美味
いつものことながら、今日も殷雷は双子宅で昼食を馳走になっていた。和穂が用意したのは、炊き立てのご飯と野菜の味噌炒め、青菜のお浸しである。男二人の食べる量に合わせて、大きな皿には随分多めのおかずが盛られていた。
先ほどからにこにことした顔でこちらを見ている和穂を気にしつつ、殷雷は白いご飯を口に運ぶ。彼女が何を思っているのか知りたい気持ちもあるが、今は食事を優先したい。彼の斜め前では、程穫が大皿の野菜炒めを箸でもっさりと掴み白飯の上に乗せている。今、和穂とのんびり話でもしようものなら、野菜炒めはあっという間になくなってしまうだろう。殷雷は最後に残った申し訳程度のお浸しを奪取すると、半分以上減った野菜炒めに箸を伸ばす。
「おかずがなくなるね。何か作ってくるよ」
和穂が立ち上がろうとすると、その手を程穫が掴んで止めた。
「いらない。お前が飯を食う時間がなくなる」
「えと、後から私も食べるよ」
だから大丈夫と言う和穂だが、程穫はその手を離さない。殷雷は野菜炒めに伸ばしていた手を止め、和穂に言う。
「そうは言うがお前、さっきからほとんど食ってないんじゃないか?腹の調子でも悪いのか」
「え?ううん、そんなことないよ」
「じゃあどうして食わぬのだ」
殷雷が再度問うと、和穂は困ったように笑った。言うと怒られるとでも思ったのだろうか。
「えと、殷雷たちが美味しそうに食べてくれるから、沢山食べてほしいなって・・・私はそんなにお腹空いてないから」
「食え」
ごとん、と和穂の前に野菜炒めが盛られた茶碗を置く程穫。和穂が慌ててその茶碗を兄の元へ戻す。
「だ、大丈夫だよ。後でちゃんと食べるから」
「同じ卓についておいて、一緒に食べない奴があるか」
殷雷が野菜炒めを和穂の飯の上へ取り分ける。横から暗い視線を感じたが、気付かない振りをした。
「あ、でも、殷雷がご飯足りなくなっちゃうんじゃ」
「俺は十分食ったから、後はお前が食え」
「・・・殷雷は、もうお腹いっぱいになったの?」
「十分だと言っとるだろうが。さっさと食え」
刀の自分に空腹も満腹もないのだが、それを言うと『なら食うな』と横やりが入りそうだったのでやめておく。
「うん。ありがとう、殷雷」
野菜炒めが積み重なった茶碗を手にして、和穂がへらりと笑う。もやもやとした感情が湧き起こり、殷雷は彼女から顔を背けて頭を搔いた。
「・・・礼を言うのは、飯を作ってもらったこちらだろうが」
「でも、美味しそうに食べてくれて嬉しかったの。だから、ありがとう」
「・・・・・」
何と答えればいいかわからず、殷雷は更に激しく頭を搔く。いつもなら余計だと思う程穫の突っ込みが、何故今ここで入らないのかともどかしく思った。
視線を僅かに向けると、程穫は不機嫌な顔でこちらではなく和穂を見ている。てっきり殺気立って自分を睨みつけていると思っていた殷雷は、あてが外れて大いに驚いた。
「和穂」
「何?兄さん」
「悪かったな」
「ふえ?え、えと、兄さんは何も悪いことなんてしてないよ?」
「・・・俺は、なまくらほどお前の飯を美味そうに食ってない」
いつもよりぼそぼそとした声で言う程穫。僅かに唇が尖っている。そんな理由で拗ねる奴があるか!と、殷雷は卓をひっくり返したい衝動に駆られた。しかしここにはまだ野菜炒めも白飯も置かれている。そんな勿体無いことはできない。
「えっ?兄さんはいつも美味しそうに食べてくれるよ」
むすっとしている程穫に、和穂はきょとんとした顔で言う。すると程穫はぱちりと目を瞬かせて彼女を見やった。
「今日も美味しそうに食べてくれて嬉しかったよ。それにいつも美味しかったって言ってくれるから、とっても嬉しいよ」
「・・・・・」
「あ、えと・・・そ、それとも、いつも美味しくないのに、無理して美味しいって言ってくれてたのかな・・・兄さんが美味しいって思ってくれてると思ったのも、私の勘違いで・・・ご、ごめんなさ」
「違う」
和穂の言葉を遮り、程穫が身を乗り出して言う。鼻先が触れ合いそうなほど近いのは、それだけ彼が勢い込んでいたのだろう。ここで怪しい下心はないはずだ。せめてそうであってほしいと殷雷は願う。
「いつも美味いと思っている。俺は・・・そう言う感情があまり顔に出ないと思っていたから」
「そんなことないよ。兄さんが喜んでる時はちゃんとわかるもの」
和穂に言われて、程穫が少し表情を緩めて息を吐いた。恐らく安堵の溜め息だろう。彼の表情が乏しいと思ったことは殷雷もないが、純粋に喜んでいる姿と言うのはあまり見た記憶がない。先ほどの食事中も、程穫は無表情にしか見えなかった。自分が食事に夢中だっただけで、気付かなかっただけかもしれないが。
「そうか、よかった」
「私も、兄さんの『美味しい』がお世辞とか気のせいとかじゃなくてよかった」
「俺は世辞など言わない」
「そうなの?」
「当たり前だ」
「あー、もうお前ら話はいいからとっとと食え。すっかり冷めてしまったぞ」
殷雷が二人の会話に割って言うと、程穫からいつもの殺気立った視線が向けられる。
「俺たちの邪魔をするな。見苦しい嫉妬だな」
「それはついさっきまでのお前だろうがあっ・・・!!」
卓に両手をかけた殷雷だったが、かろうじて食事を宙に舞わせることは耐えたのだった。