訪問
「こんにちは!和穂です!」
龍華の屋敷(と思われる場所)は、沈黙を保ったまま。
普段なら、和穂が声をかければ間を置かずして龍華が飛び出してくるのだが。
「師匠、出かけてるのかな」
「なら帰るぞ」
言うなり和穂の手を掴んで、歩き出す程穫。引っ張られた和穂がたたらを踏む。
「わわ、ま、待って兄さん。せめて置き手紙くらいさせて」
「そんなことまでしてやる必要はないだろう」
先ほどまで珍しく笑顔だった程穫は、途端に不機嫌顔へ変わってしまった。
それが少し残念で、和穂の眉が八の字に下がる。
「えと、でも知らせておきたいの。早く帰りたいのに、待たせてごめんなさい」
「・・・早くしろ」
和穂の手を放して、程穫が言う。
「もしかして兄さん、何か用事があるの?」
随分と急かしてくる兄に、和穂は首を傾げつつ尋ねた。和穂は一緒に帰りたいのだが、彼が急いでいるのなら。
「それなら、兄さんは先に帰」
「無駄な話をしていないで、早く書け」
何故、程穫がますます機嫌を悪くしたのか、和穂には全くわからなかった。
こんなこともあろうかと、携帯していた一枚の紙と筆代わりの木炭を取り出す。失敗は許されない。
「龍華、師匠へ・・・と」
「和穂。「龍」の線が一本多いぞ」
「うわ、どうしよう!紙が一枚しかないのに・・・」
「別にいいだろう」
「よくないよ。仕方ない、端っこだから破っちゃおう」
「紙の真ん中で間違えたらどうする気だ?」
「・・・間違えないように気を付けます。あ、兄さん」
「何だ」
「教えてくれてありがとう」
ふわりと微笑む和穂に、程穫は小さく頷き返した。
「この度は、お招き頂いて・・・ありがとうございます」
「お前がそこまで感謝する必要はないだろう」
「あるよ。折角呼んでくれたんだもの」
「・・・・・」
むすっとして黙ってしまった程穫を見て、和穂が首を傾げた。
「お屋敷に伺ったのですが、お留守のようなので・・・お手紙だけで失礼させて頂きます、と」
「・・・・・」
「・・・また丁寧過ぎるとか思ってる?」
「・・・・・別に」
これは絶対そう思っている顔だ、と和穂は思った。
「できた!待たせてごめんなさい」
「いや。早く置くなり挟むなりして帰るぞ」
程穫の台詞に頷くと、黒い門に手紙を挟むべく和穂が手をかける。
ぐらり、と和穂の身体が傾いだ。
「え?」
「和穂!」
程穫が手を伸ばし、倒れかけた和穂を引き寄せる。
「怪我はないか」
「う、うん、大丈夫。ありがとう兄さん」
和穂の書いた手紙は、開かれた門の奥へ吸い込まれるようにして飛んで行った。
『・・・・・』
和穂は、困惑した顔で手紙を見送る。そんな彼女を抱き締めたまま、耳元へ口を寄せる程穫。
「帰るぞ」
ぼそりと呟くと、和穂はぱちりと目を瞬かせた。
「え、で、でも、門が開いたよ」
「手紙を受け取るためだろう」
「えとっ、入っていいよって言うことだと思うんだけど」
「それは気のせいだ。俺たちを入れるつもりなら、お前が手紙を書く前に開けているだろう」
「・・・そっか。そうだね」
こくこくと頷く和穂の手を掴み、身を翻す程穫。
刹那、世界が揺らいだ。
「にぃさっ・・・」
「っ!?」
しっかりと握り締めていたはずの温もりが、するりと流れる。
振り返り、手を伸ばした程穫の目の前で、和穂の姿が消えた。
「・・・・・」
残っていた温もりは、程穫の手から煙のように解けていった。
見開いた目で、己の手に視線を向ける。僅かに、指先が震えていた。
そこに、いたのに
しっかりとつかんでいたのに
「・・・かず、ほ」
ぽつりと呟き、後ろを振り返っても、広がるのは鬱蒼とした森が広がるばかり。
「っ和穂・・・!」
叫んだ声が聞こえないくらい、自分の心臓の音が身体に響く。
大きく震え始めた手を握り締め、門の奥へ視線を向けた。
早く見つけないと、自分はおかしくなってしまう。
黒い門を抜け、歩き続けること暫し。
やっと、屋敷の外観が見えてきた。
顔をしかめたまま、周りを見ることもせず扉へ向かう程穫。
開かないかもしれないと思った扉は、意外なほど呆気なく動いた。
