絵描
城の片隅にある小さな庭で、フォルデは絵を描いていた。今は休憩時間で緊急の命令もないため、誰からも文句を言われることはない。
趣味の時間に没頭していたためか、彼が背後の気配に気付いたのは相手に近付かれてから暫く後のことだった。これがもし戦争中で相手が敵だったら、フォルデは手痛い傷を負わされていたことだろう。ここまで殺気が全くない敵はまずいないはずだが。
「エイリーク様?」
振り返り、意外な相手の名を呼ぶ。エイリークはしまったと言う顔をしてから、申し訳なさそうな顔で頭を下げた。
「すみません、邪魔をしてしまって」
「いえいえ、そんなことないんで気にしないで下さい。何か用事ですか?」
「いえ、特に用事はないです。通りかかったらフォルデが楽しそうに絵を描いていたので、つい見入ってしまいました」
「そんなに楽しそうでした?」
自分が絵を描いている時の様子など気にしたことがない。へらへらとしていたのか、にやにやとしていたのか、あまりおかしな状態ではないとよいのだが。少なくともエイリークの興味を惹くような姿ではあったらしい。
「はい。とても楽しそうで、穏やかな表情でした」
「そうですか。あ、この話カイルには内緒にしといて下さい。気が緩んでるって怒られるんで」
「どんな時でも、気持ちを落ち着けられることが大切だと教わりました。むしろ褒められることだと思います」
「はは、ありがとうございます」
褒められることはあまり慣れていないので、どう反応すればいいか少し困る。
「話し込んでしまってすみませんでした」
再び頭を下げるエイリークに、名残惜しそうな雰囲気が浮かぶ。謝らなくていいと言おうとしたフォルデは、言葉の代わりに持っていた木炭を差し出した。
「よかったら、エイリーク様も一緒にどうですか?」
彼女の顔に驚きと喜びの表情が浮かぶ。しかしそれはすぐに曇った。
「い、いいのですか?邪魔になるのでは」
「そんなことないに決まってるじゃないですか。エイリーク様が嫌なら無理にとは言いませんけど」
「か、描いてみたいです!」
彼女から本音を引き出せたことに満足して、フォルデはにっこりと笑った。
「じゃあこの紙に・・・」
紙を差し出すフォルデの台詞が途切れる。
彼の視線の先では、何故かエイリークが表情を強張らせていた。その顔からは血の気が引き、びっしりと冷や汗が浮いている。
「え、エイリーク様?どうしました?」
「・・・い、いえ、大丈夫です・・・話を、続けて下さい・・・」
「どう見ても大丈夫じゃ・・・」
再び言葉を失うフォルデ。ふとエイリークの背後を視界に入れた彼は気付いてしまった。
自分たちから少し離れた木の陰に左半身を隠し、虚ろな瞳で親指の爪をかじりながらこちらを見ているエフラムの姿に。
エイリークは振り返らずとも、兄の不穏な気配を感じ取ったのだろう。怯えた表情を浮かべながらも、必死に気付かない振りをしている。フォルデは彼女に協力してこのまま見なかったことにすべきか迷ったが、自分たちの精神衛生上とてもよくないと判断し考えを改める。
「エイリーク様、あそこでおかしな挙動をしているエフラム様も誘いましょう」
「・・・い、いいのでしょうか。兄上がおかし、な、何も言ってこないのは、何か理由があるのでは・・・」
「その理由も聞きましょう。このまま放置するとエフラム様が妖怪にクラスチェンジしそうです」
「よ、妖怪は困ります・・・!!」
一国の王子が、血のつながった兄が、妖怪になるのを食い止めるべくエイリークは振り返る。淀んだ空気を放っていたエフラムは、エイリークと視線が合った途端に表情を明るくした。
「あ、兄上、どうかされましたか・・・?」
彼女が声をかけると、エフラムは足早にこちらへやってくる。尻尾があれば千切れんばかりに振っていそうな喜びようだ。
「どうかされたぞ!お前たちが楽しそうに話しているから俺も仲間に入ろうとしたんだ。そうしたら絵を描く話をしてるじゃないか」
「何で絵を描く話だとエフラム様が妖怪化するんですか?」
「妖怪がどうした?俺は絵を見ることはともかく、描くことは興味がないからな。仲間に入っても話すことがない」
「ああ、それでどうしたらいいか困ってたんですか」
「ものすごく困ったぞ!」
「兄上は私たちに気を使ってくれていたのですね。それなのに私は・・・すみません・・・」
「どうしてエイリークが謝るんだ?」
「俺もエフラム様が嫉妬に狂っておかしくなったんだと思ってすみません」
「フォルデ・・・まあいい。こうして一緒に話せたからな。目的は達成した」
家臣のだいぶ不躾な台詞に、寛大な対応をするエフラム。
そのまま暫く三人で話していたところ、休憩時間が終わっても戻らないフォルデをカイルが探しにやってきた。
今日もルネスは平和だった。