感覚
ぱたぱたと軽い足音が、段々と近付いてくる。それは程穫の耳を心地好く震わせ、自然と頬を緩ませた。
少し苦しいようなこの感覚は、嫌いではない。それは喜びと期待の感情だと、まだ幼い彼にはあまり理解できていなかった。
内容もわからず、ただ眺めていた本を座っている寝台に置く。
「てーかくっ」
鈴を転がすような声が、自分を呼び求めているのだと思うと、ますます喜びは溢れて。
和穂が扉から顔を覗かせる頃には、柔らかい笑顔が自然とできあがっていた。
「みつけた!」
探していた兄が笑顔で振り返ってくれた。それが嬉しくて、和穂も花が綻ぶように顔を緩める。
脇目も振らずに和穂が駆け寄ると、程穫は幼く短い腕をめいっぱい伸ばして、その小さな身体を寝台の上で受け止めた。和穂も、包帯を至るところに巻いた兄に頬を擦り寄せてしがみつく。
彼の包帯の下にある傷はほぼ塞がっているので、和穂が思い切り抱き着いても痛くはない。
片割れの温かい身体をしっかりと抱き締め、思い切り深く息を吸う。傍にいるのだと実感できるこの時が、双子は好きだった。日に何度も互いに手を伸ばしては、こうして触れ合っている。そうするととても安心できた。
「あ、そうだ!ね、てーかく」
「・・・ん。なんだ、かずほ」
和穂がぱっと顔を上げる。温もりが離れて、程穫は夢から覚めたばかりのように力のない返事をし、和穂を見やった。
「あのね、いんらいが、ごはんつくってくれたの!」
暫く前に両親を失った双子を、殷雷は毎日のように様子を伺っては何かと面倒を見ている。
情に脆い刀である彼は、闘うことより幼子たちのために包丁を振るうことの方が楽しいかのように、周りからは見えた。ただし、本人は激しく否定しているが。
程穫は、殷雷の名を聞いた途端、力なく開かれていた隻眼を更に細めた。同時に緩んでいた唇が尖る。
和穂が殷雷の名を呼ぶだけでも、程穫は自分の機嫌が悪くなることを理解していた。ただし、その感情が嫉妬によるものだとはまだわかっていなかったが。
「いんらいのところにいこう」
腕を引いて程穫を立ち上がらせようとする和穂に体重をかけ、逆に押し倒す。和穂が起き上がれないように、上にのしかかって押さえ込む。
「て、てーかく?」
ぱたぱたともがいて、自分の力ではどうしようもできないとわかった和穂が困惑気味に兄を呼ぶ。しかし程穫は答えない。和穂の首元に頬を寄せているため、彼女からは顔を見ることもできなかった。表情が見えずとも、和穂が不安を覚えていると、程穫にはすぐ伝わる。彼女を困らせたくない。しかし感情は抑え切れない。どうやってこの場を収めるか、程穫は暫し迷う。
「・・・もうちょっと」
かすれる声で呟いて、和穂にしがみつき顔を擦り寄せる。その一言で、和穂はすぐ笑顔を取り戻した。
「うん!もうちょっとね」
兄に腕を回して和穂も頬を寄せる。ぷにんとした感触が頬に触れて、眠気にも似た心地好さが程穫の身体を包んだ。和穂も安心しきった顔で程穫に体重を預けている。
あと少しと言ったが、できるならずっとこのままでいたいと思った。
「おい、飯ができたと何度言わせるんだお前らは。とっとと起きろ」
和穂が戻ってこないと様子を見に来てみれば、二人揃ってすっかり寝入っている双子に、何度目かの声をかける殷雷。更に双子の首根っこをそれぞれ掴み、ぶらぶらと揺らし起こす。
程穫は既に起きていたようだ。和穂と離されまいと思い切りしがみついていたが、武器の腕力には敵わず引き離されてしまった。今は殷雷を思い切り睨みつけながら揺れている。
和穂も何度か揺らされて、やっと目をうっすら開けた。まだ眠いのか、何度も瞬きをしてから、とろんとした目を殷雷に向ける。
「・・・うゅ・・・ぁ、いんらい・・・おはよう・・・」
「何がおはようだ。程穫を呼びに行ったお前が、一緒に寝てどうする」
「・・・・・・あ!ごはんだった!」
「忘れてたのか・・・」
肩を落とす殷雷を見て、和穂が申し訳なさそうに眉根を寄せた。
「ごめんなさい」
ぶら下がったまま頭を下げようとする和穂を、寝台へ下ろす殷雷。程穫も同時に下ろしてやると、険しい顔のまま和穂にしがみついて行った。
数年後の殷雷ならば、ここで絶叫しながら程穫を引き剥がしにかかるのだろうが、まだ六歳の幼子が相手である。一抹の不安を覚えつつも、溜め息だけで済ませた。
未来の自分が、この段階で程穫を妹離れさせておけばよかったと深く後悔していることを、今の彼は知る由もない。
「さっさと飯にするぞ」
先ほどの謝罪に返事をする代わりに、和穂の頭に手をやる殷雷。すると間髪入れずに程穫の手刀が彼の手首にめり込んできた。
まだ幼い子供のすることだから痛くもないが、悪くない太刀筋だと武器の思考は判断した。