茶会

緑豊かな森に囲まれた、別荘とは言え大きな屋敷に高い悲鳴が響き渡った。

「っ何するのよ!!」
ゆやはその手から逃れようと腕を振り上げるが、いとも簡単に手首を掴まれ拘束される。
片手でゆやの両手を押さえ、空いた腕でその身体を抱き寄せ胸に触れる。ゆやが怒りと羞恥に赤面した。

「チンクシャ・・・下僕の分際でご主人様に抵抗するとは、いい度胸じゃねえか」

にやりと意地の悪い笑みを浮かべると、狂は更にゆやの身体へ手を滑らせた。
「っぐ・・・ち、違うわよ!私が仕えてるのは村正さんなんだから!」
ゆやの言葉は嘘ではない。この別荘の使用人である彼女は、その持ち主である村正に仕えているということになる。
しかし狂は、その笑みを崩さずにゆやを見下ろして言う。
「あのジジイに仕えてるってことは、その養子である俺様に仕えてるも同然だろうが。何度言えばわかるんだ」
狂の言葉も正しい。悔しげに唇を噛むゆやに、諦めるんだな、と狂の紅い目が語っていた。
「しかし・・・・もう少し色気のある身体になれねえのか?ここの女はお前しかいねえんだからよ」

「こっんのアル中エロ魔人!!」

ゆやの拳が、溜め息を吐いていた狂の顎に鋭く決まる・・・と思われた直前に狂はゆやから手を放してそれをかわす。
自由になったゆやは身を翻し、一目散に廊下を駆けていった。

「全く何なのよ!!」
ざかざかと庭を掃きながら、先ほど狂にからかわれた鬱憤を晴らすゆや。

狂の言葉通り、この屋敷は別荘であるが故、使用人の数も少なく女性の召使はゆや独りしかいなかった。
「毎日毎日身体のことで文句言われる筋合いなんてないんだから!」
彼女が怒りに任せて思い切り箒を振り回していると。

「どうしたの?」

背後からかけられた声にゆやが振り向くと、そこには彼女と同じ使用人である青年が立っていた。
「ほたるさん!」
ゆやが駆け寄ると、ほたるはもう一度どうしたの、と尋ねた。
「はは、何でもないですよ。心配してくれてありがとうございます」
「別に心配はしてないんだけど」
「え?」
しれっと突っ込むほたるに、ゆやの目が点になる。
「いつものリボン、今日はしてないから。どうしたのかと思って聞いただけ」
「あ・・・」
ゆやはいつもゴムで髪を一つに括り、その上からリボンをしている。しかし今うなじへ手をやると、いつもの感触がなかった。
「本当だ・・・どうしたんだろう?どこかで落とし・・・・」
そこで言葉を切り、目を見開くゆや。ほたるがその顔を覗き込むようにして見る。
「あの時・・・あいつっ!!」
「どの時?どいつ?」
ほたるが尋ねるも、頭に血の上り始めたゆやには聞こえていないらしい。
「どこまでも嫌がらせする気ね!見てなさい狂、絶対に取り返してやるんだから!!」
どこからともなく荒波の音がし、ほたるは辺りを見回した。
「えーと。つまり狂がリボンを取ってったってこと?」
「ええ!だってさっきまでは確かにしてたんですよ。そうに決まってます!」
「何でそう決まってるの?」
「それは狂が・・・」
つい先ほどの出来事を説明しそうになって、ゆやは慌てて口を噤んだ。ほたるは、ゆやの言葉を大人しく待っている。
「・・・狂が?」
「は、ははは・・・そ、そう言うことなんで、私、取り返してきますね」
話を切り上げて、ゆやが駆け出そうとすると、その手をほたるが掴んだ。てっきり全て話せと強要してくるのかと思いきや。
「俺が取り返してきてあげる」
「え?いいですよ、自分で取り返してきますから」
「・・・俺じゃ嫌?」
いつもの仏頂面で聞き返され、ゆやは慌てて首を横に振った。
「いいえ!嬉しいですよ。でも、ほたるさんに迷惑が・・・」
「迷惑じゃないし。どうせこれから狂のところに行くつもりだったし。ついで」
そう言われて、ゆやの罪悪感も随分と薄れた。ほっとしたように笑い、頭を下げるゆや。
「そうなんですか。じゃあお願いします」
「うん。狂と死合って来るからちょっと遅くなると思うけど、待ってて」
軽く手を上げると、ほたるは狂の元へ向かうべく身を翻した。
手を振りながらそれを見送り、ほたるの姿が見えなくなってから、はたと動きを止めるゆや。
「・・・・え?今ほたるさん、死合いって言ってた?」
時既に遅し。ゆやの呟きに答えるものは誰もいなかった。

ほたるは己の武器を手に狂を捜し歩いていた。数ある別荘のうちの一つとは言え、村正は資産家であるためその広さはものすごい。加えてほたるが道を覚えていないこともあり、狂を見つけるのは時間がかかりそうだった。
「狂が湧いて出てくればいいのに」
無責任なことを言い放ち、ほたるが長い廊下を歩いていくと。

