作王
特にすることがなかったエイリークは、誰か手伝いを必要としていないかと城内を歩き回っていた。これまで数人に声をかけたが、彼女の手を借りる者はまだ現れない。ルネスの王女と言う肩書が、邪魔をしているのは確かだった。
大人しく部屋で本でも読むべきか。そんなことを考え始めたその時、エイリークの視界に見慣れた姿が入る。
「・・・・・」
そこには随分と険しい顔をしたエフラムがいた。普段ならばエフラムの方が先に気付くのだが、今回は彼女の気配を察知する余裕もないらしい。
明らかに兄は困っている。きっと誰かの手助けを必要としている。だと言うのに、彼女はすぐに動くことができなかった。どうして自分はこんなにもためらっているのだろう。この状況でためらう理由がどこにあると言うのか。
一度大きく深呼吸をして、彼女は声をかけた。
「兄上、どうかされましたか?」
エイリークに驚いた顔を向けるエフラム。それはすぐにいつもの笑みへ変わる。ただし、少し困ったような雰囲気も混ざっていた。
「ああ、エイリークか。俺に気取られずここまで近付くとは、成長したな」
「いえ、それは兄上がとても考え込んでいたからで、私の実力ではありません。何を考えていたのか聞いてもいいですか?」
「そうか?いや、ちょっと困ったことになってな」
「私でよければ力になります」
「すまない。ではちょっと頼まれてくれるか」
「はい」
力強く頷くエイリーク。大抵のことは一人で解決してしまう兄の力になれることを、彼女は嬉しく思った。
「俺と新しいルネスの王子を作ろう」
そしてすぐさま先ほどの嫌な予感が的中してしまったと思った。あの戸惑いは、今すぐ逃げろと言うサインだったのだ。
遠くなりかける意識を何とか持ち直し、兄の言葉を頭の中で反芻する。しかしそこから何を考えればいいのか、全くわからなかった。
「エイリーク?どうした、大丈夫か?」
動かない彼女の顔を、心配そうに覗き込むエフラム。兄の方が頭は大丈夫かと、エイリークは問いたかった。
「・・・・・あ、兄上、それは・・・一体、どういう・・・?」
「新しい王子の話か?明日はゼトの誕生日だからな。何がほしいと聞いたら、『たとえば戦場で前線に飛び出すような無理をしないルネスの王子がほしい』と言われたんだ」
「・・・・・え?」
「しかし俺は仲間を危険に晒したくない。だから、戦いになれば前に出ずにはいられない。俺に無理をするなと言う方が無理だ」
「・・・・・それで、新しいルネスの王子を作ろうとなったのですか?」
「ああ。だがゼトが満足しそうな王子候補が考え付かなくてな。エイリークは誰か思い当たる奴はいないか?」
エイリークは手と膝を地につけそうになるのをどうにか堪えた。しかし、大きな溜め息は隠せなかった。項垂れる彼女を、不思議そうに見やるエフラム。
「・・・兄上、誰か別の者をルネスの王子にしたところで、ゼトは喜ばないと思います」
「そうかもしれんが、他に方法が」
「兄上が無理をしなければいいだけです」
「いや、それでは仲間が危険に」
「兄上だけが危険な目に遭っては、皆で戦う意味がありません。ゼトも私も、仲間はもちろん兄上にも無事でいてほしいのです」
珍しく強気な妹に、エフラムは困った顔をする。
「しかし、誰も前に出ないのでは敵を倒せないぞ」
「誰も前に出ないのではありません。皆、それぞれ自分の役割と言うものがあります。鎧が堅牢な者は前に出て、攻撃が後ろへ届かないようにする。馬に乗る者は機敏な動作を生かして敵陣を崩す」
「じゃあ俺も槍のリーチを生かして、敵を倒せるだけ倒した方が」
「それでいつまでも敵陣に残っていることが問題なのです。全く前線に行くなとは言いません。攻める時と引く時をよく考えて動けと、ゼトは言いたいのではないでしょうか」
「・・・エイリーク・・・」
エフラムが感心した表情でエイリークを見下ろす。いつも兵法について説くのは兄の役目だった。しかしエイリークとていつまでも教えられるばかりではない。
「本当にゼトがそう思っているかはわかりませんが・・・」
しかし、まだ自信はあまりないのだった。彼女がぽつりと付け足すと、エフラムは笑ってそんなことはないと言った。
「やはりお前は成長したな。ゼトの希望に添えるかわからないが、これからは引くことも気を付けてみよう」
「兄上・・・そうしてもらえると、嬉しいです」
「きっとお前の方が、ゼトの望む戦い方をするのだろう。俺ではなくエイリークがルネスの王子だったら、ゼトもこれほど苦労しなかったろうな」
「そ、そんなことは・・・」
ないとも言い切れないので、言葉尻を濁すにとどめた。自分はまだ戦に出たことはないが、兄ほど前線に出続けたりはしないだろう。
エフラムは暫くエイリークを見て何やら考えているようだったが、おもむろにぽんと手を叩いて嬉しそうな顔をした。それが再びエイリークの胸中を曇らせる。しかし逃げろと言うサインに気付いたところで、到底間に合うものではなかった。
「エイリーク。お前、男にならないか?」
ある程度の覚悟はしていたが、それを遥かに超える衝撃に呆然とするエイリーク。そんな彼女が言葉を発する前に、新たな声がかけられる。
「・・・エフラム様・・・今度は一体どう言う理由で、そのようなご無理を仰っているのですか・・・?」
エフラムの背後には、声やら肩やら色々震わせているゼトがいた。
「ゼトか。お前がほしがっていた『たとえば戦場で前線に飛び出すような無理をしないルネスの王子』なんだが、エイリークが相応しいんじゃないかと思ってな」
「・・・兄上・・・そこで私が頷いても、今から男性になれと言うのはかなり無理があると思います・・・」
「・・・・・私は、そのようなご無理を仰らないエフラム様がほしいです・・・」
エイリークとゼトは、あまりの脱力感に揃って手と膝をつくのだった。