箝口
城の長い廊下と固いブーツのぶつかる音が、背後から近付いてくる。
カツカツと言う忙しないその音を耳にして、エイリークは足を止めた。
この足音は彼女の双子の兄のものだ。少し急いでいるらしい。
振り返ると、真っ直ぐこちらへ向かってくるエフラムの姿が目に入る。
「エイリーク!」
よく通る声で名を呼ばれた。自信に満ちたその声は、周りの者たちにいつも安心と尊敬の念を抱かせる。エイリークも例に漏れずそうだった。
「はい。どうされましたか?兄上」
エフラムは彼女の前でぴたりと足を止めると、白く輝く歯を覗かせて柔らかな笑顔を浮かべた。兄の精悍だが整った顔付きは、周りの者たち(主に女性)に好意と憧れの念を抱かせている。双子の片割れの容姿を褒められるのは、エイリークにとってはくすぐったいような気持ちだった。
エフラムは前髪を片手でさらりとかきあげると、突然真剣な表情を浮かべてエイリークの瞳を正面から見つめる。
「お前に大事な話があるんだ」
これは大した話ではないな、と長年の付き合いと濃い血の繋がりによってエイリークは察した。
上手く説明できないのだが、何と言うか兄がキラキラとして見える時は要注意なのだ。こう言う感じで、普段より格好つけた仕草や言い回しをすると、ろくな話ではないことが多い。当人に自覚はないのだろうが、無意識に振る舞いとして表れているのだろう。
「どうしたエイリーク、随時と不細工な顔になったが」
「いえ、何でもありません。兄上、私はともかく、他の女性に不細工などと言ってはなりませんよ」
「そうなのか?しかしもう遅い。この前ターナに言ってしまった」
「なっ!?な、何故そんなことを・・・!?」
さらりと言い放つエフラムに、エイリークは仰け反って驚く。もっと早く言っておくべきだったと後悔すると同時に、その理由を聞かずにはいられなかった。ターナが落ち込んでいないといいのだが。
「何の話をしていたんだったか・・・ああ、誕生日にほしいものはないかと聞かれたから、ワイバーンをくれと言った時だったな。さっきのお前と同じような顔をしていたからそう言った。やたらと怒られたんだが、言ってはいけなかったのか」
「はい。不細工はもちろんですが、男性としても、一国の王子としても、女性にワイバーンを強請るのはやめて頂きたいです」
「よくわからんが善処しよう」
「口先だけでないことを願います。心から」
「む、俺は言ったことは必ずやる男だぞ」
「そうですね。兄上を信じます」
妹の少し投げやりな言葉に満足したのか、エフラムは深く頷いた。
「ところでさっき言った大事な話なのだが」
「何ですか?」
先ほど言った兄のキラキラ感がまた再発してきたので、警戒を強めるエイリーク。ここで気を抜くと、やばい(くだらないとも言う)ことに巻き込まれかねない。
エフラムは、更に一歩エイリークの元へ歩み寄った。口元に優しい笑みを浮かべて彼女の髪を一房手にする。
「綺麗になったな」
「は?」
「まだ子供だと思っていたが、最近はお前を見る度にそう思う」
「はあ・・・ありがとうございます」
「お前も、もう妙齢の女だ・・・そこで提案なんだが、エイリーク、この髪を切る気はないか?」
「・・・は?」
「肩口くらいと言うか、肩につかないくらいと言うか、具体的には俺と同じ髪型にするといいと思う」
「・・・・・何故いきなりそんなことを?」
「所謂いめちぇん?と言うやつだ」
「いめちぇん?」
「あー、何だったか、ほら、髪を切ると色々あるだろう」
「髪を切るとある色々を『いめちぇん』と言うのですか?」
「まあそんな感じだ。とにかくお前には今、髪を切ることが必要なんだ」
だいぶ強引で訳の分からない言い回しだが、エフラムはとにかく彼女に髪を切ってほしいのだと言うことはわかった。しかし。
「・・・兄上、私はともかく、他の女性に突然髪を切れなどと言ってはなりませんよ」
「む・・・これも言ってはいけなかったのか。何故だ?」
「世の中には、髪は女の命と言う言い回しがあるのです。それくらい髪を大事にしている女性もいるのですよ」
「そうなのか・・・それは、すまなかった」
エフラムが深々と頭を下げる。エイリークは、兄の口からまた「もうターナに言ってしまった」的発言が出てこなかったことに安堵した。
「いえ、私のことは気にしないで下さい。あくまでも他の女性の話です」
「いや、お前を傷付けたのだから、謝るのは当たり前だ」
「兄上・・・」
「お前も髪を大事にしていたんだな。本当にすまない」
エイリークは小さく笑う。顔には出さないようにしたつもりだったが、兄にはバレていたようだ。
「・・・はい。きちんと謝ってもらえたので、許してあげます」
「そうか!ありがとう、エイリーク。今後は気を付ける」
子供のように表情を輝かせるエフラムを見て、エイリークも頬を緩めた。
「ところで兄上、私に髪を切らせてどうされたかったのですか?」
「ああ、最近家臣たちが勉強しろとうるさくてな。稽古の時間がどんどん減らされて不満だったのだ。そこで思い付いたんだが、お前が俺に変装して代わりに勉強してもらえばいいんじゃないかと」
「兄上、それはいくら私にでも言ってはなりません」
エイリークのお説教は、それから暫く続いたのだった。