「・・・俺は虫か?」

いつものにやりとした笑みを浮かべつつも、廊下にもたれてほたるを睨みつける狂がいた。
「あ。ほんとに湧いて出た」
「俺様を虫扱いするとは上等だ・・・覚悟はできてんだろうな」
殺気を放ちながら、手にした刀を鞘から抜く狂。
「覚悟はできてないけど、死合う気はできてる」
獲物の刃をくるむ布を取り、ほたるはうっすらと笑った。

刹那、その場から二人の姿が消える。

次の瞬間、刀を振り下ろすほたると、それを受け止める狂が現れ、再び消える。
常人の目には捉えきれない速さで、二人は斬り合い続けていた。

リボンのことをほたるに任せたゆやは、微妙な不安を感じつつも己の仕事を続けることにしていた。
「ほたるさんなら狂を見つけるまでに時間がかかるし、その間に気が変わってるかもしれないわよね。それに狂だって、お屋敷の中で暴れようなんて思わない・・・はずよ」
その頃二人は死合いの真っ最中だと言うことも知らず、ゆやは次第に酷くなる胸騒ぎを収めようと独り呟き続けていた。
「・・・だ、大丈夫・・・よね?」

「何が大丈夫なんだ?」

「サスケ君!」
突如目の前に現れたサスケに、ゆやは驚くと共に、ぱっと顔を綻ばせた。
「遊びに来てくれたの?」
「俺は幸村の護衛でついてきたから仕事だけど、幸村は遊びに来ただけみたいだぜ」
「じゃあサスケ君もゆっくりして行けるんだ。よかった!」
にこにこと嬉しそうなゆやに、サスケが数度瞬きする。
「・・・どうして姉ちゃんがよかったと思うんだ?」
尋ねるサスケに、ゆやも数度瞬きしてから答えた。
「え?だって、サスケ君とたくさん話せるじゃない」
「・・・そ、そうか」
「そうよ。あ、これからお茶にしない?今は時間あるの?」
「ん?ああ。平気、だけど」
じゃあすぐに掃除終わらせるからね、と張り切るゆやに、サスケは緩む顔を隠すかのように深く頷いた。

「はーっはっはっは!下僕の分際で俺様に楯突こうなんざ百年早えんだよ!!」
吹っ飛ばされて壁に背中からめり込んだほたるに向かって、狂は高笑いを上げる。小さく呻いてから、ほたるは身を折り曲げて壁から抜け出した。
「・・・百年も待ってらんないし」
口内を切ったため滲み出してきた血を吐き捨て、ほたるが地を蹴る。
飛び上がり勢いをつけて、大きく振りかぶった。
「遅せえ!!」
笑みを深めて斬り上げる狂。
狂の刀の方が早くほたるに辿り着くかと思われたその時。

ほたるの刀から噴き出した炎が、狂の頭上から降り注いだ。

狂は大きく後ろへ跳んで、何とか直撃は免れる。しかし既に着地していたほたるが、炎の中から間合いをつめて狂に斬りかかった。
「遅いよ」
「てめぇ・・・」
上等だこらぁ、と言い放ち狂がみずちを放つため構えた時。

「あ~あ。またこんなに壊しちゃって」

のんびりした明るい声に、狂もほたるも振り返らない。そこにはもちろん、遊びに来たらしい幸村がいた。
「ゆやさんに怒られても知らないよ~?」
「関係ねえ」
不機嫌そうな顔で狂が呟く。幸村は、彼をからかうような笑みを崩さない。
「・・・・・・・・あ。忘れてた」
ぼそっと呟いたほたるが、いきなり殺気と構えを解いて狂に向かい手を突き出した。
「狂、返して」
「ああ?」
「椎名ゆやのリボン」
不可解そうな顔をしていた狂が、それに加えて不機嫌な表情になった。
「何の話だ。チンクシャのもんなんざ知らねえよ」
「嘘つき。返して」
「何で俺がんなくだらねえことで嘘つかなきゃならねえんだよ」
「うーん・・・・何でだっけ?」
「俺が知るか」
「あ、思い出した。嫉妬」
幸村が、へええ、と感心した声を上げる。狂はかなり極悪な笑みを浮かべて『ぐぁっしぃ!』とほたるの頭を掴んだ。

「俺がんなもんするわけねえだろうが・・・・・」

「痛い」
「チンクシャは、ただの下僕なんだよ・・・」
「すごく痛い」
「ぶっ殺されたくなかったら、ふざけたこと言うんじゃねえ・・・」
「だから痛いって」

わかったら仕事してこい下僕二号!と叫んで、狂はほたるを割れた窓から投げ飛ばす。
「・・・かなり嫉妬してると思うんだけどなあ」
二階から落ちていくほたるを笑顔で見送り、幸村はぽつりと呟いた。

「で、本当に知らないの?」
幸村が問うと、狂は不機嫌な顔のまま彼を睨んだ。
「何をだ」
「だからぁ、ゆやさんのリボン」
「どうやら殺されてぇらしいな」
ゆらりと刀を構える狂。すごい殺気が吹きつけるが、幸村は飄々と答える。
「うーん。殺されるのは嫌だねえ。でも・・・」
幸村も刀を取り出すと、同じくらいの殺気を放った。

