機嫌
背後に桃が来ていることはわかっていた。だが、振り向こうと言う気は欠片もなかった。
自分に用事があるとは限らない。たまたま通りかかっただけかもしれない。
だが、彼女の気配はどんどん近付いてくる。何故か少し苦しくなった。背中がほんのり熱くなったような気もする。
「日番谷くん?」
声をかけられて、胸はますます締め付けられた。理由はわからない。わからないなりに考える。人恋しいのか?そんなの自分の柄ではない。
それとも、桃だから?
「・・・何だよ」
そんな理由を思い付いた自分に苛々した。振り返らずにぼそりと呟く。聞き取れないのではと思ったが、桃の耳には届いたようだ。
「怒ってるの?」
「・・・・・怒ってねえよ」
「不機嫌そうだよ」
「気のせいだ」
ぼそぼそとした物言い、背を向けたままの態度で何を言うのか。自分で自分に呆れる。
桃も呆れているだろうか。もしくは自分に嫌気が差しただろうか。付き合いの長い彼女が、そう簡単に自分を見限るとは思わない。だが、これからもずっとこの関係が続くとも限らない。
「怒ってないんだ、ふむふむ」
顎に手を当てながら、桃が冬獅郎の前にやってきた。しげしげとこちらを見やってくる。探偵気取りか。
睨みつけてやろうかと思ったが、瞼が重いのでやめた。昨日の夜更しが響いたのかもしれない。
「・・・ふむ?」
桃が探偵の仕草を真似たまま、ぐいと顔を寄せてきた。目を覗き込まれて、僅かに息が詰まる。
この、息苦しさは何だ?
桃が傍にいるから?
「わかった!」
桃が両手をぽんと叩いて叫ぶ。その声に、それまで冬獅郎の中で渦巻いていた思考が霧散した。
彼が何かを言う前に、桃の手が伸ばされる。その手のひらが、額に遠慮なく押し付けられた。彼女の手はひんやりとしていてとても気持ちいい。
「ほら、やっぱり熱がある」
「・・・・・熱?」
「顔もちょっと赤いし、目も腫れぼったいし、風邪ひいたでしょ」
「・・・・・風邪?」
思考が上手く回らない。届いた言葉を繰り返すだけだなんて、子供より頭が悪い。
そう思いつつも、冬獅郎はそれ以上のことが言えなかった。とにかく額に触れた桃の手が心地よくて、このまま寝てしまいたいくらいだ。
「早く帰って寝た方が・・・って、日番谷くん?大丈夫?」
桃の声が、手が、どんどん彼の意識を深いところへ引きずり落としていく。立っていられなくなった冬獅郎を、桃は抱き締めるように支えた。もう何も考えられない。桃の声もその手の感触も遠くなっていき、冬獅郎はとうとう意識を手放したのだった。