逃隠

どたばたと、騒がしい足音が近付いてきた。騎士としてはあまり相応しくない慌てぶりだが、それだけ大変な事態が起きているのだろう、とエイリークは判断する。

「エイリーク様!ここにエフラム様が来ませんでしたか!?」

カイルの問いに、エイリークは少し困惑した。僅かに身動ぎすると、彼女のふわりと広がったドレスが揺れる。この広い城内で、一人の人間を探し出すのは大変なことだろう。
「そんなに慌てて、兄上がまた何かしたのですか?」
「あ、取り乱してしまい申し訳ありません。エフラム様が勉強中にまた逃げだしましたので、追いかけている最中です」
騎士の身分を思い出したのか、姿勢を正して状況を報告するカイル。お互いに「また」を強調して言うほど、ルネスの城ではよくあることだった。
「そうなのですか、それは困りましたね」
「もしエフラム様を見かけたら、ぜひ城の者たちにお知らせ下さい。では、失礼します」
カイルが深々と頭を下げ、身を翻す。先ほどとは打って変わって、静かな足音で駆けていった。

「・・・・・行ったか」

エイリークの背後に、大道芸人のような珍妙さで身を縮こませていたエフラムが、溜め息と共に立ち上がった。彼女の大きく広がっているドレスだったからこそできた芸当だろう。
「兄上、勉強から逃げたと聞きましたが」
冷めた瞳でルネスの王子を見やるエイリーク。
「いや、これにはどうしても逃げなければならない事情があったのだ」
「そうなのですね。それはどのような事情なのですか?」
「む・・・それは、言えない」
「何故ですか」
「・・・男には、そう言う時期があるんだ」
「どう言う時期ですか」
「ほら、あれだ、月のものって言うだろう。あれが来ると勉強できなくなるとかなんとか」
「それは女性の話です。個人差はありますが、勉強ができなくなるくらい酷い方は稀です。兄上はカイルから全力疾走で逃げてこられたのでしょう?全然酷くありません。そして何よりも、今の言い訳を他の方にしてはいけませんよ。決して。特に女性には。『決して』」
「・・・・・わ、わかった」
物腰と声は柔らかいが、笑っていない視線を突き刺しながらエイリークがそう言ったので、エフラムは素直にがくがくと頷いた。
「では兄上、早く勉強に戻って下さい」
「何だ、匿ってくれたのに見逃してはくれないのか?」
「女性のスカートの影に隠れる王子なんて、カイルに見せられません。ショックで倒れてしまいます」
「いや、あいつは強いから大丈夫だ」
「カイルに兄上が隠れていることを教えてほしかったのですか?臣下へ期待をかけ過ぎるのは、あまりよくないのでは」
「そうか?臣下には期待をかけて成長を促す方がいいだろう」
「ある程度はかけますが、かけ過ぎて何かあっては大変です」
「死んだらそれまでの奴だったと言うことだ。むしろ死ぬような思いをしないと、クラスチェンジはできないぞ」
「クラ・・・?」
「まあ、地道な修行も大事だけどな。よし、俺達も地道に修行するか!」
ひょいとエイリークを肩に担ぎ上げるエフラム。ドレスを着ているエイリークは、思うように抵抗できずもがく。
「あ、兄上っ、勉強はどうするのですか」
「カイルに捕まったら戻る」
「そんなっ・・・!」
そのまま有無を言わさず走り出すエフラム。エイリークは兄の肩の上で揺れながら、カイルに心中で謝るのだった。