「ボクが狂さんを斃すのは一向に構わないよ」

「ほざけ・・・勝つのは俺だ」
「どうかな?たぶんボクだと思うよ」
にやりと笑い合うが、二人とも殺気と視線は本気のようだ。
次第に緊張が高まり、まさに一触即発となったその時。

「あ~っ!!何やってんのよ!?」

窓は割られ、壁はぼろぼろの状態となった廊下に、ゆやとサスケが駆けつけた。
「引っ込んでろチンクシャ」
「やあ、ゆやさん。こんにちは」
狂が吐き捨てるように言い、幸村は笑顔で手を振る。ゆやは取り合えず幸村に向かって頭を下げた。
「こんにちは幸村さん。って狂!あんたまたこんなに散らかして!」
「うるせえな・・・」
「文句言われたくないなら、外でやりなさいよ!」
「てめえに関係ねえだろ」
「大有りよ!誰が片付けると思ってんの!?」
言い返すことがないのか、無言で舌打ちする狂。
どこぞの不良かお前は、と思いつつも口に出さないサスケだった。

「とにかく、中で暴れるのは禁止!幸村さんも、狂に喧嘩売られても無視して結構ですから」
「えーと・・・はい」
本当はここを破壊したのはほたると狂で、後から喧嘩売ったのはどちらかと言うと自分なんだけど、と幸村は言おうか迷ったが、わざわざ事態を混ぜ返すこともないと思いやめておく。
不満そうな顔をしつつも、ゆやの言いつけを守って外へ向かう狂。恐らくこの鬱憤は自分との死合いで晴らす気なのだろうなあと、幸村は思った。
「あ、狂!」
ゆやに呼び止められて、狂が足を止める。
「夕食の用意しておくから、日が沈む頃には帰ってきてよ」
これから殺し合いに行く男に言う言葉としては、あまりにも不適切なその言葉。
しかし狂はにやりと笑うと、ゆやに背を向けたまま言う。
「下僕は黙ってご主人様の帰りを待ってな」
ゆやが憤慨するが、狂はくつくつと笑って流した。

「・・・幸村」
いつの間にか傍に来ていたサスケが幸村に小さく声をかける。
「うん?どうしたのサスケ」
「これから、鬼目の狂と死合いに行くのか?」
「そのつもりだけど?あ、サスケは手出し無用だからね。ここに残っててもいいよ」
幸村が言うが、サスケは溜め息と共に首を横に振った。
「俺はお前の護衛だぜ?ついて行くに決まってんだろ」
その声がやけに沈んでいて、幸村は首を傾げた。どうしたのか尋ねようとしたその時。

「っきゃああ!!」

いきなり上がったゆやの悲鳴に、幸村とサスケが振り返る。だが、ゆやの姿は狂の背中に隠れているため見えない。
「あ、サスケはまだだめ」
「は!?な、何言ってんだよ!」
しかも突然幸村に目隠しされて、サスケはばたばたと暴れた。

「ちょ、ちょっと狂!」
「俺に口答えする暇があるなら、少しでも胸をでかくする努力をするんだな」
「それとこれとは関係ないでしょ!!」
「大有りだぜ?もう少しお前に色気があったら、少しはお前の言うことを聞く気になるかもしれねえだろ」

真っ暗な視界に二人の声だけが聞こえ、サスケは何が起きているのかわからない。ゆやの声がただ事ではないと言うほど切羽詰っていて、それがサスケを焦らせた。
「ガキは素直に言うこと聞いてりゃいいんだよ」
「性格ひん曲がったあんたに言われたくないわよ!もうっ、私はこれからサスケ君とお茶するんだから、放して!!」
『・・・・・・・・・・』
沈黙が流れて、サスケから幸村の手が外れた。
「サスケ、ゆやさんとお茶の約束してたの?」
幸村に顔を覗き込まれ、サスケは逃げるように俯く。それを見た幸村は、微笑むとサスケの頭を撫でた。
そして狂の方へ向き直り、顔の前で手を合わせる。

「ごめん狂さんっ!今回の死合いはパス!」

「・・・・何だと?」
「ちょっと今日は乗り気じゃなくて。また今度相手してよ」
さっきはやる気満々だったくせに何言ってやがる、と狂は思ったが口にはしなかった。代わりにサスケが目を見開いて口を開く。
「おい幸村・・・どうしてそんなこと」
「ゆやさんとお茶するんでしょ?」
幸村の言葉に目を見開くサスケ。幸村は、サスケを優先させて狂との死合いを諦めたのだ。いくら彼が来なくていいと言っても、死合いをするなら護衛のサスケは近くにいなければならないから。
「幸村・・・」
サスケは半ば呆然として呟いた。普段は飄々としていても、やはり彼は自分よりも周りのことを考えてくれる。
改めて、主を見直すサスケだった。

