秘事
ある朝、寝ていた程穫はやけに布団の中が温かいと思い、うっすらと目を開けた。
すると何故かそこには、穏やかな顔で寝ている和穂の姿。
「・・・・・・」
ここでもし殷雷ならば、赤面してベッドから転げ落ちただろうが、幼い頃いつも二人で寝ていた程穫は全く動じない。
一人用のベッドなので、少しはみ出している和穂の腕を引き入れ、しっかりと布団を被せてやる。そして、隙間を埋めるよう和穂を抱き寄せ目を閉じる程穫。
寒い夜は、いつもこうして寝ていた。和穂の身体が冷えぬよう、足も絡めて寄り添って寝ていた。そしてそれは、己の身体を温めてもくれた。
昔よりも成長したため更に狭くなったベッドでも、寝苦しいとは思わなかった。
そして朝、起きたら全ては夢だった。
ベッドはいつもどおり己一人だったし、和穂にかけ直したつもりの布団は乱れて自分の腹にかかっているだけ。
やけにぼんやりとしている頭を軽く振って、程穫は身を起こした。
朝だからとか、目を覚ましたばかりだからとかいうことだけではなくて、何故かものすごく不満を覚えた。
しかしだからといってそのために何かすることはなく、いつものように、和穂の具合を看るべく妹の部屋に向かう。
険しい顔のまま、和穂の部屋の扉を開けると。
「っわ、わわ。えと、お、おはよう兄さん!」
今まさに着替えの最中だった和穂は、慌てて寝巻きを胸元に抱えながら挨拶をした。
「・・・・・」
「兄さん?」
何故か、俯きがちに小さく息を吐く程穫を見て、和穂が首を傾げる。
しかし程穫は何も言わず、いつも通りに和穂の熱を看てから部屋を出て行った。
普段なら、程穫は朝食を食べる前に薬草を探しに出かけるのだが、今日は珍しく朝食を食べてから出かけていった。
和穂が一人で後片付けをしていると、そこへ殷雷がいつものようにやって来て。
丁度いいところに来てくれた、とばかりに和穂は気になってたまらないことを尋ねてみる。
「あのね殷雷。兄さんが私のことを見て溜め息吐いてたんだけど、どうしてだと思う?」
何を察知したのか、殷雷が綺麗に白くなって固まった。
「殷雷?」
不思議そうに顔を覗き込んでくる和穂。暫くして、やっと殷雷は硬直から脱した。
「なんでもねえよ・・・あのシスコンのことなんざ、俺が知るわけないだろうが」
どっと疲れた顔をする殷雷を見て、和穂は心配そうな顔で首を傾げた。
「どうしたの殷雷?顔色が悪いよ。どこか具合が悪いんじゃ」
「武器の俺に具合もくそもあるか」
「そうなの?」
「そうなんだよ」
ならいいんだけど、と安堵する和穂。殷雷が気まずそうに頬をかく。
「あ、そうだ。そろそろお昼を作ろうと思うんだけど、食べて行ってくれる?」
「まあ、お前がどうしてもと言うのなら考えてやろうではないか」
その言い方に、和穂はぷうと頬を膨らませてから苦笑する。
「もう。じゃあ『どうしても』お願いします」
「おう」
殷雷が偉そうな態度で頷き、二人は同時に笑った。
するとそこへ。
「和穂。そんなものに『どうしても』などと言ってやる必要はない」
「あ。兄さんお帰りなさい」
和穂がぱっと顔を綻ばせ、殷雷が思い切り顔をしかめる。いつものように薬草を採って帰ってきた程穫は、それだけ言うと己の部屋へと入っていった。
間もなく分厚い本を手に和穂たちのいる卓へ姿を現し、椅子に腰を下ろす程穫。
そして、本を開きながら一言。
「今すぐ失せろ。なんなら『どうしても失せて下さい』とでも言ってやろうか」
「はっはっは。地べたに這いつくばってそう言ったら考えてやってもいいぜ」
ぎろりと程穫の視線が殷雷に突き刺さる。台詞は笑いつつも、かなり険しい顔で睨み返す殷雷。和穂は、頬を膨らませて怒りの声を上げる。
