告白

いつものようにノックせず扉を開けようとしたその時、殷雷は言い知れぬ不安を覚えた。殺気に反応しているのではない。武人の勘と言うよりも、長年この双子宅に通い続けたからこそわかる感覚だった。彼らに何事もないことを願い、扉を掴む手に力をこめる。

「やっと来たか。待ちわびたぞ」

不安の原因はこれか、と殷雷は停止しかけた頭で思った。
彼の目の前には、卓に腰かけた程穫がいる。まず程穫が殷雷に歓迎の言葉をかけることが異常だ。そしてとてもにこやかな表情を向けてくることも恐ろしく異常だ。双子だけあって、その笑みは和穂と似ている。しかし受ける印象は全く違った。まだ少年と言える程穫に微笑まれただけで、何故ここまで不安になるのだろう。
「殷雷!」
蛇に睨まれた蛙のごとく硬直していた殷雷は、その鈴を転がすような声でやっと頭を動かすことができた。
ぎりぎりと巡らせた視線の先には、いつも通りの笑顔を浮かべた和穂がいる。
「いつもより来るの遅かったね。私たちはもうお昼ご飯食べたけど、殷雷は?」
「あ、いや・・・」
昼飯は食べていない。そもそも刀である彼に食事は不用なのだと言う話もあるが、この異常な状況で食事をしたいとはあまり思わなかった。
「和穂」
程穫の静かな声が響く。その先が否定の言葉であってくれと殷雷は願った。信仰の対象は特にないので、神とか仏とか己の製作者とか、とりあえず思い付くものに願ってみた。
いつもの程穫なら「なまくらなんぞにわざわざ飯を作ってやる必要はない」くらいのことは言うはずだ。

「早くなまくらに食事を出してやれ。昼をだいぶ過ぎたからな。さぞかし腹が空いていることだろう」

こうして殷雷の密かな願いは打ち砕かれた。
「わかった!急いで用意するからね」
「急ぐのはいいが、怪我をするなよ」
「うん。心配してくれてありがとう、兄さん」
足早に炊事場へ去る和穂を、殷雷は見送る余裕もない。彼の鍛えられた強靭な精神は、今にも崩れそうだ。
「いつまでも立っていないで、座ったらどうだ」
程穫の言葉に、殷雷は倒れ込むようにして椅子に腰かけた。おかしい。おかし過ぎて全く理由の検討がつかない。
「・・・な、何があった・・・」
絞り出すようにして、それだけ尋ねた。
程穫はぱちりと片目を瞬かせて、また柔らかな笑みを浮かべる。
「貴様には礼を言わねばと思っていたのだ」
とうとう卓に突っ伏す殷雷。ぴくぴくしている彼のダメージを知ってか知らずか、程穫は先を続ける。
それは、殷雷の思いもよらぬ内容だった。

「昨日、和穂に俺の本心を伝えた」

殷雷の震えが止まった。その意味を、理解するのに随分と時間がかかった。
「和穂が聞きたいと言うからな。俺の思いを洗いざらい告白した。和穂も始めは驚いていたが・・・とても喜んでくれた」
ふわりと程穫の頬が緩む。その時のことを思い出しているのだろうか。
殷雷は何も言えなかった。程穫が和穂に告白した。和穂が喜んだと言うことは、受け入れたのか。彼女は一体、何と答えたのだろうか。
「殷雷、待たせてごめんね。先にお茶でも飲んで・・・殷雷?」
和穂がお茶を手に戻ってきた。卓にそれを置きながら、伏せったまま動かない殷雷を見て首を傾げる。
「どうしたの?」
殷雷が何と言うか迷う前に、程穫が口を開いた。
「昨日俺たちが話したことについて、なまくらに礼を言っていた。お前も言ってやったらどうだ」
「昨日の・・・あ!うん、そうだね」
和穂の声が弾んだことを、これほど苦しく感じたことはなかった。

「ありがとう殷雷。昨日、殷雷たちが話してたお陰で、これ以上兄さんに寂しい思いをさせなくてすんだよ」

殷雷の思考にがたりと引っかかる何かがあった。
「・・・何の話だ?」
重い頭を何とか持ち上げて尋ねる。和穂は昨日のことなのにもう忘れてしまったのかと言って笑った。
「昨日、深霜と話してたでしょう。兄さんは寂しいって思わないんじゃないかって。兄さんに聞いたらね、寂しいって思うこともあるんだって。私、兄さんがそんなこと思ってるなんて全然気付かなかった。兄さんの気持ちを知ることができたのは、殷雷たちのお陰だよ」
「・・・・・それだけか?」
「うん。あ、お礼が足りないってこと?贈り物もした方がいいかな」
「・・・・・」
彼が想定していた話とはかけ離れた反応を返す和穂には何も言わず、殷雷はゆっくり視線を移動させた。

殷雷の視界に入ってきたのは、普段以上に見下した表情でこちらを見やる程穫の姿。

先ほどまでの柔らかな微笑みはどこへやら、小馬鹿にしたように鼻で笑っている。
殷雷が静かに立ち上がる。その両肩が小さく震えていた。
「ほほぉう・・・お前の言う告白ってのは、実は寂しがり屋のガキでしたって言う話か」
「ああ。そのお陰で俺たちはより親密な関係になれた。なまくらにはいくら礼を言っても足りないな」
殷雷が怒りの形相で歩み寄る。程穫は嘘は言っていない。勘違いするように仕向けてはいたが。程穫にも、それにあっさり引っかかった自分にも腹が立った。
「そんなに礼を言いたいなら、地べたに頭を擦りつけて言いやがれ」
「和穂に余計な気を使わせておいて、土下座まで強要するとは最低だな」
「お前に最低扱いされたくないわ!」
「え、えと、どうして怒ってるの殷雷?そんなにお腹空いてた?」
程穫へ向けて拳を放つ殷雷に、混乱する和穂の相手をする余裕はなかった。