「ええと・・・じゃあ幸村さんは狂と行かないんですか?」

いきなり話が変わって、戸惑いがちに尋ねるゆや。
「うん。狂さんとは次の機会」
そして人差し指を立て、満面の笑みで言い放つ。

「今回はゆやさんと一緒に行くから」

「・・・・は?」
サスケが思い切り間の抜けた声を出す。にこにことしたまま、幸村はサスケの頭を撫でた。
「だってぇ、ボクもゆやさんとサスケと一緒にお茶したいし。いいでしょ?ゆやさん」
「あ、はい。ぜひ!」
「じゃあ早速行こうか」
どこか放心気味のサスケの手を引き、幸村は一階の応接間へ向かい歩き出す。ゆやが、狂の元へ駆け寄りその顔を見上げた。
「狂も行かない?せっかくだし」
「・・・何がせっかくなんだよ。んなもんに興味はねえ」
しかしゆやは、先をいく幸村のように狂の手を取り歩き出す。
「おい」
「いいからたまにはお酒以外のものも飲みなさいよ。それとも何?お酒は飲めてお茶は飲めないわけ?苦いのは嫌いとか?」
「・・・んなわけねえだろ」
「じゃあいいじゃない。一回くらい一緒にお茶してくれても」
ぐいぐいと手を引くゆやに、狂は何も言わずに溜め息を吐いた。

幸村がサスケを、ゆやが狂を半ば引きずりながら歩く。
「お茶の用意はもうしてあるんですよ」
「そっかそっか。この四人でお茶なんて初めてだよねえ。楽しみだな~」
「そうですね!」
うきうきと足取り軽やかな二人。
ちなみにサスケはいまだ放心状態で、狂は面倒くさそうな雰囲気全開だった。

応接間に続く階段を下りる四人。二階であれだけ暴れて破壊したにも関わらず、一階は傷一つない。
「お茶菓子は何かな~」
「ふふ。それは見てのお楽しみです」
『・・・・・』
玄関の前を通り、応接間の扉を幸村が開く。するとそこには。

「狂~、待ってたのよぉ!」
「ゆやは~ん!どこ行ってたんやあ」

『・・・・・・』
「あれ、みんな来てたんだね」
幸村の言葉通り、応接間にはティーカップ片手に立ち上がる灯と紅虎。そして身体中に傷と木の葉をつけて、お茶菓子を黙々と頬張るほたるがいた。
硬直するゆやとサスケ。更に面倒なことになったと顔をしかめる狂。

「うん。美味かったよ」

最後の一つを口に放り込み、心なしか満足そうなほたるが、ゆやを見ながら感想を述べる。ゆやはにこにこと笑顔でほたるに歩み寄ると、愛用の短筒をがちりとほたるの額へ突き付けた。
「これからは、私が作ったとわかっていながら無許可で食べないと誓いますか?」
「誓います」
両手を上げて即答するほたる。続いてゆやは笑みを崩さないまま灯と紅虎へ視線を移す。
『誓います誓います!』
ゆやが口を開く前に揃って宣言する二人。ゆやは、短筒をしまうと幸村とサスケに頭を下げた。
「ごめんなさい。またお茶とお菓子用意してきますんで、もう少し待っててもらっていいですか?」
「うん、大丈夫。急がなくていいからね」
「ね、姉ちゃん。俺も手伝うよ」
ゆやとサスケが応接間を後にし、一同は大きく安堵の息を吐く。
くつくつと笑う狂の声が、静かな部屋に響いた。

上座のソファにどかっと腰かけ、狂が煙管を取り出す。
するとすかさずその肘掛けの部分に、灯が座って狂の肩へともたれかかった。

「狂、そろそろ私と身を固めてくれる気になった?」

単刀直入な物言いに、紅虎が紅茶を吹きだす。咽る彼の背を、ほたるがどすどすと叩いてやった。
「げっふぁがほ!!って、痛いわ!やり過ぎや!!」
「え?そうだった?」
「叩くっちゅうより殴っとるやんけ!」
「そうか・・・じゃあ今度は思いっきり手加減するから。これでも十分手加減してたんだけど」
「っぐ・・・なんやその言い方妙に腹立つわ・・・」
「で、どうなの?狂」
騒ぐほたると紅虎を無視して狂に迫る灯。同じく無視を決め込んでいた狂は、煙草の煙で輪をつくりながら「さあな」とだけ言った。
「もう!いい加減に諦めて私と結婚しなさいよね!!」
「・・・灯はん・・・それ求婚やのうて脅迫ぐぼっふぉ!!」
動き辛そうな服装にもかかわらず、素早い動作で紅虎にフックを決める灯。ほたると幸村が拍手を送る。
「そう言えば、狂さんは『顔に一発いれたら結婚する』って約束したんでしょ?もう一発いれたの?」
幸村が尋ねると、灯はぐっと唇を噛んだ。狂がにやりと笑って煙管を口から放す。
「この俺様が喰らうわけねえだろ」
くやしー!と地団太を踏む灯の隣で、狂はくつくつと笑った。

「これでいーのか?」
「そうそう。あとは型でくり抜いて、オーブンで焼けば完成よ」
サスケは、麺棒を置いて大きく息を吐いた。別に体力を使うようなことではないのだが、焼き菓子作りなど慣れない上に、ゆやが親切丁寧に教えてくれるため、緊張してしまう。
「これを使って。他にもあるから、ほしかったら言ってね」
がらがらとサスケの前に銀色の型が用意される。丸、四角、花や象・・・・。
それを眺め、思わずサスケはゆやに声をかけた。
「ね、姉ちゃん」
「うん?」
「ええと・・・さっき応接間に用意してたお茶菓子って、これと同じ奴なわけ?」
「そうだけど?」