屋敷の中へ一歩入った途端、湿気を含んだ生温い空気が程穫の顔を撫でる。人に触れられているかのような感触に、彼は思い切り顔をしかめた。
触れられるのは好きじゃない。
誰かに近寄られるだけで不快になるのだ。他人の肌が触れようものなら、露骨に顔をしかめて振り払う。
今すぐこの場から立ち去りたい気分になったが、その気持ちを抑え込んで先へ進んだ。
暗い室内に、蝋燭よりも頼りない灯りが、ぽつりぽつりとある。
外が霧で薄暗かったお陰か、その暗さにもすぐに慣れた。
しかしとにかく広い。奥の方はうすぼんやりとしか見えないし、玄関の広さだけで自分たちの家が二つは入りそうだ。
玄関からは、右と左に廊下が伸びて、真正面に階段がある。どちらに進むべきか、僅かばかり考えて、程穫は左を選ぶ。
その道に何かあった訳ではない。何もなかった訳でもない。
ただ、己の奥底にある何かが、和穂はそちらだと告げていた。
暗く長い廊下を歩く。空気はいつの間にか冷たく、ひんやりしたものに変わっていた。
寒さには強い。両親を失い、火の扱い方もろくに知らなかった頃、和穂と互いにしがみ付いて冬を越しているうちに、耐性がついたのだろう。
しかし和穂は寒さが苦手になってしまったようで、冬はたまに眠れないこともあるようだ。あまりに寒い夜は、今でも程穫が和穂の布団へ潜り込んでいる。夜這いに来たのだと言ってやると、和穂はくすくす笑いながら『ありがとう兄さん』と言いながら抱きついてきて。和穂の身体は十分温かく、自分がかえって冷やしてしまうのではないかと思うほどなのだが、いつもその後すぐに和穂は寝てしまうので、役に立っていない訳ではないのだろう。
和穂の温もりを思い出したら、少しだけ気分が楽になった。
暗い廊下を歩き続けること暫し、突如視界が開けた。
腕を眼前に掲げ、強い光から目を守る。
外に出たのかと思ったが、そうではなかった。
「やっと来たか。待ちくたびれたぜ」
かけられた声に、程穫は眉を潜める。目が慣れると、明るい部屋の中央に立っている男が誰なのか、区別がついた。
「・・・・・」
「待てこら程穫!無言で立ち去るな!!」
「鬱陶しい。放せ、なまくら」
肩を掴まれ、程穫は思い切りそれを振り払った。
「ったく、折角迎えに来てやったと言うのに、相変わらず生意気な餓鬼だ」
「・・・迎えに、だと?」
胡散臭そうな目で殷雷を見やる程穫。彼も和穂も、龍華の屋敷に行くことを誰にも言っていないはずだ。
その意思を汲み取ったのだろう、殷雷は溜め息を吐いて説明を始める。
「龍華に言われて来たのだ。お前らが邪仙に捕まったようだから、助けに行けと」
「邪仙・・・」
邪仙がどう言う者か、今一つ理解していない程穫だったが、とりあえず悪人の類なのだろうと言うことはわかった。
龍華の屋敷に向かう途中、霧に包まれた辺りから既に邪仙の罠か何かに捕らえられていたのだろう。
「何故わかった、とか言う問いはするなよ。帰ってから龍華に聞いてくれ」
そこまで言うと、殷雷は行くぞと言って身を翻した。
「・・・どうした。早く来い」
着いて来ない程穫へ声をかける。だが、程穫は動かない。
「和穂がいない」
「ああ、和穂なら屋敷の前に待たせてある」
「・・・・・」
「早くしろ。邪仙に見つかるぞ」
程穫を急かすべく、歩み寄り手を伸ばす殷雷。
その手が触れる直前で、程穫は殷雷を殴り飛ばした。
顔面を強打された殷雷は吹っ飛び、床に叩きつけられる。
がくがくと妙な動きで起き上がった彼は、面を上げると殷雷ではなくなっていた。
土塊がぼろぼろと零れ、頭は始めより二周りほど小さくなっている。このまま放っておけば、数刻もせずに塵と化すだろう。
『・・・何故・・・偽者だと、わかった?完璧、だったはず・・・』
殷雷だったものは、土を吐き出しながらたどたどしく尋ねる。
苛立たしげな視線を向け、程穫は言う。
「貴様が偽物かなど知ったことか。危ない輩がいる場所に、和穂を一人で置いて来たと言うから殴っただけだ」
『・・・・・』
