待人

その日は珍しく、殷雷一人ではなかった。隣りを歩く長身の青年は、呆れたようにも憐れんでいるようにも見える顔で口を開く。
「殷雷もよく飽きないよねえ。毎日毎日あんなとこ通って」
「毎日毎日恵潤のとこに通っては追い返されてる静嵐大帝にそのようなお言葉を頂けるとは、痛み入りまくりだぜこんちくしょう」
まさに今、双子宅への道のりを二人で歩いている最中だった。やはり自分も恵潤のように即行で静嵐を追い返すべきだった、と何度したか知れない後悔をまた繰り返す。
「いやいや、そんなに謙遜しなくても大丈夫だよ。旧知の仲じゃないか」
「・・・ありがたくて泣けてくるよ」
「あはは、殷雷は相変わらず涙脆いなあ」
「泣いている姿を見られるのは恥ずかしいから帰ってくれ。今すぐ」
心からそう頼んだのだが、静嵐は人差し指を振りつつ何故か楽し気な表情を浮かべた。
「いくら君の頼みでも、それは聞けないね!恵潤が『殷雷と待ってて』って言ったんだから」
そう言ってここまでついてきたのだこの男は。途中あの手この手で追い返そうと試みたが、それは全て失敗に終わった。恐らくこの笑みは、恵潤と会えることを素直に喜んでいるのだろう。先ほど毎日通って家の中に通してもらえるのは十日に一度だと言っていた。双子宅に毎日通してもらえる(問答無用で乗り込んでいるとも言える)自分は余程恵まれているのかもしれない。
「だからって、恵潤が来るとは限らんだろ」
「・・・・・えっ?」
予想外の言葉だったのか、静嵐がぽかんと口を開けて足を止めた。付き合う義理はないのだが、殷雷も立ち止まる。
「恵潤は、自分も後から行くって言ったのか?」
「ええ?言ってないけど、でもそう言うことじゃないの?」
「いやいや、言ってないなら来ないかもしれんぞ。むしろ来ない可能性が高い」
「そ、そんなあ」
いい感じだ。静嵐はだいぶ動揺している。武器としてはあるまじき動揺っぷりだ。
「ここは一先ず恵潤に確認してくるのがいいのではないか?」
「うーん、そうしたいけど、恵潤はあれから出かけちゃって、どこにいるのかわからないんだよね」
これは本当に恵潤は来ない可能性が高い。出かける前で忙しかったから、とりあえず邪魔な静嵐をこちらに放り投げたのだと思われる。大変いい迷惑だ。
「むむ、そこで諦めてどうする。お前の恵潤への想いはそんなものか?」
「え、そんなものってどんなもの?」
「毎日通い詰めるほど深く想っているのだろう。諦めるな。探せ、探し回るのだ。できれば今日一日中」
「うーん、それはちょっと効率悪いと思うよ。殷雷ってば武器なのにそんなこともわかんないの?」
こんな時だけ武器の感を取り戻すな、と殷雷は心中で舌打ちをした。不毛なやり取りが終わったところで、いつもの赤い屋根が見えてくる。
「あー、今日は程穫がいないといいなあ」
「それには深く同意するが、生憎この時間ならいると思うぞ」
「うう、怖いよう」
「安心しろ、殺されかけるかもしれんが、まあ何とかなるだろう」
「何の慰めにもなってないよねそれ」
どうしようもない結論に至ってから、二人は扉の前に立つ。いつも通り、ノックもせずに殷雷が扉を開けると。