つまり先ほどあそこで、ほたると灯と紅虎は仲良く花や象や猫型の焼き菓子を食べていたわけである。
そしてもし、彼らが焼き菓子を全て平らげていなければ、幸村や狂も犬やハート型の焼き菓子を食べることになっていたわけで・・・。
「に、似合わねえ・・・」
「え?」
幸村はともかく、狂がチューリップ型の焼き菓子を口にするところを想像してしまい、サスケは蒼白気味に呟いた。
とりあえず、首を傾げるゆやに何でもないとだけ言い、無難な丸い型を手にするサスケだった。

「も~っ!また外した!!あんたらのせいよ!!」
「何でわいらのせいになるんや!?」
「別に何も邪魔してないよ」
話題に出たため、灯は何度も狂の顔面に一発決めようと拳を振るうが、かすりもしない。
その責任を擦り付けられた紅虎やほたるは揃って抗議する。
「何もしないのが悪いって言ってんのよ!私の幸せのために、せめて死ぬ気で狂の動きを止めるとかしなさい!!」
「無理に決まっとるやないか!『せめて』の域を超えとるわ!!」
「狂と死合うのはいいけど、邪魔されるのはやだ」
更に文句を言う二人の顔面に、灯の鉄拳が綺麗にはいる。
「狂さん以外になら簡単に決まるのにね~」
完璧人事なので、幸村の声は呑気そのものだった。

キッチンに、甘く香ばしい空気が満ちる。
「うん。そろそろいいわね」
ゆやがオーブンから鉄板を取り出すと、そこには綺麗に焼きあがった菓子が並んでいた。
「へえ・・・美味そうだな」
思わず呟くサスケ。すると、ゆやがくすくすと笑いながらサスケを手招きする。
首を傾げながらサスケが近寄ると。
「はい、あーんして」
「っ!?」
「どう?」
「・・・うん。美味い」
ゆやの手で口に放り込まれた焼き菓子は、格別だった。
「そうでしょうとも!なんてったって、サスケ君がたくさん手伝ってくれたんだから」
そう言って胸を反らせるゆやを見て、珍しくサスケは声を上げて笑った。

「いっ、いい加減に、観念しなさいよ・・・」
肩で息をしながら、言葉をとぎらせつつ呻く灯。
対して狂は、平然とソファに腰かけ煙で輪を作っている。
「狂はんに一発入れるなんて無理やと思うけどなあ」
「俺は狂にデコピンしたことあるけど」
「あんたらは黙ってなさい!」
紅虎とほたるに向かって怒鳴り、灯は再び狂へ拳を繰り出す。もちろんそれも簡単にかわされ、そのためソファに穴が開いた。

「きいぃ~!狂!ちょっとじっとしてて!!」

「それじゃあ意味ねえだろうが」
迫る拳をひょいひょいとかわしながら、狂は呆れた声で言った。
「意味あるわよ!この灯ちゃんと結婚できるんだから!」
『本末転倒だろ』
思わず狂と共に突っ込む男共だった。

「くっ・・・こうなったらもう『あれ』しかないわね」
そんなこんなで数分後、ほぼ力尽きた灯がソファにもたれかかりつつ呟く。
「あれってなんや?」
「さあね~」
首を傾げる紅虎と幸村。ほたるはその状況に飽きたのか、皿に残った焼き菓子の屑を摘んで食べ出していた。

「最終手段よ、狂!覚悟しなさい!!」

プロポーズにしては過激な言葉を叫んで、灯は懐から一冊のメモ帳らしきものを取り出す。
わけがわからずそれを見やる一同。
そして灯は、それを手にずずいと狂に迫る。

「この『みんなの秘密メモ』をあげるから、私と結婚しない?」

「ってそれのどこが最終手段やねん!?」
「いいなあ。ボクにも見せて~」
叫ぶ紅虎と目を輝かせる幸村。そして狂は。
「いらねえよ」
かなり鬱陶しそうな顔で、ぼつりと言った。
しかし灯は目を細めて余裕の笑みを浮かべる。

「ふぅん・・・狂は知りたくないわけ?ゆやちゃんのひ・み・つ」

一瞬の、静寂。
「なっ、なんや!?ゆやはんの秘密って!?」
「ボクも興味あるなあ~」
かなり勢い込んで迫る紅虎と幸村に向かって、ソファをぶん投げる灯。それがヒットした紅虎はソファと共に部屋の片隅へ沈んだ。
「興味ねえな」
煙管を口にしつつ言い放つ狂。その眉間には普段以上に深い皺。
「もう!つれないわね!」
「俺は興味あるけど」
『・・・・』
憤慨する灯に言ったのは、口元に焼き菓子の屑を付けたほたるだった。

