砂糖
双子が暮らしている赤い屋根の家は、すぐ傍に森がある。
その森に入って暫し歩いたところに、殷雷の住居があった。
とは言え彼は人間ではなく刀なので寝ることはない。本来は食べる必要もないのだが、彼の場合は特別だった。食にこれほど興味を持つ刀は、他にいないのではないか。
殷雷刀は、いつも身体を休めている大樹に背を預け、ぼんやりと空を眺めていた。ひらひらと小さな蝶が飛んでいる。
今日は和穂たちに何を差し入れようか、などと考える。そう言えば和穂は最近菓子を作りたいと言っていたな・・・材料の砂糖が手に入らなくて諦めたと聞いた。確かにあの寂れた村で、裕福でもない彼女が砂糖を手に入れるのは難しいだろう。
「砂糖か・・・」
しかしこの森でそんなものが採れる訳もなく。
酒ならばいくらでも手に入るのだが。酒を作り出す道具である彼女に、砂糖を作ってくれなどと言える訳もない。いっそ自分で育ててみるか。時間はいくらでもある・・・。
「・・・手渡すのは何年後だよ」
砂糖を手土産にするのは無理のようだ。考えるのが馬鹿らしくなり、殷雷は溜め息を吐いて項垂れた。
「どうしたの殷雷。具合悪いの?」
「っ!?」
まさかと思いつつ殷雷が顔を上げると、そこにはちゃんと和穂がいた。
「っか・・・和穂?なっ、ど、そん・・・」
「?」
どもりまくる殷雷を和穂は不思議そうに見つめる。その視線が更に彼の舌をもつれさせている事に、和穂自身は気付いていない。
「殷雷、大丈夫?」
ぺと、と和穂の手が頬に触れ、殷雷は目を見開いたまま硬直する。
己より一回り以上小さなその手は、ほんのりと温かく。今日の和穂は熱を出していないようだと、心配されている側の殷雷が安堵した。
「気分がよくないなら、龍華師匠のところに・・・」
「い、いや。その必要はない。気にするな」
「本当?」
「ああ、むしろお前はどうなのだ。熱は出ていないようだが・・・」
和穂は幼い頃によく殷雷の元へ遊びにやってきたが、三回に一度は熱などで倒れていた。
和穂はぷくりと頬を膨らませる。突いてやりたい衝動にかられたが、ますます怒らせてしまうだろうから、何とか耐えた。
「大丈夫だよ。子供の頃とは違うんだから」
「今も子供だろう」
「違います!」
結局和穂を怒らせてしまう殷雷だった。
「もう、折角差し入れ持ってきたのに・・・」
「差し入れ?」
殷雷が双子宅へ行って何かをご馳走になることはよくあることだが、和穂の方が殷雷の元へ来ることは珍しかった。しかも和穂は一人である。いつも彼女の隣にいるお付きの姿はない。そのことを尋ねようか迷ったが、やめた。口にした途端に出て来そうな気がしたのだ。
「あのね、この前言っていたやつを作ってみたの」
「この前・・・?」
殷雷の前に、手のひら大ほどの白い包みが差し出された。そこからは微かに、甘い香。殷雷が虚をつかれたような顔を上げると、笑顔の和穂が目に入る。
「お菓子だよ」
解かれた包みの中には、一口大の菓子が更に甘い香を放つ。
「ね、食べてみて」
「・・・お、おう」
急かされて、菓子を一つ口に放り込む。ふわりと、甘さが口の中を満たした。
咀嚼する殷雷を、緊張した面持ちの和穂が見つめる。
「んむ・・・美味い」
「よかった!」
和穂が安堵したように息を吐いてから笑った。
もう一つ菓子を食べながら、殷雷は気になっていたことを尋ねる。
「ところで和穂。お前、砂糖はどうしたのだ。手に入らないのではなかったのか?」
だからこそ、自分は砂糖を入手しようとしたのに。結局それは考えただけで終わってしまったが。
和穂は、緩んだ顔を更に綻ばせて、答える。
「あのね、兄さんが買ってきてくれたの!」
殷雷の顔が明らかに渋いものを食べたそれへ変わった。
「一足早い誕生日祝いだって」
確かに、和穂が砂糖をほしがっていた様子を程穫も見ている。
「私、嬉しくていっぱいお礼を言ったら、もう沢山だって言われちゃった」
つまり、出遅れたと言うことか。
「近くで薬草取ってからこっちに来るはずだから・・・。殷雷もお礼を言ったら怒られちゃうかな」
程穫と同じ考えをしてしまったことが、酷く悔しかった。