逃隠
相手は気配を隠しているつもりなのだろう。しかし、エフラムには彼女の緊迫した雰囲気を感じ取っていた。
エイリークの隠れ方が下手だと言うわけではない。それは恐らく、血を分けた双子の彼だからわかるものだったのだろう。
彼女は通路に置かれた大きな彫像に身を隠し、エフラムが通り過ぎるのを待っているようだ。彼女の気持ちを汲んでやるなら、このまま気付かぬ振りをして歩き去るのがいいのだろう。
だが、彼は彫像の前で足を止めた。
「エイリーク、どうし・・・た?」
エイリークの姿を覗き見て、エフラムは途中で声を詰まらせる。
呼ばれた彼女は驚いた後、しまったと言う表情を浮かべた。そして顔を隠すように俯く。
垂れ下がったエイリークの前髪から、ぽたりと滴が落ちた。
「っな、何でもありません」
頭から水を被ったような姿をしたエイリークが言う。もちろん素直に信じられるはずもない。
「行くぞ」
「あ、兄上?」
事情を聞く前に、エフラムは妹の腕を掴み物陰から引っ張り出す。エイリークは小さく声を上げて抵抗の意を示したが、聞き入れられることはない。
エフラムがエイリークを連れて入ったのは、近くの客室だった。今は使っていないが、いつ客人が来てもいいようにしてある。
エフラムは手近なところにある布を手に取ると、エイリークに頭から被せた。そのままわしゃわしゃと拭いてやる。
「こんなに濡れて、風邪をひくぞ」
「す、すみません」
エフラムに拭かれるがままのエイリークは、素直に謝った。
彼女の髪を拭きながら、エフラムは本題に入る。
「それで、何があった?」
「な、何もありません」
「誰かに虐められたのか?」
「違いますっ」
「では派手に喧嘩したのか?」
「してません」
「冬だと言うのにあまりにも暑くて水を被りたくなったのか?」
「いえ、そんなことは・・・」
「では何だ?」
エフラムの問いに口籠るエイリーク。彼女がここまで頑なな態度を取るのも珍しい。
「隠そうとしても無駄だ。どんな手を使っても聞き出すからな」
「っ・・・!」
エイリークが大きく身を震わせる。彼女は昔から兄に隠し事ができなかった。どう頑張っても最終的にはバレてしまうのだ。
「さあ、今のうちに話した方がいいぞ」
「・・・あ、あの、足を滑らせて池に」
「嘘だな」
「・・・落ちそうになったところを何とか堪えたのですが、地面に置いてあった水瓶に」
「それも嘘だ」
「・・・足を取られそうになったところを何とか避けたのですが、何故か突然局地的な豪雨が」
「だいぶ強引な内容になってきたぞ」
エイリークの顔を丁寧に拭き、淡々と指摘するエフラム。
「だ、だから何でもないと言ってるじゃないですか」
ネタの尽きたエイリークが、眉根を寄せて言う。
「あくまでも隠すつもりか」
「か、隠してません」
「わかった。お前がそこまで言いたくないなら仕方ない」
エフラムの言葉に、エイリークは目を見開く。初めて兄に隠し事ができたと言うのか。
しかし、エフラムはそこまで甘くなかった。
突如エイリークの濡れた身体を抱き上げ、ベッドの上に放り投げる。
続いて自身もベッドに上ると、目を白黒させているエイリークの手首を押さえ付けた。
「これからお前の身体を隅々まで拭いてやる」
「・・・はい?」
「お前が事情を話さないなら、もうそれくらいしかすることがなくなった」
「い、いえ、それくらいのことは自分でやりますから」
「お前が何も話さないと言うから、仕方なくやるんだぞ」
何故か兄の目が爛々と輝いているように見えるのは、エイリークの気のせいだろうか。
「あ、あの、兄上」
「お前に風邪をひかせるわけにはいかないからな。まずは濡れた服を脱がせるか。お前が何も話さないのだから仕方ない」
「すみません!話します!」
「うん?話す気になったのか」
笑顔で言い、彼女の服にかけていた手を離すエフラム。結局今回もエイリークは隠しきれなかったのだった。
「話します・・・けど、この事は内緒にしておいて下さい」
「まずは話を聞いてからだ」
「・・・大きな花瓶を運んでいた娘とぶつかってしまいました」
「怪我はないのか?」
「はい、二人とも大丈夫です。でも、私が他の者に見つかるとその娘が怒られてしまうので、誰にも見られないように部屋へ戻ろうと・・・」
「それであんなところに隠れていたのか」
「はい・・・あの、内緒にしておいて下さいね?」
「二人とも次から気を付けるなら、俺から言うことは何もない」
「はいっ、気を付けます!彼女にも言っておきます」
「見えない場所の気配に気付けるよう、普段から意識した方がいい」
「はい。兄上を見習います」
先ほど、エフラムが簡単にエイリークを見つけたことを言っているのだろう。エフラムは小さく笑って妹の頭を撫でる。まだ湿った髪の毛が、柔らかくて心地好い。
「あれはお前だから気付いただけだ」
「?」
「風邪をひく前に着替えてこい。それとも本当にここで身体も拭いてやろうか?」
「自分でやりますから大丈夫です!」
飛び跳ねるようにして、エイリークが部屋から出ていく。
それを見送ったエフラムは、彼女を拭くのに使った布をどうするか暫しベッドの上で悩むのだった。