夜歩
静かな夜だった。夕暮れまで激しい戦闘があったとは思えないほど、そこは静寂に満ちていた。
戦いの後、ここで野営をすると決めたのはエフラムである。新たな敵が来るとも限らなかったが、エイリークは負傷者の手当てと死者を葬る時間が取れたことに安堵した。疲れている者たちも移動せずに休めるのはありがたいはずだ。ゼトが担当を割り振り、各自がその作業に没頭する中、慌ただしく時間は過ぎていった。
そして皆が寝静まった頃、エイリークはテントの寝床で幾度目かの寝返りを打った。休まなければと思うほど別の考え事が頭を占め、目が冴えてしまう。
今回もまた、敵とは言え人を殺めてしまった。遺体を手厚く葬り、冥福を祈っても罪の意識は消えない。相手がこれから得られたであろう幸せを自分が奪ったのだから。
こんなにも罪深い自分は、生きていていいのだろうか。
何度考えてもその答えは出ない。ルネスの復興のため、民が安心して暮らせる国を取り戻すため、やらなければならないのだと自分に言い聞かせてきた。しかしだからと言って別の命を奪うことは許されるのだろうか。戦いを繰り返す度に、その迷いは強くなる。
頭を冷やそうと、エイリークはテントの外へ出た。夜の空気はひんやりとしていて、少しだけ気分がすっきりする。見張りの目が届かないところを探して、暫く歩いた。ますます目が覚めてしまったが、あのままじっと考え込んでいるよりはいい。
いつテントに戻るか迷っているうちに、野営地からだいぶ離れたところへ来てしまったことに気付く。そしてそこには、思わぬ先客がいた。
「っ・・・」
声をあげそうになるのを何とか堪え、息を潜める。足音を立てぬよう細心の注意を払いながら、エイリークはそろそろと一歩後退した。
「どうして来ないんだ?」
声をかけられ、エイリークは大きく肩を震わせる。相手は背を向けているため表情は見えないが、声は少し不機嫌なようだ。
「俺の傍に来るのは嫌か」
「違います!」
強く否定すると、エフラムは座ったままこちらへと振り返った。星空に照らされた顔は、いつもより固い。
「ならどうして逃げようとした」
「そ、それは・・・」
エイリークは兄にこの悩みを知られたくなかった。自分が戦いのことで悩んでいると知ったら、エフラムは彼女を戦いから遠ざけようとするだろう。そうしたら、自分はエフラムを助けることができなくなる。ルネスの未来を、兄一人の背に負わせることになるのだ。そんなことはさせたくなかった。
兄と話せば、自分が何かに悩んでいて寝付けないことなどすぐに見抜かれてしまうはずだ。だから何も言わずに立ち去ろうとしたのだが、その目論見はあっさりと打ち砕かれた。
「俺に隠し事はするだけ無駄だとわかっているだろう」
答えを渋るエイリークに、エフラムが歩み寄る。
「・・・それでも、すぐに諦めたくはありません」
「いい覚悟だ」
エフラムが不敵な笑みを浮かべた。いつも通り、最終的には本音を聞き出せると確信しているのだろう。それでもエイリークは力の限り抵抗すると決めた。何をされても、この思いは知られる訳にいかない。
「っ・・・!?」
身構えていたエイリークを、エフラムが抱き締める。目を見開く彼女の頭をぽんぽんと撫で、耳元に顔を寄せた。
「迷惑だなんて思わないから、気が向いたら話せ」
優しく言われ、エイリークは更に驚きの表情を浮かべる。自分がためらう理由を見透かされていた。きっと兄は、一人で戦うことになっても彼女を責めることはないだろう。だが、それでも自分は兄に全てを押し付けることなどしたくなかった。
「・・・私は、これ以上兄上に迷惑をかけたくありません」
「お前からの迷惑なら、喜んでかけられてやる」
「兄上は私を甘やかし過ぎです」
「お前が甘やかされなさ過ぎなんだ」
不満そうに言われ、エイリークは困った顔で小さく笑う。するとエフラムも表情を明るくした。
「やっと笑ったな」
「・・・ありがとうございます。兄上のお陰で、気分が軽くなりました」
「そうか。よかった」
「では私は先に戻ります。兄上もゆっくり休んで下さい」
しかし、エイリークがその身を翻すことはできなかった。しっかりとエフラムに抱き締められ、後ろに顔を向けるのが精一杯である。
「あ、兄上、放して下さい」
「俺から逃げようとした理由を言えば放してやる」
「・・・それは言えません」
「誤魔化さない姿勢は褒めてやるが、言わないと今夜は寝かさないぞ」
「徹夜になったとしても言えません」
「強情だな。さっき『気が向いたら話せ』と言ってしまったし、これ以上無理強いはできないか」
「今でも十分に無理を強いていると思います」
「そうか?」
エフラムが笑って言うと、エイリークの頬も自然と緩んだ。
それから暫く二人は言葉による攻防を続けていたが、日が昇る頃には揃って倒れ込むように寝ていた。
そしてテントにいない二人を探しに来た兵たちに見つかり、ゼトに長々とお説教をされたのだった。