淀気

冬獅郎が不機嫌そうな面持ちで立っていると、大抵の者は慌てて会釈をし足早に立ち去っていく。たまにからかうような物言いでちょっかいをかけてくる輩もいるが、重い声音と端的な言葉で少し対応すれば、その者たちもあまり深くは追及せずにその場を離れていくのだった。

だが何事にも、例外はある。

「あ、見つけた!日番谷くん!」
彼の発する重苦しい雰囲気とは対照的な、明るい声が背後からかけられた。するとますます彼の機嫌は悪くなっていく。今は彼女の声を聞きたくないと思ってあの場から離れたのに、何故追いかけてきたのか。苛々すると同時に、何故かくすぐったいような感覚が身体を掠めていった。

「いきなり走っていっちゃって、どうしたの?」

胸の奥からじわりと滲み出す苦しさは、何の感情だろうか。先ほど見せつけられた光景が脳裏をよぎる。あの程度で気持ちを揺さぶられていたら、この先どれだけ逃げ続けなくてはいけないのか。何でもないと、思えるようにならなくては。一刻も早く。
「別に、何でもねえよ」
「何でもないのに逃げたの?」
「逃げてねえ」
「じゃあどうしてあんなに悲しそうな顔したの?」
今まで声をかけてきた者たちと違って、桃は容赦なく問いを重ねる。聞かれたくないことだと、わかっていて聞いているのだろうか。身内だから聞いてもいいと思っているのか。自分がどれだけ傷つこうと構わないと言うことか。

そんなの、他人より酷い対応だ。

「・・・・・」
「言いたくないの?」
殻に閉じこもろうとする冬獅郎に、なおも問いかけ、桃はその腕をつかんだ。今度は逃がさないとでも言わんばかりに。
冬獅郎は言葉を発する代わりに、桃をにらみつける。

お前こそ何なんだ。あんなことをしておいて、俺を責める権利なんてない。俺を傷つけておいて、なおもその傷をえぐりにくるような奴に、言うことなんかない。

「シロちゃん・・・」
桃が眉根を寄せて、辛そうな表情を浮かべる。先ほどの視線だけで、こちらの思ったことがわかったのだろうか。苛立っていても、彼女を傷つけたくなくて口を噤んだのに、これでは意味がない。
「ごめんね、シロちゃん」
「・・・・・」
「私、シロちゃんを悲しませたんだよね?だからさっきいなくなったんでしょ?どうして悲しかったのか教えて。じゃないと私、またシロちゃんを悲しませちゃう。そんなの嫌だよ」
冬獅郎の腕をつかむ桃の手に力が入る。それは彼女の強い決意の表れか。自分をこれ以上悲しませたくない、と言ってくれた。それだけで先ほどまでの淀んだ気持ちが、随分と軽くなる。だが桃の希望に応えるためには、もう一度傷つきながら自分の思いを吐露しなくてはならない。

「シロちゃん・・・自分で気付けなくて、ごめんね」
とても悔しそうに、そして申し訳なさそうに言われては、こちらも言わないわけにはいかない。プライドの高い彼にとって、それはとても苦しいことだったが。

「っ・・・お・・・俺が大事にとっておいた甘納豆、お前が勝手に食ったからだ・・・!!」

「ええ!?あの甘納豆、食べ残しじゃなかったの!?」
「ちげえよ!仕事が終わってから食べようと思ってとっといたんだよ!」
「わわ!ごめんねシロちゃん!てっきりいらないんだと思って」
「俺が甘納豆残すわけねえだろうが!お前ならそんくらいわかれ!」
「ごめんなさいー!」
大声で叫びあう二人を、周囲の者たちは生暖かい目で見守るのだった。