辛酸

「日番谷くん、ちょっといい?」
そう声をかけてくる桃は、どことなく落ち着かないように見えた。焦っているのとは違う、何かもどかしそうな、少し苦しそうな表情。
「なんだ。久しぶりに寝ションベンしたのか?」
「違うよ!!」
勢いよく言い返してくる威勢はあることにホッとする。何かあったようだが、そこまで悲観的なものではないらしい。
「って言うか、もしそんなことしてもわざわざ言いにこないでしょ!」
「後始末を手伝って欲しいんだろ?」
「一人でやれるよ!」
「無理するな。濡れた布団は重いぞ」
「そ、それくらい一人で持てるよ!」
「後で泣いても知らないからな」
「な、泣かないもん!シロちゃんの意地悪!」
すでにちょっと涙目で桃が言う。からかいすぎたかと思いつつも、こうして気兼ねなく話ができるのは心地よかった。あいにく桃は同意してくれなさそうだが。
このまま二人で馬鹿話だけして過ごせればいいのに、と冬獅郎は思う。桃の辛そうな顔は見たくない。ついさっき半べそをかかせた自分が言えることではないが。
つまり自分が桃に辛い思いをさせるのは構わないが、どこの誰だかわからない輩にそれをされるのは嫌だと言うことか。随分横柄な考えだが、他の奴らに桃を苦しめられるくらいなら、いっそ自分が苦しめて、桃の意識を全て己に向けたいのだ。何という傲慢さ。

「シロちゃ・・・日番谷くん?」

急に黙り込んでしまった冬獅郎を、桃がのぞき込む。その瞳に先ほどここへきたばかりの時の辛そうな気配はなく、ただ自分を心配しているようだった。そのことに少し安堵する。一時だけかもしれないが、辛さを忘れられるならその方がいい。
「どうした?」
「どうしたって、日番谷くんがどうしたの?疲れてる?」
そう言って額に手を当てられた。風邪を疑われているらしい。自分の非道さに絶句しただけとはもちろん言えなかった。
「別に・・・お前は平気なのか?」
そう聞いていいのか少し迷った。せっかく忘れられた苦しみを、また思い出させてしまうかもしれないから。だが、自分が手を差し伸べることで、解決できることなのかは確認しておきたい。問題自体を消し去ることができれば、それが一番いいことだ。
「あ・・・私は大丈夫」
そう言って力なく笑う桃。あまり大丈夫じゃないようだ。また寝ションベンネタでからかいたくなるが、それでは彼女が何に悩んでいるのかわからない。
「そうか・・・それで、何か用があるんだろ。どうした」
桃の肩が小さく震えた。彼女の悩みと、彼女が持ってきた用事は繋がっているのかもしれない。
「あ、えーと・・・これ・・・」
袖から取り出されたのは、小さな箱だった。端がカールした青と白のリボンが何本も巻かれ、小柄な割に豪華である。明らかにチョコやクッキーと言った洋菓子が入っていそうだ。
「・・・・・これは?」
一応、彼女を傷つけないよう配慮したつもりだったが、桃は先ほど見せたよりもさらに辛そうな顔をしていた。本当はやりたくないことを、嫌々やらされているようにも見える。
「・・・・・その、渡してほしいって、頼まれたの・・・」
「・・・・・お前の菓子じゃないのか」
念のため確認すると、桃は小さくうなづいた。これを渡したのが誰か聞きだして、制裁を加えようと言う考えが頭をよぎる。桃に余計な気苦労を与えた罪は重い。しかし、それを聞き出すのはさらに辛い思いをさせるのではないかと言う気もした。しかし、こちらが尋ねる前に桃が口を開く。
「・・・その・・・誰からかわからなくてごめんね。知らない子で、日番谷くんに渡してって言われて・・・名前聞く前にいなくなっちゃって」
彼女の足なら、その誰かを捕まえることは造作もないと思うが、それをしたくなかったのだろうか。誰かの好意を、自分に伝えるのが嫌だったのか。それとも足が動かないくらいショックだったのか。そんな都合のいい考えが次々と浮かんできて、また思考が止まりそうになった。今はそんなことで固まっている場合じゃない。どう言えばいい?どう言えば彼女を傷つけずに済む?
「・・・・・それは、受け取った方がいいのか?」
「えっ・・・?」
「俺はいらないんだが、受け取らないとお前が困るなら受け取る」
「っ・・・」
桃が息をのんだ。この言葉も困らせてしまったようだ。だが、他に思いつかなかった。彼女の言葉を待つこの時間が、やけに長く感じる。
「・・・・・う、うん。受け取ってもらった方がいいかな。きっとその子が喜ぶから・・・」
桃はまた少し辛そうな顔でそう言ったが、先ほどよりは声に力が戻ってきていた。
「ありがとう、日番谷くん。私のこと心配してくれて」
「・・・まあ、お前のことはいつも気にかけてるからな」
そう言うと、桃が目を見開く。そんなに意外だったのか。
「今日は寝ションベンしたかな、とか、よく考えてる」
「それは考えなくていいよ!」
顔を真っ赤にして叫ぶ桃に、思わず吹き出す冬獅郎だった。