「教えてよ灯ちゃん。椎名ゆやの秘密」

ずいっと灯に迫るほたる。無表情の癖に妙な威圧感を醸し出され、灯は僅かに後ずさった。ほたるの背後に黒っぽい炎が見えるのは気のせいだろうか。
「な、何であんたにタダで教えてあげなきゃいけないのよ」
「・・・・?」
突っ込まれて、ほたるは首を傾げた。暫く何やら考えて、ぽんと手を打つ。

「じゃあ俺が灯ちゃんと結婚してあげるから、椎名ゆやの秘密教えて」

「誰がお前と結婚するかボケェえ!!」
叫ぶ灯の鉄拳がほたるに決まり、吹っ飛んだ彼は紅虎とソファの元に突っ込んだ。
「おーい。大丈夫?」
幸村が声をかけるが、ほたるも紅虎も微動だにしない。
「まさか死んでないよねぇ?」
そう呟きつつも、特に何もしてやらない幸村だった。

「こうなったら絶対に一発殴ってやるんだから!」

自棄になった灯は、再度狂に攻撃をしかける。
しかし頭に血が上った灯の拳は簡単に見切れてしまう単調なもので。
「そんなんじゃ俺には当たらねえよ」
余裕で言った狂が、軽く後ろへ飛んだ。その時。

「っきゃ・・・!?」

どんっ、という衝撃が狂の背に伝わり、あ、と小さく声を上げるサスケの声が応接間に上がった。

目を見開く一同の前で、甘い香りと焼き菓子が舞う。
初めにゆやの持っていたトレイが落ち、続いて皿と焼き菓子が床に散らばった。

しんとなる空気。

(っや、やばいで!はよ謝るんや狂はん!!)
(狂!何突っ立ってんのよ!)
(うんうん。修羅場の予感だねえ)
(あーあ。もったいない)

各々思いながら、その光景を眺める。
呆然としたまま床に落ちた焼き菓子を見つめるゆや。そして狂は。

「ちっ・・・いきなり出てくんじゃねえよチンクシャ」

((こぉっんの不良息子ぐわぁああ!!))
灯と紅虎が胸中で突っ込んだその時。

すぱぁんっ!!

それは一瞬のことで、皆理解するのに時間がかかった。
狂は、じろりとゆやを睨みつける。
ゆやは、狂の頬を叩いた手をきつく握り締め、狂を睨み返していた。
そのまま膠着状態に陥るかと思われたが。

「うん。美味いよ」

床に落ちた焼き菓子を口に入れ、ほたるがゆやへ言う。
唖然としてほたるを見やる一同。ゆやも言葉が出ないらしい。
二枚目を口に入れようとして、ほたるは、あ、と声を上げた。
「勝手に食べちゃいけないって言われたの忘れてた」
ひらひらとゆやの前に円形の焼き菓子をかざすほたる。
「ねえ。食べてもいい?」
「・・・・・・・はい」
少し困ったように、しかし嬉しそうに、ゆやは笑って頷いた。
「よっしゃ!わいも頂くで!」
「ま、仕方ないから食べてあげるわよ」
「やっとボクも食べられるよ~」

紅虎と灯と幸村も口々に言って床にしゃがみ込む。
ゆやも膝をつくと、落ちた焼き菓子を拾い始めた。サスケもお茶が乗ったトレイをテーブルに置いて、ゆやを手伝う。
「やっぱりゆやはんのお茶菓子は美味い!!」
「まあ、結構いけるわね」
「うんうん。美味しいよ~」
「ありがとうございます!」
皆に褒められ、ゆやは喜色を浮かべて言った。
「でもこの焼き菓子は私だけで作ったんじゃなくて、サスケ君がたくさん手伝ってくれたんですよ」
「そうなんだ。偉いねえサスケ」
「・・・別に大したことじゃねえよ」
幸村に言われて、サスケは視線を逸らしてぶっきらぼうに呟いた。
「へえ~!ジャリにしてはやるやないか!!」
「うるさい」
「何やと!人がせっかく褒めてやってるっちゅうのに!!」
騒ぐ紅虎を無視して焼き菓子集めを再開するサスケ。
不意に幸村が、ソファに座っている狂へ声をかける。
「ほらほら、狂さんも一個食べてみたら?すごく美味しいよ」
「・・・・」
しかし狂は何も言わない。紅虎が文句を言おうと立ち上がりかけたその時。
「・・・・・・!?」

身を乗り出した狂が、ゆやの手にある焼き菓子を一つ摘んで口に入れた。

皆、驚愕の表情で狂を眺める。勧めた幸村でさえ、ぽかんと口を開けていた。
狂はそれを少し咀嚼して飲み込むと、思い切り顔をしかめた。
「甘ったりぃ・・・」
ぽつりと漏らす狂。そしてテーブルにあったお茶を一気に飲み干す。
それでもゆやは、嬉しそうに顔を綻ばせて微笑んだ。

そのころほたるは、サスケの集めた焼き菓子にまで手を伸ばしてもそもそと食べていた。

「あんた、食い過ぎじゃねえの?」
「うん。美味いよ」
「・・・・・そりゃあどうも」
かなり棒読みでぼそりと言い、そのまま食べ続けるほたるに、サスケはもう何も言わなかった。
実はほたるが、昨日の晩から食事するのを忘れていたということを知る者はいない。

