対面
「そう言う訳で殷雷刀よ、子守をするつもりはないか?」
護玄仙人に尋ねられ、殷雷は満面の笑みを顔に張りつけた。
「ははは、子守か。情に脆い欠陥道具にはお似合いだ」
「そうだろうそうだろう。お前に相応しいと思ってな」
何故か涙ぐんで頷く護玄に、殷雷はあっさりとその笑みを崩した。
「今のは嫌味に決まっているだろうが!どこに好き好んで子守などする刀がいる!!」
「情に脆いお前が、親を亡くして途方にくれている子供たちを見捨てられるのか?」
その言葉に、殷雷がぐっと詰まる。
「・・・お、俺の知ったことか」
殷雷の額には、うっすらと汗。護玄は辛そうに顔をしかめて、話を続ける。
「その子供たちはな、両親を賊に殺されたのだ」
「・・・っ!?」
殷雷の目が見開かれた。これ以上聞くのはまずいと彼の胸中に警鐘が鳴る。
「俺と龍華が駆けつけた時には、両親は手遅れでな・・・子供たちも、怪我をしていた」
悔いていることがはっきりと見て取れる護玄の言葉に、嘘はない。
「子供たちは双子の兄妹でな。妹は頭の出血が酷くて幾日も意識が戻らなかった」
だらだらと殷雷の汗が増えていく。
「そして兄の方は、片目を潰されていたのだ。それでも傷ついた妹を守ろうと」
「だあぁああ!も、もう言うな!!」
叫んで突然護玄に背を向ける殷雷。震える肩を見れば、その理由は明らかである。
「そう言われてもなぁ。お前が子守を引き受けてくれると言うならやめてやってもよいのだが」
「ぐっ・・・そ、そんなもん、お前等がやればいいではないか」
「そうしたいのだが、俺も龍華もずっとあの家にいられない事情があってな。お前にその間の子守を頼みたいのだ」
「事情・・・?」
妙な言い回しをする護玄を訝しむ殷雷。騙されているのではなかろうかと言う不信感は、子守の話題が出た時からあった。護玄は苦笑して、言う。
「まあ簡単に説明するとだな。その子供の片方が酷く人間不信になっていて、あまり長居をしていると家から追い出そうとするのだよ」
「なら俺が加わったところで同じことだろうが!」
今までの苦悩はなんだったのかと、殷雷は憤慨する。
「いやいや、お前と俺たちとで交互に行けば、長居せずに済むから追い出されない、かもしれんだろう」
「断定できんのか・・・」
「手強いからな、程穫は」
しみじみと言う護玄の台詞を、殷雷は気にもせず聞き流した。
「ああそうですか。とにかく俺は子守などする気はないぞ」
「しかしこの森で寝ているだけよりずっと有意義だと思うのだが・・・」
「子守よりマシだ」
きっぱりと言い切られ、護玄は溜め息を吐いた。
「仕方ない。今日のところは諦めよう」
「何度来ても無駄だ」
「そう言うな。あとはお前しかいないのだ」
「・・・は?」
その言葉が何を意味するのか、殷雷刀にわかるわけもなく。また来ると言い残して、護玄は帰っていった。
どれほど自分が情に脆くとも、子守などする気はなかった。己は刀である。欠陥品としてこの森に移されても、その本能は薄れたりしない。誰かに使われたいと言う、思い。
「刀が子守などできるか・・・」
逆に傷つけてしまうかもしれないと言うのに。
大木を前に座り、幹に視線をやる。端から見ると、木に向かって何か見つめている変な男に見えただろう。幸いなことに、この森に人間が来ることはないと言っていい。護玄などは除くが。
殷雷は、それほど深く考え込んでいた訳ではなかった。たとえ見ていなくとも、近付くものの気配はわかるはずだった。己は武器なのだから。
だと言うのに。
「・・・っ!?」
くん、と髪を引かれて、殷雷は文字通り毛を逆立てて驚いた。
「なっ・・・!?」