小振りの鎌が高速で回転しながら迫ってきたので、二人は目をむきつつも身を反らしてそれをかわした。

「客にいきなり鎌を投げつける奴があるか!」
怒鳴る殷雷が歩み寄った先には、鎌を投げ終わった姿勢からゆるゆると姿勢を戻す程穫がいた。そして大変鬱陶しいと言う顔をしてこちらを見やる。
「ノックもせずに入ってくる無礼者が何をほざく。強盗と変わらんだろうが。殺して何が悪い」
「殺す前に相手の確認くらいしろ!和穂だったらどうする気だ!」
「和穂かどうかは見なくてもわかる。それ以外は殺しても構わん」
とんでもない暴論だが、彼の意見を正してやることができると殷雷には到底思えない。和穂に「程穫以外は殺してもいい」と思わせる方がまだできそうな気がした。そんなことは欠片もやりたくないが。
最初のやり取りで早速消耗した殷雷は、大きく溜め息を吐いて身を翻す。外へ飛んで行った鎌を回収するためだ。お人好しと言われても仕方ないが、通りすがりの暴漢がそれを拾ってこの家を襲う可能性もなくはない。
そして扉の陰で小動物のように震えている静嵐を一瞥する。
「・・・・・帰ってもいいんだぞ」
静嵐はやはり小動物のようにぷるぷると首を横に振った。意外と根性はあるようだ。

鎌を拾って家の中に入ろうとすると、静嵐がべったりと背中に張り付いてきた。大変鬱陶しい。
「背後霊かお前は」
「そそ、そうだね。背後霊と言うことでぜひ僕のことは見えないものとして扱って下さい。どうか殺さないで下さい」
殷雷の背中に隠れて言う静嵐に、卓についていた程穫も鬱陶しそうな視線を向ける。
「背後霊なら殺しても死なないだろうが。でくの坊二本が何しにきた」
「ぼ、僕はここで恵潤を待ってるだけです。殷雷は和穂目当てだと思います」
「待てこらぁああ!!」
静嵐の胸倉を掴んで叫ぶ殷雷。突然背後から爆弾を投げつけられたようなものなので無理もない。そして当然のごとく程穫が殺気を強めて立ち上がる。
「お前らどうしても死にたいらしいな・・・」
「えぇえ!何で僕まで!?」
「お前は今すぐ帰れよ!頼むから!」
ちょっと涙ぐむ殷雷だった。

「ただいまー」

凄惨な場面が繰り広げられかけたところへ、鈴を転がすような声が響く。姿を見せないと思っていたら、和穂は外出していたらしい。男三人が扉の方に視線を向けるとそこには。

「恵潤!!」

和穂と、籠を抱えた恵潤が立っていた。殷雷の背後に張り付いたまま、喜びの声を上げる静嵐。和穂に声をかけ損ねたからか、更に客人が増えたからか、程穫の殺気がじわりと強まる。
恵潤が持つ籠は、洗濯をしに行く時に和穂が持ち歩いているものだ。しかし、何故洗濯に行った和穂が恵潤と共に帰ってくるのか。殷雷たちにはさっぱりわからない。
「用事って和穂とでかけてたの?」
静嵐が尋ねると、恵潤が首を振り、和穂がきょとんとした。
「違うわよ。和穂とはすぐそこで会ったの」
「用事とやらは終わったのか?」
殷雷の言葉に、恵潤は頷く。
「ええ、だいぶ迷惑かけたわね」
「全くだ・・・早くこの自称背後霊を引き取ってくれ」
「あら、今のあなたの表情にぴったりじゃない。暫くつけておきなさいよ」
さらりと言い放つと、和穂を促して家の中に入る恵潤。殷雷が口元を引きつらせ、程穫がどろりとした視線を向ける。
「私、片付けてお茶を煎れてきますね!皆でくつろいでいて下さい!」
いつもより賑やかな空気が嬉しいのか、興奮気味の和穂が言う。彼らが思った通り、このまま静嵐と帰るつもりはないらしい。
「け、恵潤」
「何?」
殷雷の背後霊を止めた静嵐が、程穫を警戒しながらそろそろと恵潤の元へ歩み寄る。
「来てくれて嬉しいよ」
へらりと笑う静嵐に、恵潤が少し困ったような笑みを浮かべた。やはり当初は見捨てるつもりだったのではないかと、殷雷は推測する。偶然和穂と出会って、仕方ないから来たと言う可能性が高い。話のネタにそのことを追及するか迷ったが、二人の貴重な時間を邪魔しない方がいいかと思いやめておいた。その代わりに、どんどん機嫌が悪くなる程穫の相手をしなくてはならないと、これから浴びせられる罵詈雑言を予感し重い溜め息を吐く殷雷だった。