時間
それは、今から十年程前のことだったと思う。武器である殷雷にとって、時間はあまり重要なものではなかったが、双子と出会ってからは随分と気にするようになっていた。ここまで時間を気にする機会があるとは、正直思っていなかった。
その時、殷雷は激しく動揺していた。戦いの最中であっても、ここまで取り乱すことはほとんどなかっただろう。
座り込んだ彼の膝には、まだ幼い少女が乗っていた。肩を小さく震わせ、殷雷の服を両手で握り締めている。その手は固く握られ、指先は赤くなっていた。そこまで強く掴まなければならないほど、少女は必死だったのだ。
殷雷は落ち着きなく視線をさ迷わせて、口を開けては閉める。何を言えばいいのか、全く思いつかない。武器として存在してきた彼には、泣きそうな幼子にかける言葉など考えたこともない。そして、彼が何も言えない理由はそれだけではない。
大きな瞳を涙に揺らがせて、和穂は何度も殷雷に尋ねたことをもう一度尋ねる。
「いんらい、わたしのこときらいなの・・・?」
和穂が唐突にしてきた、自分のことが好きかと言う質問は、彼女にとって何気ないものだったのだろう。しかし、殷雷は目を見開くばかりで何も答えてくれない。始めは笑顔だった和穂も、次第に表情が陰り、とうとう泣き出す寸前になってしまった。
ただ頷いてやるだけのことが、どうしてできないのか。殷雷には自分の考えが理解できなかった。幼子の他愛無い問いかけだと、何故か納得することができなかった。
「っ・・・・・!」
苦しげに息を呑み、やっとの思いで視線を下ろせば、今にも涙が溢れそうな和穂の瞳が視界に入る。
本人がわかっていないことなのだから、幼い和穂も何故殷雷がここまで困っているのか理解できない。だが、殷雷を困らせるのはよくないと思ったようだ。名残惜しそうにしながらも、手を放して立ち上がる。
「・・・いんらい・・・ごめんね。もう、あそびにこないから・・・」
嫌わないでほしいと、涙を零す瞳が訴えていた。
殴られたような衝撃が、殷雷の身体に奔る。今まで喉を塞いでいた何かが砕けたような気がした。
羞恥のあまり目を瞑り、叫ぶ。
「っ俺は!お前が―――――」
まさに瘴気とも呼べるほどの重苦しい空気が、とてもこの幼子に出せるとは思えない。しかし、現に目の前でその光景を起きているのだから否定のしようがない。
「てーかく・・・」
まだ涙の残る顔で、振り返った和穂がへらりと笑った。少しだけ程穫の気配が鎮まるが、殷雷に向けられた殺気は揺るがない。
駆け寄る和穂に、しがみつくかの如く抱き着く。また少し、程穫の気配が穏やかになった。
「かってに外にいくな」
「ごめんなさい・・・」
「あやまってもだめだ」
「・・・えと・・・どうすればいいの?」
「もう外にいくな」
「うぅ・・・しんぱいさせて、ごめんなさい・・・」
「・・・・・かずほ」
「なあに?」
「おれのこと、きらいか?」
「ううん、だいすきだよ」
くっついて何やら言い合う双子の横で、殷雷は大きく肩を落として消沈していた。和穂に向けて言った台詞が届いていなかったことに、落胆しながらも安堵する。和穂の涙より、程穫の殺気の方がまだ慣れている分、辛くなかった。
「・・・あ、あの、いんらい・・・」
「お、おう。何だ和穂」
恐る恐る声をかけてくる和穂。その後ろからは、程穫の殺気だった隻眼が見え隠れしている。
「よかったら・・・こんどは、いんらいが、うちにあそびにきてくれる?」
幼子にしては随分と殊勝な誘いに、殷雷は失笑する。
頷くと、和穂が嬉しそうに顔を綻ばせた。
「やくそくだよ!」
「おう」
程穫にずるずると引きずられながら、和穂が手を振る。小さく振りかえした手で、誤魔化すように頭を搔き、殷雷は大きく息を吐いた。
今度とは、何日くらい先のことを指すのだろうか。
まだ暫くは、時間を気にする日々が続きそうである。