調薬
程穫は一人で自室に籠り、ある薬を作っていた。それはもちろん和穂のためのものである。と言いたいところだが、ある意味程穫自身のためとも言えるかもしれない。
この薬を彼女に使った時のことを考えると、喜びに思わず口元が緩んだ。程穫の部屋は色々な薬草を置いている。その中には日光を当てない方がよいものも多い。そのため、彼の部屋は外の光があまり入らないような造りになっていた。昼でも薄暗いその部屋で、一人にやにやと薬草をすり潰す様子は、本人ですら怪しいと思う。しかしそれほど彼にとっては嬉しいことなのだから仕方ない。
程穫の声なき笑いの代わりに、ごりごりと重い音が辺りに響く。炎症を抑える薬草に、保湿効果のある薬草を加えてひたすらに細かくしていく作業が続いていた。ほとんど液体と言ってもいいくらいにすり潰したところで、今度はそれを布で丁寧に濾してやる。黒ずんだ緑色の液体は、何度か濾す内に鮮やかな萌葱色になった。しかしまだ完成ではない。
今度はそれに植物の種から抽出した油を少しずつ追加して、粘度を上げていく。このとろみが重要なのだ。肌に長く留まり、効力を発揮する。そして肌を傷つけないよう保護する役目も果たしていた。
この薬を塗り込んでやったら、和穂は嬉しそうに頬を染めるだろう。鈴を転がすような声で自分のことを呼ぶだろう。それだけでも嬉しいのだが、彼の秘められた欲望はその先を望んでいる。もっと自分を求めてくれればいいのに。己の血も肉も骨も、全て捧げてやりたいのに。
そこまで考えて、意識が手元の薬から随分と離れていることに気付いた程穫は、一度大きく息を吐いた。今は薬作りに集中しなくては。手順を間違えて、和穂の身に何かあったらどうする。
もう和穂は洗濯を終えただろうか、それともまだ川で水に手を浸している最中だろうか。風邪を引く前に帰ってこいと言った程穫に、和穂は笑顔で頷いた。今日は暖かく風もあるので、洗濯物が乾くのは早いはずだ。しかしそれでも心配は募る。
軽く頭を振り、程穫は薬の調合を再開した。
更に時間をかけ、やっと出来上がった薬を、小さな容器に詰めていく。これで数回分は使えるはずだ。もう集中する必要はないので、思う存分和穂のことを考えられる。くつくつと怪しく笑い出しかけた程穫だったが、刹那ぴたりと動きを止めると、薬を袖に入れて立ち上がった。
足早に玄関へと向かい、扉を開ける。するとそこには。
「ふゃっ・・・あ、兄さん、ただいま。開けてくれてありがとう」
洗濯物の入った桶を、両手で抱える和穂がいた。突然扉が開いたので驚いたようだ。ちなみに程穫は彼女がこの家に近付いて来た時から、その気配に気付いていた。
「おかえり」
言葉をかけると同時に洗濯物と桶を取り上げると、和穂は慌ててそれを取り返そうとした。
「あ、大丈夫だよ。一人で運べるから」
「いいからそこに座れ。それとも俺に見られるとまずいものでもあるのか?」
「え、まずいもの?うーん、あったかなあ?」
律儀に考え始めた妹の肩を片手で押し、椅子に座らせる程穫。洗濯桶を卓の上に置くと、着物の袖から先ほどの薬を取り出す。
この時を待っていた。このために、あれだけの時間をかけてこの薬を作ったのだ。
「あ、それ・・・!」
薬を見た和穂が、嬉しそうな声を上げる。それだけで、頬が緩みそうになるのを止められない。
「今年は少し作ってやるのが遅くなったな」
右手の人差し指で薬をすくい取り、手のひらで温めるように包む。そして和穂の手を取ると、優しく薬を塗り広げていった。
「ううん。まだあんまり荒れてないから大丈夫だよ。いつもありがとう、兄さん」
満面の笑みを浮かべる和穂。その笑みが見られるだけで、嬉しくてたまらない。
「兄さんの薬はとってもよく効くね。これを塗ってもらうと、冬でも全然手が荒れないもの」
「・・・褒めたところでこれ以上は何も出ないぞ」
本心はこれ以上のものを全てくれてやりたいのだが、遠慮されてしまうことはわかっているのでやめておく。
案の定、和穂はふるふると首を横に振った。
「もう十分助かってるよ。本当にありがとう」
返す言葉が思い付かない程穫は、くすぐったいような表情を浮かべ、その顔を隠すように和穂の首元へ埋めた。すでに薬は塗り終わっていたが、当分その手を離すつもりはない。一年でこの時だけの楽しみを、もう暫く堪能していたかった。