洗濯

その日は雲一つない青空で、洗濯のために外へ出てきた和穂はうわあ、と声を上げて頭上を仰いだ。
洗濯物を入れて抱えていた桶を地面に降ろし、天に向かって両手を突き出す。
「んー・・・っ」
長く長く伸びをして、へたりと腕を降ろすと気持ちいい。数度、深呼吸をしてから、和穂は洗濯物を持って近くの水場に向かって歩き始めた。

「また勝手に・・・」
蓄めてあった洗濯物と、置いてあった洗濯道具がなくなっていることを確認し、程穫は眉間に深く皺を寄せた。
薬草を売るため出かけているうちに、和穂は外出したらしい。口から突いて出る文句を飲み込み、程穫は再び家を出た。
言いたいことは、和穂を見つけてから言えばいい。

洗濯は好きだ。運動になるし、終えた時の達成感はとても嬉しい。
「るるるぅ~」
即興で作った歌を口ずさみながら、和穂は次々と洗濯物を片付けていった。
「よし、終わった!」
木と木の間にに結わえられた紐と、そこへかけられた洗濯物が揺れている。丁度いい風が吹いているので、すぐに乾くだろう。
木の傍に腰を降ろして、和穂は木々の合間に覗く空を見上げた。
青い青い空、鳥がほぼ点に見えるほど高いところを飛んでいる。
「・・・気持ちよさそうだなぁ」
自分も、あのように・・・

「お前も気持ちよくなりたいのか」

首が軽く痛むほど上を見ていた和穂は、突然差した影とその声に、声を上げて驚いた。
「それなら今すぐにでも俺が気持ちよくしてやろうではないか」
言って身を屈めるのは、間違いなく彼女の兄で。
「ふゃ・・・っ、に、兄さん?どうして・・・?」
和穂の頬にかかる髪を掻き上げ、息がかかるほど近く顔を寄せてくる程穫。
「どうして?お前が望むなら容赦しない。そう決めていた」
「え?えと、あの、どうしてここに来たのかなぁって、思って、ふきゃ・・・」
途端、程穫の顔は不満そうにしかめられた。不味い事を聞いてしまったのだろうかと、和穂は焦る。

「・・・断りもなく外出したお前を叱るために来た」
兄の言葉に、和穂はぱちりと目を瞬かせる。
「え?ちゃんと、洗濯に行ってきますって声をかけたけど・・・」
「どこに」
「兄さんに」
「面と向かってか?」
「ううん、扉越し・・・あ」
勝ち誇ったように、程穫が笑みを浮かべる。その目は全く笑っていなかったが。
「俺は、お前に面と向かって、薬草を売ってくると宣言したはずだが」
和穂がたらたらと汗を流す。
「まさか、俺が出かけていることを忘れていたのではあるまいな?」
顔面蒼白の和穂と、不気味なほど微笑んでいる程穫は、暫したっぷりと見つめ合う。
「・・・・・・ご、ごめんなさい」
「何故部屋の中を確認しなかった」
「ね、寝てるのかと・・・思い、ました」

「もしそうだったとして、俺が目を覚ました後に、お前がいないことに気付いてどう思うかは考えなかったのか」

「っ・・・!!」
和穂の眉根がぎゅっと寄せられる。そんな事は思い付きもしなかったのだろう。それよりも彼女は。
「俺の睡眠を妨げるのは申し訳ないとでも、思ったのか?」
和穂を抱き寄せてそう言うと、彼女は兄の胸に顔を埋めたまま、消えそうな声でごめんなさいと呟く。小さく震える肩に、程穫は頬を寄せた。見ることはできないが、和穂は必死に泣くまいと歯を食い縛っているのだろう。ここで泣いてしまうのは卑怯だと考える性格だと言うことは、彼が一番よく知っている。
「和穂」
名を呼ぶと、小さく肩を震わせただけで、和穂は顔を上げなかった。程穫がもう一度呼ぶ、すると擦れた声で返事をしてきた。

「・・・俺が、嫌いになったか?」

弾かれたように、和穂の頭が上がった。
「なってないよ!」
はっきりと言われて、程穫は息を吐く。
「そうか」
ぽつりと言って、彼は濡れた和穂の頬を手で拭った。和穂が、わたわたとうろたえて顔を背けようとする。それを捕らえて、無理やり視線を合わせる。
「嫌いじゃないが、目を合わせるのは嫌なのか?」
「違うよう・・・っ」
泣いた顔を見せたくないのだ。そんなことはわかっている。だが、それでも。
「違うなら、俺の目を見られるだろう?」
「・・・っ」
「無理にとは言わない。嫌なら・・・」
「や、じゃない・・・っそんなこと、思ったりしないよ!!」
ほろほろと、涙を零しながら和穂は叫ぶ。今度は、しっかりと程穫の目を見つめて。
「・・・そうか」
程穫の口元が僅かに緩み、そして苦笑する。
「すまない」
「兄さんは何も悪くないよ・・・?」
「お前を泣かせた」
「え?でもこれは、私が勝手に泣いただけだから」
当たり前のように言われて、程穫は唇を噛んだ。悪いのは己だと言うのに、安堵に顔が緩んでしまう。
「・・・すまない」
「え、えと、だから兄さんは・・・」
和穂の言葉を遮るように、程穫はその身体を強く抱き締めた。

「ありがとう」

突然のことに驚いていた和穂が、更に目を見開く。
息を呑む和穂の様子が見えずとも程穫に伝わる。
「えとっ・・・ど、どういたしまして・・・?」
くすりと程穫が笑って顔を上げた。困惑していた和穂は、兄の笑顔を見てやっと己も顔を綻ばせる。
「・・・よかった」
程穫は、何がよかったのだと不思議に思った。
しかし、心底安堵した様子で、ぎゅうと和穂がしがみ付いてきたので、無理に顔を上げさせる必要もないだろうと、疑問を尋ねることはしなかった。