そして振り返り、更に驚愕する。
「・・・な、んだ・・・お前は・・・」
そこには、殷雷の髪先を掴んだままぐったりと倒れている少女がいた。
その子供の見た目は随分と幼かった。知り合いにも幼い少女がいるが、彼女よりも年令は低そうだ。余談だが、その知り合いは人間ではなく兵器で、彼を何度も死にそうな目に合わせている。
目の前の少女は五歳になるかならないか、と言ったところだろう。見た目はただの人間に見えた。子供特有の紅潮した頬。走って来たのか、小刻みになされる息、汗ばんだ肌、肩ほどまで伸びた黒髪は乱れていて・・・。
「って、おい・・・どうした?」
先ほどから倒れ付したままぴくりとも動かない少女に、殷雷が声をかける。これはどうやら・・・
「熱・・・か」
少女の額に触れると、そこは酷く熱い。しかし何故、こんな人など立ち入らない森の奥に熱を出した子供がいるのか。
「おい、平気か?」
明らかに平気ではなさそうだが、とりあえず尋ねる。少女は、ひくりと指を動かした。俯せに倒れたままでは苦しいだろうと、少女を仰向けにして上体を僅かに持ち上げた。殷雷に寄りかかるような態勢になった少女は、小刻みな息を僅かに和らげた。相変わらず、殷雷の髪はきつく掴まれたままだったが。
熱を出した子供には、何をしてやればいいのか。彼にはわからない。ぐったりとした少女を抱え、どうしたものかと途方に暮れる。やはり自分に子守は無理だ。
「・・・ぅ・・・」
「っ・・・!!」
鈴を転がすような声に、殷雷はまたしてもびくりと身を強ばらせた。少女のうっすらと開かれた黒い瞳が、心許なく揺れる。その視線が自分に辿り着いた時、殷雷は酷く喉が渇いたような気がした。
そのまま暫し、少女は殷雷を見上げていた。そして、ぽつりと呟く。
「・・・かずほ」
「・・・は?」
「わたしの・・・なまえ、です。あなたは・・・だぁれ・・・?」
「・・・殷雷」
へらりと力なく、少女は微笑んだ。何が嬉しいのか、殷雷にはわからない。
「ところでお前」
「かずほ・・・」
「・・・和穂、こんなところで何をしている。子供が一人で来る場所ではないだろう。親はどうした・・・おい、聞いているか?」
目を閉じ、息を上げ始めた和穂を、揺さ振ろうとして思い止まる。己の無力が、ただ悔やまれた。
「・・・か、く」
「?何か言ったか」
「・・・て、ぃ・・・かく・・・」
和穂の言葉に、殷雷は聞き覚えがあった。だが、どこで聞いたのかまでは思い出せない。
「ていかく?そいつがお前の保護者か?」
「・・・・・・」
「おい、和穂・・・」
再び、和穂は意識を失ったようだった。殷雷は、このままでは和穂が危ないのではないかと思った。
まだ春になったばかりのこの森では、身体も冷えてしまう。
「・・・いや、熱があるなら冷やしたほうがいいのか?」
しかし身体を冷やすのはよくないのではないか。あまりにも高熱の時は、脇の下を冷やすとよいと聞いたような気もする・・・己の知識を掘り返しつつ悩む殷雷。
刹那、彼の表情が一変した。
強烈な殺気に気付いて、和穂を抱えたまま視線を走らせる。
「・・・?」
そこにいたのは、身体のあちこちに包帯を巻いた、一人の少年だった。
殷雷の前に現れた少年は、顔の左半分を包帯で隠し、残った片目で鋭く彼を睨み付けている。和穂と同じくらい小柄な身体からこの殺気が出されているとは、俄かに信じられなかった。
「・・・・・・」
腕や足も包帯で巻いているので、相手は手負いのようだが侮ってはいけない。そう殷雷の本能が告げていた。何をしてくるかわからない少年を警戒し、殷雷は和穂の身体を抱き上げる。