床に散らばった焼き菓子を全て平らげ、冷めてしまったお茶をすする。
そんなお茶会でも、不満を覚えるものはいなかった。
「トラ、お茶のおかわりする?」
「おおきに~」
「ゆやちゃん、私もー」
「はーい」
ほのぼのとした空気に和む一同。
「あ、そうだ」
そう言えば、と手を打つ幸村。
何だどうしたと周りが視線を送る。その中でサスケだけは、長年仕えていたためか、何かやばい予感がして顔をしかめた。

「さっきゆやさんが狂さんの顔に一発決めてたよね」

『・・・・!!』
その言葉に固まる一同。わけがわからず目を瞬かせるゆやとサスケ。いつも無表情のほたる。
こうしてサスケのやばい予感は当たった。
「っぬ、ぬぁ、ぬあにほざいてんのよあんた!?そんなの認めないわよ私は!!」
胸倉に掴みかかる灯に、がくがくと揺らされながら幸村は楽しそうに笑う。
「でも、『狂さんの顔に一発決めたら結婚できる』って決めたのは灯さんじゃないの~?」
「な!?」
やっと事態を理解して、驚愕するゆや。隣でサスケも目を見開いている。

「だめだよ」

不意に、お茶をすすっていたほたるがぼそりと言った。
「そうよね!その通りよねっ!」
「よく言ったわほたるはん!」
激しく同意する灯と紅虎。
「どうしてだめなの?」
幸村が興味津々に尋ねると、ほたるが考え込む。
また『何でだろ』とか言い出すのかと思いきや。

「あんなんで結婚されたら困るから」

『・・・何で?』
「・・・・・・何でだろ」
やはりほたるはいつものほたるだった。
「おい、チンクシャ」
突然の事に、赤くなったり青くなったりしているゆやへ、狂がにやりと笑って声をかける。
「な、何よ!?」
「随分意識してんじゃねえか。そんなに嬉しいのか?」
「ばっ、馬鹿じゃないの!?そそ、そんなわけないじゃない!!」
「まずは、もう少し色気がある身体になることだな」
「うるさいわね!色気があってもあんたなんかお断りよ!!」
ということは、ゆやが色気のある身体になったら結婚する気か・・・?とサスケは戦慄したが、恐ろしくて口にはできなかった。

「ああっ!そうだ!!」
何とか話題を変えようと考えていたゆやが声を上げ、狂の服に掴みかかる。
「ちょっと狂、私のリボン返してよ」
『リボン?』
サスケと灯と紅虎が口を揃えて尋ねる。そう言えばそんな話題もあったねえと幸村がしみじみ呟く。ほたるは完全に忘れているようで、首を傾げていた。
しかし狂は顔をしかめると忌々しげに舌打ちする。
「知らねえって言ってんだろ」
「・・・本当に?」
いぶかしげに尋ねるゆや。狂は、極悪な笑みを浮かべてゆやの身体を捕らえた。
「チンクシャ・・・下僕のお前が俺様の言葉を疑うなんざ百年早いんだよ」
「っちょ、狂・・・!!」
「なんならこの場でご主人様と下僕の差を教え込んでやろうか・・・」
狂の手がゆやの身体を這い、一同がそれを止めるべく腰を上げたその時。

「ゆやさんをからかうのは、それくらいにしておいてくれませんか」

刹那かけられた制止の声に、狂は手を止めて扉の方を見やった。
ゆやもつられてそちらを振り向き。
「あ、アキラさん・・・」

扉の前には、いつの間に来たのかアキラが笑みを浮かべて立っていた。

「殺気すごいねアキラ。焼き菓子食べられなかったから?」
「違いますよ!」
ほたるの言葉にアキラが青筋を立てる。せっかくの登場場面が台無しである。
自分の意見を否定されて、暫し考え込んだほたるは、謎は解けたとばかりにぽむと手を叩いた。
「じゃあアキラだけ仲間外れにされたからだ」
「っ・・・違います!」
どもった!と誰もが心中で突っ込む。ほたるはまたもや考え込んでから、うんうんと頷いた。
「そうか。確かに梵もお茶会に呼ばれてないもんね。よかったねアキラ。一人だけ仲間外れじゃなくて」
「だから違うと言ってるでしょう!!」
「え、ええと!アキラさんもお茶飲みませんか!?お茶菓子はもうなくなっちゃったんですけど」
このままでは死合いになりかねないと、慌ててゆやが仲裁に入る。アキラは、小さく咳払いするといつものように落ち着いた声で頷いた。
「ええ。では頂きます」
「あの焼き菓子が食べられなくてかわぅぐ」
「あんたは黙ってなさい!」
ほたるの口を紅虎が塞ぎ、灯が素早く叱りつけたおかげで、その場は何とか闘争にならずにすんだのだった。

