攻守
殷雷はいつものごとく双子宅へと訪れようとしていた。もう訪れていたと言ってもいいかもしれない。彼の目の前には赤い屋根の小さな家があり、あと数歩進めば扉に手も届く。しかし、殷雷はそれ以上歩を進めていいものか迷っていた。
何故ならその扉の前には、竹箒を手にした程穫が殺気に満ちた視線をこちらへ突き刺してきていたからである。
『・・・・・』
何も言わずに暫し対立する両者。殷雷は武器の能力を元に推測する。程穫は明らかにこちらへ敵意を持っている。持っていなかった時などあっただろうかと言う気もするが、とりあえず今は普段以上にその敵意は強いようだ。まだ何も口を開いていないが、それ以上近付くなと言う意思ははっきりと感じられた。恐らく自分がもう一歩踏み出せば『今すぐここから失せろ』とでも言うのだろう。
そして殷雷が動き、程穫が口を開く。
「今すぐこの世から消えろ。俺と和穂の周りを鬱陶しく飛び回る金属蠅め。それともこの箒で叩き潰されたいか」
「金属蠅って何だ。罵詈雑言もここまでくると逆に怒る気にもならん」
「貴様が怒ろうが笑おうがどうでもいい。俺と和穂の濃厚な時間を邪魔するな。さっさと錆びて折れろ」
「錆びとるのはお前の頭だ!このど変態シスコンが!」
「怒る気にもならないとほざいた口はどこへやった。頭が錆びているのは貴様の方だ。このど変態ロリコンが」
「っぐ・・・!」
あっさりと言い負かされ、悔し気に口を噤む殷雷。しかし今回は随分と程穫の物言いが容赦ない。これは本気で自分を帰らせたいのだろう。竹箒とは言え、獲物を手にしているのも珍しい。手合わせをしたいのであれば、普段なら素手で向かってくるはずだ。
これは何かある、と殷雷の武器である勘が告げていた。
「頭の錆びた金属棒にもわかりやすく言ってやる。今すぐ失せろ。何度も同じことを言わせるな」
「そこまで言われて素直に帰る方が馬鹿だろうが。何を企んでやがる」
程穫が大人しく白状するとは思わなかったが、殴りかかる前に一応尋ねてみる殷雷。すると程穫は殺気を消し、頬を緩めるようにして笑った。挑発するような笑みではなく、ただ嬉しくて顔を綻ばせたように見えた。しかしそれは一瞬のことで、すぐにいつもの挑発するような笑みに変わる。
「さっきも言っただろう。『俺と和穂が濃厚な時間を過ごす』だけだ。終わったら何をしたのかたっぷりと、具体的に、一部始終を話してやる。わかったらさっさと帰れ」
「だからそう言われて帰る奴があるかあぁあ!!」
キレた殷雷は持ち前の瞬発力を発揮した鋭い拳を放った。しかし程穫もそれを予測していたのだろう。竹箒を使って拳の軌道を反らし、殷雷の死角からその顔へと拳を繰り出す。
殷雷は殺気を頼りにその一撃をかわすと、程穫の腹へと蹴りを叩き込んだ。しかしそれは間に滑り込んできた竹箒の穂で威力をそがれてしまう。ただの竹箒とは言え少々厄介だ。程穫のリーチの短さを上手くカバーしている。将来槍使いにでもなられたら、面倒な相手になりそうだ。
しかし、まだ程穫は武器を使う戦いにそれほど慣れていないはずだ。素手の自分でも勝機はあり過ぎるほどにある。変な油断さえしなければ。
「本当は仲間に入れてほしいんだろう」
ぼそり、と程穫に言われて殷雷の動きが一瞬止まる。みぞおちへと箒の柄が繰り出されるが、何とか後ろに飛退いて避けた。
「随分と動揺したな。俺と和穂の濃密な行為に参加したくてたまらないか」
「っんな、訳あるか!!」
「なら帰れ」
「だから帰らんと言っとるだろうが!」
「参加しないのにいてどうする」
「な、おまっ、それは」
「傍で指を咥えて見ているつもりか。まあそれはそれで俺は楽しめるかもしれないが、和穂は気にするだろうな」
「なっ・・・!!」
「まあ、困る和穂を見るのもまた楽しみの一つか」
「・・・・・!?」
「仕方ない。傍で見ているだけなら許してやろう」
立て続けに程穫の爆弾発言を受け声も出ない殷雷。長髪の先っぽがぴくぴくと震えている。程穫はまだ不満そうな顔をしていたが、竹箒を扉の脇に立てかけるとゆっくり扉を開いた。するとそこには。
「あ、ありがとう兄さ・・・あっ、殷雷!来てくれたんだね!」
嬉しそうな和穂の声に、殷雷の遠くへ行きかけていた意識が少し戻った。力ない視線を向けると、両手に持ち手のついた籠を手にする和穂の姿がある。彼女は随分と喜んでいるようで、その頬は少し上気していた。興奮し過ぎてまた熱でも出すのではないかと心配になる。
「和穂」
妹の名を呼び、籠を二つとも奪い取る程穫。和穂が反論する前に続けて口を開く。
「なまくらはついてくるつもりらしいが、傍で黙って見ているそうだ」
「えぇ!?そ、そうなの!?」
「ああ。大変残念だが、俺たちだけで楽しもう」
「おい!さっきの『傍で見ているだけなら許してやる』発言はどうした!?」
何とか意識を取り戻した殷雷が反論する。すると和穂は困ったような視線をこちらに向けてきた。
「殷雷も一緒に来てくれると思って、いっぱいおかず作ったの。よかったら食べてくれると嬉しいんだけど・・・」
捨て犬が自分を拾ってくれと言わんばかりの瞳に、殷雷は先ほど以上の動揺を隠せない。そして同時に気になっていたことを尋ねてみる。
「その籠の中は食い物なのか?」
「うん!兄さんがね、たまには外でご飯を食べようって言ってくれたの!」
「・・・・・」
「だから殷雷も一緒だったらとっても嬉しいんだけど・・・でも、嫌なら無理しなくていいよ」
へにゃりと力なく笑う和穂。先ほどまで彼女が大喜びしていたのはこれか。
「大丈夫だ和穂。なまくらは共に行くと言っている。ただ見ているだけだがな」
和穂の肩を優しく抱き、慰めるように頭を撫でる程穫。殷雷の堪忍袋の緒が再び切れるのはその直後のことだった。