途端、少年の殺気は更に膨れ上がった。いつ攻撃してきてもおかしくない態度に、殷雷が立ち上がる。
「ん・・・っ」
抱えられた和穂が小さく声を上げた。また具合が悪化したのかと、殷雷が焦ったその時。
「かずほ!」
高めの、声。それに反応したのか、和穂が重そうに目蓋を持ち上げた。
「・・・・・・く・・・」
擦れた声は、殷雷に聞き取れない。
そして、殷雷たちの元に駆けて来た少年は、殷雷の腕を思い切り引きながらもう一度和穂と叫んだ。和穂の視線がふらふらと動き、少年に辿り着く。
「・・・てーかく・・・」
ふやんと頬を緩めて伸ばされた手を、程穫はしっかりと握った。
「・・・こいつが程穫・・・?保護者じゃなかったのか・・・」
確かに、和穂は程穫が保護者だとは一言も言っていない。唖然としている殷雷の腕を、程穫は更に引く。
「かずほをかえせ・・・!!」
強く引かれてバランスを崩し、落としそうになった和穂をゆっくりと程穫の元に下ろしてやる。和穂にしがみつくように抱きついて、程穫はその額に唇を寄せた。
殷雷の顔に濃い苦渋の色が浮かぶ。
「たく、最近のガキは・・・」
「なんで、こんなにねつがあるのに、きた・・・」
程穫が表情を歪めて言う。先ほどの行為は、和穂の熱を看るためのものだったらしい。そうに違いないと殷雷は己に言い聞かせる。「だっ・・・て、いなかった、から・・・」
和穂が擦れた声で答えた。
「もりにいくって、いっておいただろ・・・」
「ん・・・でも、てーかく・・・いなかった・・・から・・・」
どうやら、程穫が森に出かけている間に、和穂が追いかけて来たらしい。熱があるにもかかわらず。
そこまで心細かったのだろうか。殷雷には理解できない感情である。
「かえるぞ」
「・・・ん」
程穫が、和穂を背負って歩き出した。すると和穂は、小さく身を捩って呟く。
「てーかく・・・ひとりで、あるけるよぅ・・・」
「うそだ」
熱で朦朧としている和穂に、家まで帰る体力があるとは思えない。
「ちうか、お前こそ家まで保たないだろう」
殷雷が、程穫の背から和穂を抱き上げる。すぐさま程穫が殺気立った視線を向けるも、殷雷は気にせず歩きだした。
「こんなところで言い争ってないで、こいつを早く家に連れていくべきではないのか?」
程穫が和穂を背負って行くより、殷雷の手で運んだ方が早いし和穂も楽である。それは誰の目からも明らかで。
「家はどこだ?」
「・・・」
「早く帰ってやらないと、こいつが辛いだろう」
「・・・っ」
程穫が、ぎり、と鳴るほど強く歯を噛み締める。だが、迷ったのは一瞬のことで、すぐに殷雷の前を歩き始めた。
「どこに行ってたんだいお前たち!勝手に外へ行くなといつもいつも・・・!!」
「おお、殷雷刀。やはりその気になってくれたか」
森を出てすぐのところにある赤い屋根の家が、子供たちの住まいだった。
扉を開けるなり目に入ったのは、泣きながら怒っている龍華と、そして今朝話をしたばかりの護玄だった。
「な、何でお前らがここに・・・ま、まさか、今朝言っていた子守の話は・・・」
「もちろん、この双子のことに決まっているだろう」
「・・・」
「紹介する前からそんなに打ち解けているとは、さすがだな殷雷刀。惠潤でもこうは行かなかったぞ」
「そ、そうだ!惠潤に子守を頼めばいいではないか!あいつは子供好き・・・」
殷雷の言葉が終わる前に、護玄は言った。
「あとはお前しかいないと言っただろう。他の者たちにはもう匙を投げられた」
「・・・何されたんだ?」
「それはお前自身の目で確かめてくれ」
護玄の意味有りげな台詞を殷雷が理解したのは、それからまもなくのことであった。