「もう!喧嘩はしないってこの前約束したでしょう!?」
『・・・・・』
あれはお前を泣き止ませるために言ったのだ、とは二人とも口にできなかった。
今日の昼食は焼飯と青野菜の盛り合わせだった。
食後には殷雷の持ってきた果物もあり、食べ盛りの程穫もそれなりに腹は膨れ満足感はある。
しかしそれはあくまでも腹の話であり、精神的には満足どころの話ではない。むしろ、掴みどころのないもやもやとした思いに、不快極まりないと言った状態であった。朝からずっとこの不快感が消えない。理由は恐らくあの夢のせいだろう。だが、あれはただの夢なのだ。そう割り切ればいいものを、何故かいつまでも考え込んでしまっている。
食事も終わった今、和穂は殷雷と他愛もないことを話し、程穫は傍で本を読んでいたのだが。
「・・・えと・・・兄さん。私に何か付いてる?」
食事中の時から、ふと気が付くと兄がじっと自分を見つめているという異常な状況に、和穂はかなり戸惑いながら既に何度も尋ねたことをもう一度口にした。
「いや」
短く言うと、視線を落として再び本を読み始める程穫。
困り果てた和穂が、助けを求めるように殷雷を見た。もちろん殷雷にしてみたところで、自分が何をしようと程穫をどうにかできるとは思えない。
「俺を見るなよ」
「ごめん」
「かと言って謝られてもな・・・」
「あ、ごめん」
「聞いとるのかお前は」
殷雷がその頭を軽く小突くと、和穂が困ったように笑った。
そして、殷雷がちらりと視線を動かすと、程穫がまた和穂を凝視している。
ある意味不気味な状況に、殷雷は頭を抱えたくなった。普段は物事をずばずば口にする程穫が、こうも無言で内に含んでいると言うのは滅多にない。
「あ・・・に、兄さん。どうかしたの?」
「いや」
『・・・・・』
沈黙が場を支配する。双子は、ただじっとお互いを見つめ合い。ついでに、殷雷はどう贔屓目に見ても気が長い方ではなかった。
「っでえぇええぇい!!何なのだお前は!?言いたいことがあるならはっきり言いやがれ!!」
立ち上がって腹の底から叫ぶ殷雷。言いたいことを言ってすっきりした彼に、目を見開く和穂と、不満そうな程穫の視線が向けられる。
そしてまたしても辺りは静寂に包まれて。
「・・・見るのは俺ではないと言っとるだろうが」
気まずくなった殷雷は、和穂の頭をくるりと程穫の方へ向けた。
双子の視線が合い、やはり沈黙が流れる。
暫しして、言いづらそうに、本当は言いたくないのだけれど、そんな様子で和穂は口を開いた。
「・・・・・え、ええと・・・兄さん。本当に、何か言いたいことがあるんじゃないの?その・・・前にも言ったよね。もし、私のことが嫌になったのなら」
「違う」
程穫が和穂の言葉を遮り、言う。しかし和穂の不安そうな顔は和らぐことがない。
「でも」
「お前を嫌がっているわけじゃない・・・だろう。と、思う」
その言葉に驚く殷雷。彼が今まで聞いてきた中で、程穫が推測の言葉を使うことは滅多になかった。しかも、これほど迷いを見せている姿などはほとんど記憶にない。
「・・・じゃあ、言いたいことは何もないの?本当に?」
それとも兄がはっきりとわかっていないだけで、やはり自分のことが嫌になったのではないか。そう考える和穂の瞳は、僅かに揺らいでいて。
「・・・そんなに聞きたいのか」
深刻な表情をした程穫が尋ねると、和穂は不安そうな顔のまま、はっきりと頷いた。
「では言ってやろう。覚悟はいいな」
ごくりと喉を鳴らす殷雷。和穂は、もう一度頷いて、覚悟を決めるかのように両手をきつく握り締めた。
「和穂。今夜は俺と共に寝よう」
『・・・・・・・・・・・・・・』
