安寝

殷雷がその気配に気付いたのは、ちょうど双子の家に向かうか考え始めた時だった。
なので丁度よくその双子の気配がすぐそばまできていることに驚く。普段はこちらから出向くことが多いので、向こうからやってくることはあまりない。それに彼らがきたところで、自分には茶菓子の一つも出せないのだ。
座って寄りかかっていた木の根元から立ち上がり、服についた土や草などを軽く払う。
「いーんらーい!」
遠くから鈴を転がすような声がかけられ、少し離れた場所で手を振る和穂と、薬草を入れる籠を背負った程穫の姿があった。薬草を摘みながら来たのだろうか。
駆け出そうとする和穂の手を、程穫がつかんで止めた。彼女が転ぶ様子がありありと浮かび、殷雷も駆け出そうとしたのだが、程穫に先を越されたので半端な体勢で固まる。
程穫が不機嫌そうな顔で、和穂に何やら呟いている。それなりの距離はあったが、性能のいい殷雷の耳は、その声をしっかり捉えてしまった。
「俺よりあいつの方がいいのか」
「へ?」
「俺を置いていくつもりなら、いっそ殺せ」
「ええっ!そんなの嫌だよ!」
「じゃあ俺の元にいろ。一生だ」
「うん」
「あといきなり走るな。転ぶぞ」
「あ、そうだね。気を付けるよ」
和穂が言うと、程穫の表情が少し穏やかなものに変わった。そこに駆け寄り殷雷が叫ぶ。
「このメンヘラが!お前はそう言う物言いしかできんのか!?」
「貴様こそ、せっかく時間を割いてやってきた客をいきなり怒鳴りつけることしかできんのか?」
「ぐっ・・・、何しにきた」
「それが客に物を尋ねる態度か」
「お前にだけは言われたくないわ!」
「喧嘩はだめだよう!」
再び叫ぶ殷雷と冷酷な視線を向ける程穫の間に、和穂が割り込む。その手には持ち手のついた小さな籠があった。そこから漂ってくる匂いに、殷雷の興奮が一瞬にして治まる。
「む、ほうじ茶と豆大福か」
「へ?あ、これね。昨日護玄様からいただいたの。殷雷の分もあるから、固くならない内に一緒に食べようと思って」
それでここまで出向いてきたのか。確かに昨日もらった大福と言うことは、もっと前から作られているはずで、もうだいぶ歯ごたえがあってもおかしくない。
「火をおこせるやつはいないのか?」
「あー、今は近くにいないな」
いろいろと不平不満に罵詈雑言を返してくるかと思いきや、程穫は何も言わずに木々から離れたところで火をおこす用意を始めた。背中の籠を降ろし、燃えやすい枯草や乾いた小枝を取り出して積む。小石も途中で拾ってきたようだ。それを使って小さなかまどを作ると、火打石で手早く火をつける。
その横で和穂はほうじ茶の入った壺やら湯飲みやら、竹の皮につつんだ大福やらを取り出していた。壺を受け取り、かまどの火にかける程穫。殷雷が小石などをどかして座り心地のよいスペースを作る。
「いいお天気でよかった」
座って空を見上げる和穂。雲がぽつりぽつりと浮かび、薄い水色の空が広がっている。かまどの火があって丁度いいくらいの温かさだった。これで雨だったりもう少し寒かったりしていたら、程穫は外出を許さなかっただろう。
温かいほうじ茶と豆大福を、まさかここで堪能することができるとは。
温かい湯飲みを受け取り、目頭を熱くする殷雷。それを和穂はにこにこと見守り、程穫は無視して大福を口に放り込む。大して大きくもないそれは、あっと言う間に彼の腹に収まった。ほうじ茶も小振りの湯飲みに一杯だけなので、すぐに飲み干してしまう。
「美味しいね」
嬉しそうな和穂の言葉に、程穫が小さく口元を緩めて頷くと、そのままごろりと横になった。
「起こした方がいい?」
「昼前には帰る」
「うん」
程穫の呼吸が睡眠中のものに変わるまで、それほど時間はかからなかった。浅い眠りだが、ちゃんと寝ていることに驚く殷雷。
「・・・寝不足か?」
「昨日あんまり寝れなかったみたい」
「お前は寝たのか?」
「兄さんよりは寝たよ」
へらりと笑う和穂の顔を、まじまじと見る。顔色はそれほど悪くないが、程穫が寝れないと和穂も寝れないと言うことが昔あった。あの時は何日もそれが続いたので周りもわかったが、今回は一晩だけなのだろうか。
「お前も寝ろ・・・と言いたいが、ここで寝たら風邪をひくな」
さすがにこの小さな火では、彼女の身体を温めるには足りない。
「えっ、じゃあ兄さんも寝ちゃだめなんじゃ」
「こいつはどこでも大丈夫だ。寝不足の方がよくない」
程穫がここに来たのも、和穂を自分に任せて寝るためだったのかもしれない。
「そうなの・・・?確かに寝不足はよくないけど」
「お前も帰ったら寝ろ」
「うん。今日はよく眠れそう」
空をまぶしそうに見上げて言う和穂。やはり眠れていなかったようだ。
「人間の身体は面倒だな」
「殷雷は眠れない日はないの?」
「ない。と言うか眠る必要がない」
「そっか。うらやましいなあ」
身体があまり丈夫ではない彼女は、そのせいで周りに迷惑をかけていると思っている。そんなことは自分や兄を含め、誰も思っていないのに。
「・・・・・大福はもう終わりか?」
「あ、うん。これしかないの」
強引に話題を変えると、和穂は申し訳なさそうな顔をして言う。この話題も失敗だったか。
「えっと、半分食べちゃったけど、これでよければ」
食べかけの大福を差し出してくる和穂に、殷雷は内心慌てる。それを受け取るわけには。

「和穂の食いかけの大福をもらって何をする気だこの変態が・・・」

「変態なのはお前の頭だ!!」
「兄さん、もう寝なくていいの?」
「ああ。これ以上寝ているとそこの変態がお前の大福を口に含んで何をし始めるかわからないからな」
「だからその物言いをなんとかしろ!!」
結局その大福は、昼前になってようやく和穂の腹に収まったのだった。