捜索
殷雷が住処としている森に和穂がやってきたのは、昼を過ぎて暫くしてからのことだった。これから双子宅へ持っていく果物でも採りに行こうかと考えていた殷雷は、入れ違いにならなかったことに安堵し、思っても見なかった来訪者に驚く。
転がるような勢いで駆けてきた和穂は、殷雷の腕にしがみついて尋ねた。
「兄さんはここに来た!?」
「は?いや、来てないが・・・」
「ありがとう!それじゃあ!」
「待て」
くるりと踵を返した和穂の手首を捕まえる殷雷。きょとんとした様子で和穂が振り返る。彼女の服や髪は土や草木で汚れていた。自分の身なりが乱れるのも構わず必死で走って来たのだろう。まだ肩で大きく息をしている。
「・・・何があったのか説明くらいしていけ」
「えと、兄さんが帰ってこないの。もうお昼を過ぎたから、心配になって」
程穫は毎日のようにこの森へ薬草を採りに来ている。いつもなら朝早くから家を出て、双子宅の朝食の時間には帰宅していた。昼を過ぎても戻らないのは珍しい。
「買い物をするとは・・・言ってないのか」
殷雷の問いかけの途中で、和穂は首を横に振った。そうすると、森で怪我でもして動けなくなっている可能性が高いか。
「それじゃあ、もう行くね」
「だから待て」
「?」
再度呼び止められて、和穂は首を傾げる。ここまで首を突っ込んでくる相手に、何故助けを求めないのだと殷雷は言いたかった。しかし目の前の少女にその思いは通じず、仕方なく自分から申し出る。
「・・・俺を掴め」
「え?」
自分の手首を掴んでいるのは殷雷だと和穂は思ったが、彼女がそのことを口にする前に殷雷が白煙に包まれた。そこから現れた刀の柄を、和穂はそろそろと手を出して掴む。殷雷が刀の姿になって和穂の身体を操ったことは何度かあったが、いまだに慣れない。
『・・・何でいつもおっかなびっくり掴むんだよ』
殷雷の憮然とした雰囲気の台詞が和穂に伝わる。
『え、だって、思い切り掴むと苦しいかと思って』
『武器がその程度で苦しむ訳ないだろ』
『そうなの?』
『そうなんだよ』
和穂の瞳が、殷雷と同じ鋭さを宿した。和穂の身体を操り、殷雷が駆け出す。
『この方が移動も早いだろ』
『ありがとう、殷雷』
『・・・お前一人だとすぐにばてるからな』
『そうだね。殷雷の所に来ただけですごく疲れたもの』
『明日寝込むなよ』
『う、うん・・・頑張る・・・』
自信のない和穂の声に溜め息を吐いて、殷雷は走り出した。
普段の程穫がどういったルートを通るか二人とも知らないため、双子宅に近い方から捜していく。地面に足跡などの痕跡がないか注意深く見ながらも、足は走るのをやめていない。武器の能力を最大限に活かした捜し方のお陰で、二人はどんどん森の奥へと進んで行った。
「・・・っ!」
突如、和穂が足を止める。これは和穂が自分の意志で動きたいと望んだためだ。
『和穂、どうした?』
『・・・・・』
殷雷の問いかけが耳に入っていないのか、和穂は答えずにぐるりと視線を巡らせる。
『こっちだ!』
茂みへ向かって駆け出す和穂。殷雷が止める間もなく、彼女は両腕を茂みの中へ突っ込んだ。バキバキと枝が折れる。和穂が右手に持っていた殷雷刀も茂みの中へ押し込まれるが、その程度の衝撃は全く問題ない。問題なのは和穂の方だ。
『和穂!お前、腕が!』
『この奥にいるんだよ!』
茂みは左右に大きく広がっていて、途切れている場所を捜すのは時間がかかりそうだった。しかし、和穂の手でこの茂みをかき分けて奥へ行くのは無理な話である。
『ええい!落ち着け和穂!俺がいるだろうが!』
殷雷の怒声に驚いて、和穂が動きを止める。殷雷が再び和穂の身体を操り、その両手に視線を落として大きく溜め息を吐いた。和穂はたまに無茶をすることもあったが、最近はそう言った騒ぎがなかったため油断していた。
茂みの前で刀を数度振り、脆くなった部分を足で蹴り飛ばす。何とか通れるようになった隙間を、殷雷は慎重に抜けた。これ以上、和穂に傷を増やしたくない。
更に走ると、暫く先に二つの気配。
『兄さんだ!』