和穂と殷雷が、同時に目を見開いて絶句した。
「そうすれば、俺がお前に何を言いたいのかわかるはずだ」
普段どおり妙な自信に満ち溢れた程穫の言葉だけが、その部屋に静かに響き渡っていった。
かつて、これほどの衝撃を受けたことがあっただろうか。
いや、つい最近にあったような気もするが、とにかくそんな言葉がぴったりなほど、和穂と殷雷は驚愕していた。
二人揃って目を剥き、口を半開きにしている。別の意味で息がぴったりな彼らの前で、程穫は再び不満そうに顔をしかめた。
「和穂」
「・・・・っえ、あ、な、何?」
短く呼ばれ、慌てて返事をする和穂。ちなみに殷雷はまだ硬直している。
程穫はむすっとしたままその手を伸ばした。
「嫌なのか」
和穂の頬に触れる直前で手を止め、言う。もちろん和穂は大きく首を振った。何度も。頭を横に振る和穂の頬が、程穫の手に触れる。
「・・・なら、今夜は俺と寝るんだな?」
和穂が困惑気味に目を瞬かせつつも、頷こうとしたその時。
「何ほざいとるんだこのシスコンぐぁわあぁああ!!」
和穂を己の背後に引き寄せ、殷雷が叫ぶ。
まるで和穂を守るかのような殷雷の立ち位置に、程穫は挑むかのごとく一歩踏み出した。
「貴様には関係ない。さっさと森に帰って熊とでも寝ていろ」
「誰が寝るか!!お前こそ餓鬼じゃあるまいし、一人で寝やがれ!!」
すると程穫はふんぞり返って小馬鹿にするように殷雷を見た。実際馬鹿にしているのだろうが。
「俺は云百歳の貴様と違って未成年だ。餓鬼に決まっているだろうが」
「な!?」
「貴様の理屈でいくと、餓鬼ならば和穂と寝てもいいんだろう?これで問題はなくなったな」
「どう見ても問題だらけだ!!」
「それは貴様が普段から卑猥な妄想しか考えていないからだ。この変態金属め」
「ふざけたこと抜かしてんじゃねえよ!いつも卑猥なのはお前だろうが!!」
どんどん殺気だっていく二人に、和穂がぽつりと訪ねた。
「ねえ・・・『ひわい』って、なあに?」
思わず言い合いを止めて、和穂へと顔を向ける二人。おかしなことを聞いてしまったのだろうかと、和穂は焦った。
そして最初に動いたのは程穫で。
「安心しろ和穂。それは俺が後でたっぷりと教え込んでやる」
「いっぺん頭かち割ってやるぜ、万年妄想野郎・・・!!」
本気で殷雷が拳を震わせていたので、和穂は疑問の解決よりも、慌てて彼を止めに入ることを優先させたのだった。
結局、さんざん騒いだ後にはいつものように夕食を共に食べた三人。
ここで、普段は殷雷が帰ると言い出すのだが、今回はそうはいかない。
「さっさと失せろ」
邪魔極まりないといった視線を殷雷に向ける程穫。
「お前のような危険生物がうろつくところに、『餌』だけ残して帰れるわけがなかろう」
殷雷が必死で笑おうとしているようなかなりぎこちない笑みを貼り付けて言う。
「安心しろ。俺は、自分が『餌』だと認識したものは必ず平らげる主義だ」
「今すぐ死んでこいお前はぁああ!!」
先ほどから絶叫ばかりしている殷雷。数えるのも馬鹿らしい。
そして和穂も、頬を膨らませて同じことを繰り返し言っていた。
「もう!喧嘩しないで!」
しかしその程度で二人が言い合いをやめるわけもなく。
「そんなに俺が羨ましいか。まあ、貴様がどれほど頼み込んだところで、和穂と共に寝ることなど許さんがな」
勝ち誇ったように程穫が胸を反らせる。殷雷は、思い切り動揺してぎくしゃくと変な動きをした。
「っだ、誰が羨ましがるか!!俺はだな、倫理とか常識とかそう言う話を・・・」
「金属が常識を語るな」
「金属言うな!!」
「二人とも聞いてよう!!」
こうして不毛な言い合いは、深夜にまで及ぶ。
結局、殷雷は己の住処へと帰っていった。