「邪仙だか何だか知らないが、和穂に手を出してみろ。貴様の眼球を抉り出して、潰してから元に戻してやる」
『・・・・・・・・・・・・・』
「今すぐ吐け。和穂はどこだ」
『・・・・・・・・・・・・・・・・上の階の突き当たりにある部屋です』
素直になった相手の台詞を聞くなり、程穫は階段を探して歩き出した。
言われたとおり、上の階にある突き当たりの部屋へやってきた程穫は、躊躇なく扉を開け放つ。
「っ・・・」
「・・・に、兄さん?」
中央に立つのは、彼の捜し求めた少女の姿。
ゆっくりと歩み寄る程穫。
いまだ収まらない動悸はますます酷くなる。
伸ばされた程穫の手は、彼女の胸元をがしりと掴んだ。
「っぐ、くるし・・・!!」
和穂の姿をしたそれの首を容赦なく締め上げ、程穫は殺気立った視線を突き刺す。
「このまま死ぬか、和穂を返してから死ぬか、どちらが望みだ・・・」
目の前の人物は、和穂の姿をしていても、和穂ではない。根拠はないが、確信があった。
「うぐ、す、すいませっ、返します!だから殺さないで・・・!!」
「・・・・・」
ぼとりと落とされた和穂の偽者は、床を這うようにして部屋の奥にある扉へ駆け込んでいく。
先ほどの殷雷の偽者と違って、土塊に返ったりはしなかった。何か別のものらしいが、今の程穫にそんなことを気にする余裕はない。
「ど、どうしたの静嵐?何だかふらふらしてるよ」
「うぅ、何でもないよ。もう帰っていいから。待たせてごめんね」
「う、ううん、大丈夫だよ。えと、本当に大丈夫・・・?」
その、鈴を転がすような声を聞きつけると同時に、程穫の動悸が治まる。
無意識のうちに、足が動いていた。声の聞こえる扉へ歩み寄る程穫。
静嵐の名が聞こえたことは、気にもしていない。
「あっ・・・!」
「・・・・・」
程穫が扉に辿り着く前に、和穂が姿を現した。驚いて声を上げる彼女は、間違いなく本物で。
「兄さん!」
「っ・・・・・和穂」
駆け寄ってきた和穂が息を零す。だが、やめてとも苦しいとも言わない。ただ、嬉しそうに兄へしがみ付いている。
その身体に腕を回したまま、ぎゅうと骨が軋みそうなほど強く、程穫は力をこめた。
「捜したぞ」
「ごめんなさい」
「ずっとここにいたのか」
「うん。兄さんとはぐれた時、気付いたらこの部屋にいたの。そうしたら静嵐がいて、奥の部屋で待っててって」
「あれと一緒だったのか」
あれ、とは静嵐のことだろうと判断した和穂はそうだと頷いた。程穫の眉がぴくりと動く。
「・・・さっさと帰るぞ」
「う、うん」
他にも何か言いたそうな兄の様子に気が付きつつも、和穂は素直に頷いた。
「静嵐、またね。お邪魔しました」
自分が出てきた部屋の方へ和穂が声をかけると、扉の隙間からひらひらと手が振られた。恐らく静嵐の精一杯の挨拶なのだろう。
手を振り返す和穂を引きずるようにして、程穫はその屋敷から立ち去った。
帰り道、何故か兄の肩に担がれて、和穂は揺れていた。
「に、兄さん」
「何だ」
「重くない?」
「別に」
「・・・別に重いんじゃないの?」
「重くない」
程穫の歩調に合わせて、和穂の足もゆらゆらと揺れる。
足の揺れが身体に伝わり、全身がゆらゆらと揺れる。
「一人で歩けるから大丈夫だよ」
「・・・俺に担がれるのは嫌か」
「え、ううん、嫌じゃないけど」
「ならいいだろう」
会話を打ち切って、程穫は黙々と歩く。
何となく沈黙に堪えられなかった和穂は、別の話題を振ることにした。
「兄さん。あのお屋敷、やっぱり龍華師匠のじゃなかったよ」
「そうか」
「擬戦盤って言う、師匠が作った道具が作ったんだって」
「そうか」
「師匠はすごいねえ」
「そうか」
全く感情の篭っていない相槌を打つ程穫。
「ね、どうして擬戦盤と静嵐があんなことしたのか、気にならないの?」
「別に」
これほど興味のなさそうな兄の声を、和穂は久しぶりに聞いた。
「うう、怖かったよぉ・・・」
屋敷から脅威が去って、床にへたり込んでいる静嵐。そんな彼を見て、擬戦盤は彼の本性をとても疑った。
こいつは本当に武器なのだろうか。