和穂が言うなら、一つは程穫なのだろう。ではもう片方の気配は誰なのか。殺気は感じられない。
密集した木々の間を抜けると、視界が開けた。
「兄さん!」
和穂が喜びの声を上げる。てっきり自分のことなど放り出して兄の元へ駆け寄ると殷雷は思っていたが、和穂は程穫へと手を振っただけでその場に止まっていた。
『よかった・・・!ありがとう、殷雷!』
『お、おう』
和穂が殷雷刀から手を離すと、白煙の中から人型になった殷雷が姿を現す。その頃には、程穫が二人の元へ辿り着いていた。
「和穂、どうして・・・」
「帰ってこないから捜しに来たの」
程穫は珍しく困惑した様子だった。妹にこびりついた土や草木を丁寧に払ってやる。
「そうか・・・心配をかけたな」
「怪我とかしてなくてよかった。殷雷も一緒に捜してくれたんだよ」
「もう少し和穂が汚れないように連れてこられなかったのか」
「悪かったな・・・」
和穂の腕を傷だらけにした負い目もあり、今回の殷雷は大人しく謝った。和穂は助けてくれた人にそんな口を利いてはいけないと、程穫を窘める。
「おお、和穂と殷雷じゃないか!」
「護玄様!」
声をかけてきたもう片方の気配は護玄だった。その姿は和穂と同じように土や草木に汚れ、腰には小さな籠がくくりつけられている。籠の中には薬草と思われるものが詰め込まれていた。
「護玄様も薬草を採りにいらしたんですか?」
「そうなんだよ。龍華に言われてね。だが一つだけどうしても見つからないから、程穫にも手伝ってもらっていたんだ」
「そうだったんですか」
程穫が帰ってこなかった原因はこれだったようだ。何事もなくてよかったと和穂は思ったが、男二人は容赦しない。
「和穂が汚れたのは貴様のせいだ。死んで詫びろ」
「薬草くらい一人で探せ。迷惑かけやがって」
「まあまあ、そう言わずに手伝ってくれ。お礼はするから」
「お礼なんていいですよ」
「和穂はいい子に育ったなあ」
よしよしと和穂の頭を撫でる護玄。恥ずかしそうに和穂が笑う。
「和穂に触るな」
程穫が和穂の腕を掴んで引き寄せる。そして彼女の腕に視線を落とし、目を見開いた。
「あ、ちょっと茂みに引っ掻けちゃったの」
腕の傷について何か言われると思った和穂は、大丈夫だと付け足して笑った。しかし程穫の気配はどんどん重苦くなっていく。
「さ、先に和穂の手当てをしてやった方がいいんじゃないか?」
「えと、全然痛くないし、大丈夫だよ」
「・・・・・」
護玄だけではなく和穂の言葉にも何も言わず、背中の籠を下ろし中の薬草を漁り出す程穫。ものすごく怒っているのだろうと殷雷は思った。しかし殷雷に文句を言ってこないので、何に対して怒っているのかはわからない。
いくつかの薬草を取り出すと、手で千切って汁を出す。それを和穂の腕に優しく塗りつけていった。何も言わない程穫に、和穂は恐る恐る声をかける。
「あ、あの・・・」
「・・・・・」
「兄さんは、悪くないよ?私が勝手に怪我しただけだから」
「・・・・・」
殷雷に文句を言わなかったのは、程穫が自分自身に対して怒りを覚えていたからなのだろうか。少なくとも和穂はそう判断したようだ。
「怪我をしてごめんなさい」
「・・・・・お前は、悪くない」
「兄さんも悪くないよ」
「もう、捜しに来るな」
「む、無理だよう・・・心配だもの」
「お前に怪我をさせたくない」
「じゃあ、今度は怪我をしないように気を付けるから、捜しに行ってもいい?」
「・・・絶対に怪我をするな」
「う、うん、頑張るよ」
和穂の腕の手当てを終えて、程穫は殷雷へと顔を向ける。
「なまくら」
「何だ」
「次は和穂に怪我をさせるな」
「当たり前だ」
苦虫を噛み潰したような顔で殷雷が答える。
「え、殷雷もまた一緒に捜してくれるの?」
「俺のところに来る前に怪我するなよ」
「う、うん。ありがとう殷雷」
「何なら私の所に来てくれてもいいんだが」
「護玄様・・・ありがとうございます」
へらりと笑って和穂が頭を下げる。
そして四人が目的の薬草を見つけたのは、日もとっくに落ちた後の事だった。