但し、帰り際に和穂の両肩を掴んで『絶対に程穫の傍に近寄るな』と、ものすごく真剣な顔で言い含めてからである。
あまりに殷雷の表情が険しいので、和穂はほぼ反射的にかくかくと頷いていた。
の、であるが。
少し戸惑い気味のノックが響いたのは、程穫が寝台で横になっている時だった。
まだ全く寝付いていなかったので、すぐに気付いて身を起こす程穫。
すると、扉の向こうから小さな、擦れるような声が届く。
「・・・兄さん・・・入っても、いい?」
程穫自身が気付いた時、既に彼は承諾の返事を返していた。
そっと扉を開けて、寝巻き姿の和穂が顔を覗かせる。寝台に座っていた程穫を見て、申し訳なさそうに眉を寄せた。
「ごめんなさい。寝てたのに」
「いや、まだ寝てはいなかった」
「・・・・・」
兄の言葉を気遣いだと受け取ったのか、和穂の表情は晴れない。
「何かあったのか」
和穂が程穫の部屋に来ることはあまりなかった。逆に、程穫が和穂の部屋に行くことは日に何度もあるのだが。
和穂は、僅かに逡巡した後、思い切ったような表情で口を開いた。
「あの、ね。今日・・・一緒に寝てもいい・・・?」
程穫が軽く目を見開く。
暫し、無言で双子は見つめ合った。
そして、程穫が笑う。うっすらと、柔らかい表情で。
「来い」
布団を上げて、小さく言う。
和穂は、ぱっと表情を明るくして、その隙間へ潜り込んだ。
一人用の寝台なので、少しはみ出している和穂の腕を引き入れて。
そして、隙間を埋めるようしっかりと和穂を抱き寄せて。
あの夢と同じように、程穫は顔色一つ変えずにそうやって目を閉じた。
「・・・兄さん」
刹那、和穂がぽつりと呼びかける。
「何だ」
程穫がいつも通りに声を返すが、何故か和穂は小さく身体を震わせた。
まるで、怯えるかのように。
「・・・・・あ、あのね・・・何か悩み事があるなら、言って。意味のないことかもしれないけど。何をしても、無駄になるかもしれない・・・けど。私・・・絶対に何かするから」
それだけ言い切ると、和穂は程穫の寝巻きに顔を埋めてしまう。
程穫は小さく息を吐くと、そっと和穂の髪を撫でる。
「わかった」
それだけ言って、程穫は再び目を閉じた。
今日一日ずっと彼の胸にあった、あのもやもやとした感情は全て消え去っていた。
そして次の日。
布団の中がやけに温かいと思い、程穫は目を開ける。
すると目の前には、己が思ったとおり、すやすやと眠る和穂の姿。
腕を回して、和穂の頭を抱き寄せ、その額に唇を押し付ける。
平熱であることを確認し、程穫は僅かに息を吐いた。
なんとはなしに、和穂の頬に触れてみる。柔らかいそれも、普段通り。
程穫が寝台から出たのは、それから十数分後のことだった。
その日、殷雷はいつもよりずっと早く双子宅へ来た。
そして、素直で嘘などつけない和穂から、突如謝られて蒼白になる。申し訳なさそうな和穂の顔を見ただけで、大体のことは察したらしい。さすが武器の洞察力である。
対して程穫は、勝ち誇った顔で朝食の卵焼きを口に含んで飲み込んだ。
「そうだ、なまくら。昨日俺が言いたかったことがわかったんだが、教えてやろうか?」
「お前は一生黙ってろ!!」
「えっと・・・私は知りたいな。兄さんが言いたかったことって、なんだったの?」
半泣きで怒鳴る殷雷と、おずおずと申し出る和穂。
程穫が、笑って和穂を見やる。その笑みは、普段のものとは違い酷く柔らかで。思わず殷雷が驚愕して顔を強張らせるほどである。
「お前にはまだ早い」
ぽん、と和穂の頭に手をやり、程穫が言った。
和穂はまた子ども扱いされたと頬を膨らませて抗議するが、程穫が『言いたかったこと』を口にすることはなかった。