中指選んだからね!」
あの時の問いは役決めだったのか。桃たちがやちるの言葉に揃って肩を震わせる。彼らも冬獅郎と同じ問いをされたようだ。
「えっと、じゃあ人差し指は・・・」
恐る恐る尋ねる桃に、もちろん母親役だとやちるが返す。何を恐れているのか、恋次の額に脂汗が浮いてきた。イヅルは少しほっとしたような、残念なような複雑な表情をしている。
「びゃっくんは親指選んだからお父さんだよー」
「あ、あんまり俺、父親って感じじゃ・・・」
「え、そんなことないよ。阿散井くんはきっといいお父さんになるよ」
一部から発せられる冷たい殺気に慌てる恋次。何とかこの恐怖から逃れる術を探すが、隣の桃から退路を塞がれる。
「劇、頑張ろうね。お父さん」
「おう・・・」
脂汗を更に増やしながら、小さく頷く恋次だった。息子の反抗期に自分は生き残れるのだろうか。
「小指のイズルンは犬役ね!」
「ええっ!?赤子じゃないんですか!?どっちもろくな台詞なさそうですけど!」
「あたしは薬指のお姉さん役ー」
「発表が終わりましたので、脚本の読み合わせを始めましょう」
「僕、いりませんよね!?いる必要ないですよね!?」
イヅルの叫びは残念ながら聞き届けられることはなかった。
「こらっ、冬獅郎。また甘い物ばかり残して」
「・・・・・俺は甘い物は嫌いなんだよ」
「と、冬獅郎、好き嫌い言わずに食べなさい。っとと、父さんのように、お、大きくなれないぞ・・・」
冬獅郎に睨まれて、恋次の声が震える。脚本に書いてあるだけなのだと、自分はそんなこと全く思っていないのだと激しく主張したかった。
「お汁粉美味しいのにー。ポチもお汁粉好きだよね?」
「わんわん・・・」
涙目のイヅルが台詞を読み終えたところで、七緒が手を叩いて中断する。
「皆さん感情が籠っていませんよ」
「籠る訳ねえだろ!何だこの話は!?」
「皆さんの特徴を活かしつつ、現代家族のすれ違いと隠された愛情を表現したと京楽隊長から伺っています」
「あんなのに脚本を任せるな!!」
この演劇は絶対に中止させると心に誓った冬獅郎だった。