転寝

今日は天気がよいので、布団を干すことに決めた和穂は、家の前へ卓を運んでいた。布団はいつもこの卓の上に干している。食事をする卓とは違って、足が短く軽いため、和穂一人でも引きずって運べば動かせる。
長めの一枚板の上に、兄と自分の布団を並べて敷いた。見上げると、空は雲一つない。少し早い春の日差しが、柔らかく降り注いでいる。
ぽかぽかと言う陽気が相応しいその空間で、和穂は布団をじっと見つめていた。傍目にはわからないが、実は彼女の中で激しい葛藤が繰り広げられていたのである。

この布団の上に飛び込みたい・・・!!

日光を受けてほどよく温まった布団が、ふわふわと和穂を誘う。風もなく、雨が降る気配もない今日は、絶好の昼寝日和だ。少し触れると、もふもふとした感触が和穂の手を襲う。顔を埋めて寝転がりたいと、和穂は切望した。震える両手が、ついに布団を掴む。

ぽふん、と布団に身を沈めると、あっという間に意識が遠のいた。

「おーい、和穂・・・って、あれ?寝てるの?」
静嵐が首を傾げて和穂に歩み寄る。双子宅には珍しい客だった。
小さく寝息を立てている和穂の頬を、ぷにぷにとつつく静嵐。ある意味で大胆な行為だが、彼にはそれがどれほど危険を伴うのかわかっていない。
「ぐっすり寝てるなぁ。どうしよう」
辺りを見回し、誰もいないと判断する。そして静嵐も布団を見やって動きを止めた。
ぽかぽかと優しく降り注ぐ日光。気持ちよさそうに寝ている和穂。布団に触れると、絶妙な温もりと柔らかさが静嵐を襲う。
この誘惑に抗えるほど、彼は我慢強くなかった。

「・・・あら、珍しい組み合わせね」
通りがかった流麗が見たのは、すやすやと寝ている和穂と静嵐の姿。二人ともとても気持ちよさそうだ。
普通なら微笑ましいと思うその光景だが、今の流麗には不快極まりなかった。
「・・・こっちは綜現を探して走り回ってるのに、呑気なものね・・・」
走り回っていた様子など欠片もなかったが、流麗は実際焦っていた。早く綜現を見つけないと、塁摩に何をされるかわからない。その焦りも手伝って、流麗は見た目以上に苛々していた。とりあえず、手近なところで憂さを晴らそうと決め、静嵐の身体に手を伸ばした。

「とりあえず、今すぐ真っ二つに折れろ」
「それを俺が了承すると思っているのか?そう思って言っているなら本気で心配してやるが」
「お前が了承しようがしまいが知ったことか。思ったことを言っただけだ」
「もう少し遠慮とか配慮とかを勉強しろ」
「毎日のように家へ上り込んでくる無礼者がよくそんな口を叩けるな」
「・・・・・」
無礼者はともかく、毎日のように双子宅へ通っていることは否定できないため、殷雷は口を噤んだ。その態度に満足したのか、程穫もそれ以上文句を言わない。森の入り口で鉢合わせた二人は、こうして仲良く家へと向かっている最中だった。
「・・・あら・・・また珍しい組み合わせに会った・・・」
ゆらゆらとした足取りでやってきた流麗が、呟くように言う。殷雷は露骨に嫌そうな顔をし、程穫は無視して通り過ぎようとした。
「・・・早く帰ってあげた方がいい・・・」
すれ違いざまの一言に、程穫が視線を向ける。しかし、流麗は佇むだけで何も言わない。
「さっさと理由を言え!まどろっこしい!」
あっさりと根を上げた殷雷が怒鳴る。和穂に何かあったのかと、気が気ではないのだろう。理想的な反応に、流麗は満足する。
「・・・和穂が大変そうだから・・・証拠を隠滅されないうちに戻るべき・・・」
これ以上の話は無駄だと判断した程穫が、身を翻して走り出す。
「お、おい!」
流麗を問い詰めようとしていた殷雷も、諦めて程穫に続いた。残された流麗は、大きく溜め息を吐く。
「・・・綜現も私の元へ駆けつけてくれればいいのに・・・」

急いで戻った二人は、信じられない状態に言葉を失った。通りすがりの人が見れば、和穂と静嵐が仲良く昼寝をしている微笑ましいものだったのだが、二人にとっては違った。

何故、静嵐が和穂と共に寝ているのか。
何故、静嵐の腕が和穂の腰に回されているのか。
何故、眠る二人の頬が触れあっているのか。

流麗絡が弄った静嵐の恰好は、彼女の意図通りに彼らへ衝撃を与える。とてつもない嫌がらせだった。
まず殷雷が近付いて、そっと静嵐の腕を解いた。気の抜けた顔をした静嵐と言えども本質は刀である。そこまでされたらさすがに目を覚ます。
「・・・ふぁ・・・殷雷、おはよう」
「俺は心が広い」
「へ?」
「お前をぶん殴る前に、一応釈明させてやる」
「え?」
「さあ、言ってみろ。何を言っても殴るけどな」
「それ、心が広いって言わなぉわあ!?」
静嵐が突っ込みを入れながら身を捩る。彼の着物が裂け、脇腹が覗いた。

氷の目をした程穫が、布団に刺さった包丁を引き抜く。

「っちょ、ま!なっ!?」
程穫には、殷雷のような釈明させる心の広さはないらしい。無表情で包丁を次々と繰り出している。半泣きでそれを避ける静嵐。
「はっはっは。程穫、早くトドメをさしてやらないと静嵐が可哀想だろう」
「い、殷雷!冗談言ってないで、助けてよう!」
あまりの殺気に泣き出した静嵐が殷雷の元へ駆け寄る。笑顔の殷雷は、もちろん助けてくれる訳もなかった。
「今の俺は冗談が大嫌いだ」
殷雷があてにならないとなると、もう和穂にすがるしかない。そう判断した静嵐が、和穂の肩を掴んでがくがくと揺さぶる。それが彼らの怒りを更に増大させていることに気付く余裕もない。
「か、和穂!助けて!」
「ふゅ・・・静嵐・・・おはよう・・・」
「おはよう和穂!とにかく助けて!」
和穂の小さな背中に隠れる静嵐。隠れ切れていない部分がかなり見える。
「どうしたの静嵐?何があったの?」
「聞きたいのはこっちだよ!いきなり殷雷たちが襲ってきたんだ!」
静嵐の言葉に耳を疑う和穂。そんな馬鹿なと言う思いが過ぎる。何か誤解があったに違いない。
「え、ええと、とにかく皆落ち着いて・・・」

振り返った和穂が見たのは、二人の修羅だった。

殷雷は眉間の皺が全くわからないほど、爽やかな笑顔を浮かべている。しかし纏う空気は触れるものすべてを焼き尽くしてしまいそうな激しい怒りを感じさせた。
程穫は何故か包丁を持っていて、死人のような目をしてこちらを見ている。放つ気配も腐敗した泥沼のようだ。
恐怖のあまり、くっついて震える和穂と静嵐。それが彼らの怒りを増大させていることには、やはり気付かない。

二人の修羅が、どろりと一歩踏み出した。

その後、静嵐から引っぺがされて散々叱られた和穂は、二度と干している布団の上で昼寝をしないと誓ったのだった。
静嵐が何をしに来たのかは、修羅たちの攻撃から泣いて逃げ帰った彼にしかわからない。