言伝
恵潤はこめかみを押さえて唸った。絞り出すような唸りだった。それは、静嵐の言ったことを理解しようと努力したために出たものだった。暫く頑張ってみたが、結局理解できずに諦める。
「・・・ごめんなさい。もう一度言ってくれる?」
「だからね、殷雷と程穫に襲われて、和穂に言伝できなかったんだ」
やはり理解できない。和穂と話をするだけなのに、どうして男二人に襲撃されるのだろうか。
きっと静嵐が余計なことを言ったりやったりしたのだろうと決めつけ、恵潤はそれ以上考えることを放棄した。
「まあ、そう言うことなら仕方ないわね」
どうしたものかと恵潤が悩みだす前に、静嵐がずずいと身を乗り出してきた。彼の長髪がばさばさとかかってきたので、恵潤は上体を逸らせて避ける。
「仕方なくないよ!今日こそはちゃんと和穂に伝えてくるから!待ってて恵潤!」
珍しく張り切っている静嵐を、恵潤が驚いた眼差しで見やる。彼女のためにも、静嵐はここで諦める訳にいかなかった。
片手を上げて短く挨拶し、恵潤が呼び止める間もなく走り去る。彼女が上げかけた手は、まあいいかと言う呟きと共に下ろされた。
恵潤の前ではああ言ったものの、実際どうするかは全く考えていなかった。恐怖の魔王二匹を相手にしたのは、つい昨日のことである。一晩経っただけで怒りが静まっているはずもない。
何とか、和穂が一人でいる所に突撃して、言伝だけ言って脱出することはできないだろうか。彼女の部屋の窓から侵入して、もし和穂がいればそれでよし。いなかった場合は寝台の下にでも隠れて待つべきか。いやいや、そこに程穫とか殷雷とかやってきたらどうするのだ・・・と、危なげな考えを巡らせる。
そんなこんなで小一時間、静嵐は双子宅の前にある茂みに隠れて悩み続けていた。
「こうなったら、正面から突入して・・・」
「突入して何をする気だ」
「和穂がいれば、言うことを言って逃げるよ」
「和穂がいなかったらどうする」
「そうだなあ、テーブルの下に隠れて・・・いやいや、そこに程穫とか殷雷とか・・・って!てて、てっ!?」
「本当に武器か貴様」
蔑みの視線を向けた程穫が、静嵐の背後に立っていた。籠を背負っているので薬草取りの帰りだろう。しかし、今の静嵐にはそんなことはどうでもいい。
さあ、どうする?一番見つかりたくない人物に見つかってしまった。逃げるべきか。いやいや、ここで逃げては恵潤の期待に応えられない(実際に期待されているかは別として)。いっそのこと、このまま程穫を倒すべきか。いやいや、むしろ返り討ちにあうのではないか(自分が武器で、相手が人間であることを考慮する余裕もない)。
武器の素早い思考で様々な可能性を検討し、静嵐は結論を出した。
「い、命だけは助けて下さい!!」
程穫の視線に、珍しく憐みがちらついたのは静嵐の気のせいだろうか。
「・・・和穂に何の用だ」
「え?」
「さっきから一人で言っていただろう。和穂に用があるんじゃないのか」
「あ・・・会わせてくれるの?」
「・・・用を済ませたらさっさと帰れ」
本当に憐れんでくれていたようだ。静嵐が瞳をうるうると揺らがせて立ち上がる。
長身の静嵐に見下ろされて、程穫は不快そうな顔をした。
「ありがとう程穫!」
「・・・・・」
過去に色々あったので、程穫と感謝の握手をすることはやめておく。静嵐にしてはとても賢明な判断だった。
「静嵐!?」
まさか翌日にまた会うとは思っていなかったと言う驚きと、兄と共に家に入ってきたと言う驚きで、和穂は暫く動かなくなった。
静嵐を見やったままの和穂に、程穫が不満そうな視線を向ける。歩み寄って和穂の視界を遮ると、彼女はぱちりぱちりと目を瞬かせた。
「に、兄さん?」
「何だ」
「前が見えないよ」
「俺が見えているだろう」
「う、うん。兄さんは見えるけど」
「俺では不満か」
「ううん、不満じゃないよ」
「ならこのままでいいだろう」
「え、このままじゃ困るよ。お茶を淹れなくちゃ。兄さんは静嵐と待ってて」
静嵐に座るよう言って、和穂が炊事場へ駆けて行った。すぐ帰ると静嵐は身振りで伝えようとしたが、眼前に程穫しか見えていなかった和穂は気付かない。
静嵐にどろりとした視線を向けた程穫は、自室へ薬草の入った籠を置きに行った。
「はい、どうぞ」
「あ、どうも」
「兄さんも」
「・・・ああ」
「それで、今日はどうしたの?」
お茶を置いてから、和穂が静嵐に尋ねる。無事、ここまで辿り着けたことに感動すら覚える静嵐。
「あのね、恵潤から言伝があるんだ」
「え?恵潤から?」
「・・・・・」
和穂が目を瞬かせ、程穫が視線を妹へ向ける。
「うん。『申し訳ないけど、用事が出来たから遊びに行けない』だってさ」
「あ・・・そっか。うん、わかった」
答えてへらりと笑う和穂。やっと自分の使命を果たしたと、静嵐は胸中で拳を振り上げる。後は恵潤に和穂の回答を報告すれば任務完了だ。
うっすらと感動の涙を浮かべている静嵐へ、程穫が呆れた声で告げた。
「遊びに行く日とやらは昨日だと聞いているが」
「・・・・・え?」
ようやくそれだけを声に出す静嵐。武器にしては随分物分かりの遅い奴だと、程穫の目が語っていた。
「あ、えと、本当は昨日の午後に恵潤さんが遊びに来てくれることになってたの。でも、大丈夫だよ。急用かなって思ってたから」
伝えてくれてありがとう、と和穂が言う。しかし静嵐はぐったりと卓に倒れたまま動かない。戻って恵潤に何と報告すればよいのか。素早さを失った武器の思考はぐるぐるとさ迷い続けるのだった。