悪夢
その戦場は、地獄と呼ぶに相応しいとエイリークは思った。何十人もの兵たちが入り乱れ、己の武器を振るっている。敵の兵士たちは、誰もが鬼気迫る形相だ。しかし本来、彼らは優しい心の持ち主であるに違いない。同じく必死に戦う自分の仲間たちのように。
誰もが死に物狂いで戦っていた。そんな状況で、今の戦場について思いを馳せるとは何事か。エイリークは己の未熟さを嘆きながら、迫りくる敵の刃をレイピアで受け流した。自分が今考えるべきは、この戦いをどうやって生き残るかと言うことだけだ。
彼女の隣りで、エフラムの槍が敵の兵士を貫く。首筋を薙ぐように切られた相手の血は、エフラムだけではなくエイリークまでをも赤く濡らした。先ほどから血の色を見過ぎて、目と頭が痛い。それでも立ち止まることは許されない。動きを止めれば死ぬだけだ。
しかし、戦い続けた彼女の身体は、思うように動かせなくなっていた。足が鉛のように重い。視線を下に向けると、先ほど倒れた兵士の血だまりに片足が浸かっていた。すぐ抜け出さなくてはならないのに、まるでその血に足首を掴まれたかのごとく、動くことができない。
敵の兵士が自分へと駆け寄ってくるのが見えた。迎え撃つべくレイピアを構える。この足と体力では、素早さで相手をかく乱することはできない。圧倒的に不利な状況だった。
しかし、ここで自分が死んだら、全てを兄に背負わせることになってしまう。それだけはどうしても避けたかった。
「エイリーク!」
隣りからエフラムの声。同時に横から突き飛ばされる。血で赤黒く染まった地面へ、彼女は叩きつけられた。
上半身を起こして見上げると、そこには何故か兄の笑顔。片膝をついた兄は、彼女の頬へ手を添える。
「・・・兄上?」
「無理をするなと言っただろう」
「す、すみません」
「疲れる前に、陣へ戻って休め。足元への注意も怠るな」
「は、はい。これからはもっと気を付けます」
「そうしろ・・・次は、助けてやれない」
「・・・・・え」
ゆっくりと大地へ倒れるエフラムの背には、敵の剣が深々と突き刺さっていた。
□■□
「・・・・・起きたか?」
「・・・・・」
目を開けたエイリークは、鼻が触れそうなほど近くにある兄へ何も言うことができなかった。
「随分うなされていたぞ。大丈夫か?」
冷や汗に濡れた彼女の額を手で拭い、エフラムが心配そうに言う。
「怖い夢を見たんだろう。様子を見に来て正解だったな」
「・・・・・あ、に・・・うえ・・・」
「何だ?」
「・・・・・どう、して・・・ここに・・・?」
「胸騒ぎがしたから来てみた」
双子だから、わかったのだろうか。自分にはそんな経験など全くないが。
「・・・見張りの者は・・・」
「どうしてもエイリークのことが気になって眠れないから入れてくれ、と言ったら入れてくれた」
見張り役の仲間が大いに困惑する姿が目に浮かぶ。エフラムに頼まれたら断れないと言うのもあるが、寝不足で戦場に出たら命に関わると言う配慮もあったのだろう。
「それで、どんな夢だった?」
エフラムに尋ねられ、エイリークは肩を震わせた。夢の光景が、ちらちらと頭を過る。
「・・・・・忘れました」
口にするのが怖かったので、嘘を吐いた。すぐにばれるとわかっていても。
「・・・俺に嘘は・・・と言いたいところだが、言いたくないなら仕方ない」
「すみません・・・」
「謝らなくていい。じゃあ寝るか」
「・・・っあ、兄上・・・!?」
そう言って掛布を捲り上げ、隣に入ってくるエフラム。エイリークが面食らっている内に、ちゃっかり横になっている。
「また怖い夢を見ても、これならすぐに起こせる」
「ひ、一人でも平気ですっ」
「嘘を吐け。その気持ちを明日へ引きずって、戦場で怪我でもしたらどうする」
「っ・・・・・」
エイリークはそれ以上反論できなかった。兄の言う通り、今の精神状態で明日の戦いに集中できる自信はない。
「わかったら大人しく寝ろ。それが嫌なら夢の内容を話せ」
「・・・どうして、兄上は夢のことを聞きたがるのですか?」
「お前の夢が絶対に起こらないことなら、そんなことは起きないから安心しろと言ってやれる。もし起こり得ることなら、起こらないように対策を取ればいい。どちらにせよ、まずはお前の夢の内容を知らないと俺には何も言えない。あと俺にできることと言ったら、お前がこれ以上怖い思いをしないよう添い寝してやることくらいだ」
歯痒いのだろうか、少し困ったような笑みで、エフラムにぽんぽんと頭を撫でられる。その手が離れる感触が、先ほど夢で倒れていく兄に重なった。
「・・・・・兄上・・・っ!」
エイリークは思わずエフラムにしがみつく。驚いた顔をしたエフラムは、その身体を受け止め優しく彼女の背を擦った。兄が生きていることが嬉しくて、失われてしまうかもしれないことが怖くて、エイリークは涙を零す。
彼女が泣き止むまで、エフラムはずっとその背を擦っていた。