異変

いつもとても優しいから、そうではなくなると不安になる。

朝ご飯の仕度をしていた和穂は、太めの眉を僅かに寄せ、困惑気味に兄を横目で見ていた。
特に怒らせるようなことをした覚えはない。朝起きて、朝食を作っている時に程穫が薬草取りを終えて帰宅した。その時から機嫌が悪い。
朝食を卓に並べながら、何かいけないことをしてしまったのだろうかと和穂は考える。

おかえりなさいと和穂が口にする前から、兄の顔は険しかった。つまり、もっと前に気を悪くするようなことをしてしまったのだろう。
昨夜おやすみなさいと言った時はどうだったか。あの時は優しそうに笑って返事をしてくれたはずだ。
朝は程穫が帰宅するまで顔をあわせていないので、和穂が寝ている間に何かがあったと言うことになる。

そこまで考えて、和穂はやっと自分に向けられた視線に気付いた。

そろそろと顔を上げれば、程穫の隻眼と正面からぶつかる。いつの間にか、考え事に没頭して食事を並べる手が止まっていた。
「えと、ごめんなさい。ご飯食べよう」
慌てて残りの皿を持って来て自分も席に着く。その間も、程穫はじっと和穂を見つめていた。
もの言いたげな表情なのに何も言わないのは、食事が始まるのを待っているのだろう。そのまま思ったことを内に秘めるほど、彼は大人しくない。

「いただきます」

二人揃って手を合わせ、和穂だけがそう言って、また同時に手を下ろした。箸を手にするやいなや、程穫が口を開く。
「和穂」
「は、はい」
怒られる、と和穂が身を固くする。しかし程穫の台詞は、説教ではなかった。
「何を考え込んでいる」
「えっ?えと、その・・・」
素直に言うべきか、和穂は悩む。怒っている理由を考えていたと白状したら、兄は理由を言ってからまた怒るだろう。もしここで誤魔化したとしても、程穫はすぐに気付く。そして嘘をついたことを叱るに違いない。つまり、どちらにしろ兄が怒ることに代わりはないのだ。それなら和穂が言うことは決まっている。
「あの、その、兄さんが怒っているみたいだから、何か悪いことをしてしまったのかと思って・・・」
最後の方は声が擦れてしまった。だがその台詞はきちんと兄に届いたようだ。程穫は一度目を瞬かせて、うっすらと苦笑する。
「お前が『悪いこと』とやらをしたら、いつも俺はどうしている?」
突然尋ねられて、和穂は困惑しつつも考える。
「えっと・・・私が悪いことをしたら、兄さんはすぐに叱るよ・・・あっ」
口元を押さえた和穂を見て、程穫は深く頷いた。
「よくわかっているじゃないか。ついでに、叱らない時点で俺がお前に対して怒っている訳ではないと言うこともわかってもらえたようだな」
「う、うん。でも、どうして兄さんが怒っているのかはわからないよ」
「お前のせいじゃない」
「うん。でも、私に何かできることがあったら言ってね」
「ああ・・・すまなかったな」
少し俯いて、程穫が呟く。何を謝られたのかわからない和穂は、ぱちりぱちりと目を瞬かせる。
「・・・お前に、余計な気を使わせた」
和穂が訪ねる前に、程穫が口を開いた。何も言わずとも気持ちを察してくれる兄に、和穂は嬉しくなる。

「ううん、大丈夫だよ。兄さんのことは、いつも気にしていたいもの」

先ほどの和穂と同じように、程穫がぱちりぱちりと目を瞬かせた。兄でも理解できないような言い方をしてしまったかと、和穂は少し困惑する。
「えと、兄さんはいつも私のことを気にかけてくれるでしょう?私も同じくらい、兄さんのことを考えてるって言うか・・・」
何と言ったらよいのか、和穂は悩む。そんな和穂を見やり、程穫の目が細められる。
「・・・いつも、想い合っていると言うことだな」
「あ・・・う、うん。そうだね!」
頷きつつ、今日は一回多く兄の笑顔を見られたと、内心喜ぶ和穂だった。

その日のお昼、殷雷は双子宅の玄関を開けるなり、程穫から殺気だらけの拳を繰り出される。
「いきなり何だ!?」
寸でのところでその攻撃をかわし、叫ぶ殷雷。
「うるさい。貴様のせいだ。死んで詫びろ」
「俺が何をした!?」
「朝に貴様が湧いて出たからだ。とにかく死ね」
「死んでたまるか!朝に森で顔を合わせただけだろ!お前も挨拶くらいしやがれ!」
玄関の外で繰り広げられる二人の言い合いを、昼食の準備中だった和穂は聞くことができない。
結局彼女は兄の機嫌が悪い理由がわからないままだった。