昼寝

今日も今日とて、殷雷は森を出たすぐ傍にある赤い屋根の家へやって来た。

今回の手土産は森で採ってきた栗である。そろそろ冬も近いので、最近の殷雷は保存食になるものを差し入れていた。
早くに両親を失った双子が幼い頃から飢えずにいられたのは、こうして色々と世話を焼いてくれる者たちが周りにいたお陰だった。

今日は随分と空気が冷たいので、また和穂が熱を出してはいないかと気にしつつ、家の裏手に回って和穂の部屋の窓を開ける。

そして、硬直。

殷雷に気付いた和穂は、寝台に腰かけていた。何か言いかけてすぐに口を噤む。そして、嬉しそうに彼へ向かって微笑んだ。その笑顔に何とか気を取り戻した殷雷は、目の前の直視し難い光景に向かってぼそりと声をかける。

「何をしとるんだお前らは・・・」

すると和穂は話さないでくれと手振りで示す。
そんな和穂の肩にもたれかかるようにして、程穫が寝息を立てていた。

つまり、程穫が和穂の肩を枕代わりにして寝ているので、静かにしていなければならないらしい。

それくらいすぐに理解していた殷雷だったのだが、はいそうですかと素直に頷けるほど、彼は気の優しい男ではなかった。
殷雷が不機嫌な顔で和穂の隣りに腰をかける。結構乱暴な座り方をしたため、寝台がぐらりと揺れた。和穂が慌てて兄を見やる。そして、程穫が起きない様子を確認して、ほっと息を吐いた。
「寝台に座って寝るとはおかしな話だな」
棘を思い切り含んだ言い方をしてやると、和穂は口元に人差し指を寄せて静かにしてくれと意思表示する。しかし殷雷は不機嫌な顔をしたまま口を閉じようとしない。
「わざわざお前がそこでじっとしている理由はないだろうが。寝台に転がしておけば十分だ」
「殷雷、そんなに大きな声を出したら兄さんが起きちゃうよ」
こちらのジェスチャーが伝わっていないと判断した和穂は、できうる限り小声で言った。
「へいへい、口うるさくて悪うございましたね」
「殷雷っ」
和穂が眉根を寄せて唇を尖らせる。そんな彼女を見て不意に思いついたその行為を、不機嫌な殷雷は大して考えもせず実行に移した。

「話さないでって、んぅっ・・・」

和穂の声は、殷雷の親指に唇を押さえられて途切れた。
突然、殷雷の指が唇に押し付けられて、驚きに目を見開く和穂。
そして同時に、殷雷も大きく目を見開いていた。

「っ・・・お、お前こそ、黙らんとそこの馬鹿兄貴が起きるだろうが・・・!!」

弾かれたように手を放し、言い繕うような勢いで叫ぶ。
「い、殷雷も黙ってて!」
「わかったから話すな!」
「殷雷こそ話さないでよう!」
互いに混乱しているためか、その言い合いは暫く止まらなかった。

結局、殷雷と和穂があれだけ騒いだにも関わらず、程穫が目を開けることはなかった。

「・・・死んでいるのではあるまいな」
「殷雷っ!」
思わずそう呟いてしまった殷雷に、和穂の咎めるような声がかかる。
見れば、今にも泣きそうな顔が目に入って、殷雷は慌てた。
「い、今のは言葉のあやだ」
かなり支離滅裂な言い訳だが、和穂はそれ以上責めはしない。ただ、唇を噛んで程穫を見る。
「兄さんは・・・疲れてるから」
辛そうに、呟く和穂。
「私が、頼りないから。いつも、迷惑をかけてばかりだから・・・兄さん、疲れてるの。だから、少しでも休んでほしいの」
兄が寝ている時に、大人しくしているくらいしか、自分にはできない。それくらいしか、できないのだと、和穂は小さく呟いた。
殷雷が、かける言葉もなく彼女に手を伸ばしたその時。

「・・・・・っ」

擦れるような声で、程穫が和穂を呼んだ。
その目は閉じられたままで、程穫はもう一度そのうわ言を繰り返す。
「兄さん?」
和穂が小さく声をかけると、程穫の眉間にあった皺が少し和らいだ。そして、和穂の腰に腕を回して今以上に容赦なくもたれかかる。
「わ、わわっ」
兄の体を支えきれず、寝台にひっくり返る和穂。その身体を抱き締めたまま、首元に顔を埋めるように近寄せる程穫。

「いつまで狸寝入りしとる気だお前はぁああぁあ!!」

出鼻を挫かれ、和穂に手を伸ばしたまま硬直していた殷雷は、やっと我に返って程穫を止めに入る。
和穂からひっぺがされ、蹴られた程穫は寝台から転げ落ちた。
「に、兄さん!いい、殷雷!?」
いきなりの急展開に、和穂が思い切りたじろぐ。混乱し、名前を呼ぶしかできない彼女の身体を捕まえたまま、殷雷はこめかみをびきびきと引きつらせて口を開いた。
「ったくお前もお前だ!何度も言わせるなと何度言えばわかる!!」
「へ?え?」
怒りのあまり、多少おかしくなっている殷雷の台詞。和穂は更に混乱してしまう。
「飢えた餓鬼に襲われたくなかったら、もう少し危機感を持て!!」
「???」
「だいたいお前はあのシスコンがどれだけ変態なのかわかっていないのだ!今も俺がいなかったら、冗談じゃすまされん事態になっていたかもしれないのだぞ!!」
「え、えと、殷雷落ち着いて・・・」
「これが落ち着いていられるか!!」

「面白いくらいの取り乱し様だな。これで武器だとは、呆れてものも言えん」

和穂に鼻が触れそうな勢いで説教していた殷雷は、背後からかけられた冷ややかな声にぴくりと肩を震わせて口を噤んだ。
「兄さん!」
殷雷の肩越しに声の方を見て、和穂が声を上げる。程穫は寝起きのためかいつもより低く擦れ気味の声で『何だ』と返した。
「だ、大丈夫?結構痛そうだったんだけど」
「当たり前だ。なまくらの一撃でくたばるほど、俺は落ちぶれちゃいない」
殷雷が不機嫌度を増した視線で程穫を睨む。和穂は、まだ眉根を寄せて小さく、平気ならいいんだけど、と呟いた。
目を細めた程穫が、寝台に膝をついて和穂の顔を覗き込む。和穂がぱちりと目を瞬かせて、兄を見返す。
「まだ何か言いたそうだな」
図星を差された、と和穂が思っていることは、程穫にも、傍で苛々としていた殷雷にもわかった。
「言いたくないならいい。言えることなら、今すぐに言え」
その言葉に少しだけ迷ってから、和穂はおずおずと口を開いた。

「ごめんなさい兄さん・・・寝ていたのに騒いで起こしちゃって」

また迷惑をかけてしまったと、肩を落とす和穂。程穫は、小さく息を吐く。
「全くだ」
迷惑そうなその声に、和穂が小さく震える。あのシスコンが妹を叱るつもりなのかと、殷雷が目を見開いた。
そして、程穫が和穂の肩に手を伸ばし。

「せっかくお前を抱き締めて寝られると思ったというのに、とんだ邪魔が入った。この償いは、今夜たっぷりとさせてやるからな・・・」

「お前が世間に償えぇえええ!!」
殷雷の放った、怒りのアッパーにより、程穫は開いていた窓から外へと吹っ飛ばされた。
もうとっくに昼を過ぎたと言うのに、三人が昼食を食べられたのはそれから三時間後のことである。