ゆやからお茶を受け取り、アキラはゆっくりとそれをすする。
その深緑の湯飲みはアキラのマイカップである。それだけアキラがよくここに来るということなのだが、他一同もそれは同じで。
「アキラ、あんた今日は何しに来たのよ」
尋ねる灯のティーカップは桜模様の特注品。
「灯こそここへ毎日のように通ってるらしいじゃないですか。狂を殴るなんて無理に決まってごふっ」
「余計なこと言わん方がええで。それこそお前には無理やろうけどな」
灯に殴られたアキラに無駄と思いつつも突っ込む紅虎。彼の湯飲みは虎縞という色々な意味で希少なものである。
楽しそうな笑顔でその様子を眺める幸村の白いティーカップには、繊細な模様が入っている。
サスケのは青いラインが入った白いマグカップだ。

ちなみに、彼らのマイカップは全てゆやが選んだものである。彼らはそれだけ頻繁にここへ来てはお茶を飲んで行くのであった。

そして他にも数個、客人用のマイカップがあるのだが。
「そう言えば今日は、梵天丸さんも阿国さんも来ませんね」
ゆやが話題を振ると、男共はかなり興味なさそうな顔で各々返事をした。
「どっかでのたれ死んでんじゃな~い?」
「あ、灯さん!縁起でもない!!」
「ありうるかもね。この前、梵が最近殺気感じるって言ってたし」
「ほたるさんっ!」
やめて下さい!とゆやが叫ぶ。それは返って、周りの者たちを増長させる結果となってしまったが。
「そういやさっき、花瓶がひとりでに割れとったなあ」
「森に住む狼に喰われたのかもしれませんね」
「ここに来る途中に黒い猫がいたよねえ。サスケ」
「ただ黒猫が十匹くらい群がってただけだろ?それがどうしたんだよ」
青ざめるゆや。狂は相変わらず無視していつの間にやら取り出した酒瓶から酒を飲んでいる。
「ど、どうしよう・・・アキラさん。テレパシーか何かで梵天丸さんたちと連絡取れませんか?」
「ゆやさん。私は超能力者じゃありませんよ」
その気になれば空気も凍らせる力を持つアキラは、顔をしかめてそう言った。
「それに梵の一人や二人死んだところで私には何の関係もありませんしね。むしろ・・・」

「むしろ何だってぇえ?」

突如、太い指でがっしりと頭を掴まれ、アキラの頭蓋骨はみしみしと軋んだ。こんなことができるのはあの男しかいない。
「あぃだだだだっ!は、放せよ梵!!」
「こんなに素晴らしい俺様が二人も死んだらこの世の大損失だろうが」
にこやかに言いながらも梵天丸のこめかみは引きつっている。アキラは腰に差していた刀を抜き放って何とかその手から逃れる。
「この、馬鹿力が・・・」
くらくらする頭を振るアキラに、梵天丸はそれ見たことかと豪快に笑った。そこへほたるが近寄り。
「梵って双子だったの?」
「は?何言ってんだほたる」

ゆやから大き目の湯飲み(筆でなにやらことわざが書かれている)を受け取り、梵天丸は中のお茶を一気に飲み干す。
そんな飲み方でも、ゆやは不満を覚えたりはしなかった。すぐにおかわりを要求されて、お茶くみ係としてはむしろ嬉しいくらいだ。
「そうだ、梵天丸さんは阿国さんのこと見かけませんでした?」
お茶を注ぎながら、ゆやはまだ来ない客人のことを尋ねた。彼女は数日来ないことももちろんあるのだが、昨日阿国が来た時に、明日もまた来ると言っていたのだ。
梵天丸は少し首を捻り、記憶を探ってから首を横に振ろうとした。その時。

「お前の言う女はこれか?」

まず、声だけがした。
ゆやはそう思ったが、他の男たちは既に動いていた。
狂がゆやの首根っこを掴んで引き寄せる。梵天丸は、立ち上がって腕を伸ばし。
梵天丸が直線的に飛んできた阿国の身体を受け止める。そして何故か直後に水をかぶってずぶ濡れになった。
「っお、阿国さん!?」
ゆやが驚愕して名を呼ぶが、意識がないらしく濡れた身体は動かない。
「大丈夫だゆやちゃん。とりあえず生きてるぜ」
梵天丸の言葉に、大きく安堵の息を吐くゆや。そしてやっと、自分が狂に猫の如く首根っこを掴まれたままだということに気付く。
「っちょ、ちょっと狂、放してよ」
「あぁ?助けてもらった分際で随分偉そうじゃねえか」
狂の言う通り、あの時狂がゆやを引っ張らなければ、飛んできた阿国とぶつかっていたはずである。
それに気付かされたゆやは、ばつが悪そうに唇を噛んで俯いた。
「ご、ごめんなさい・・・ありがとう、狂」
狂は、にやりと笑うとゆやの顎を掴んで上を向かせる。
「礼なんざいらねえよ。ただし、今夜は俺がもういいと言うまで酒を持ってこい」
ゆやは思い切り否定したい気持ちを顔中に溢れさせたが、それを口にすることはできなかった。

ほたるは、呆然とした顔で『その男』を見ていた。
阿国が無事だとわかって安堵した一同は、続いて彼女を投げつけてきた張本人へと目を向ける。
全員の目が己に向いて『その男』は、やっと二言目を発した。

「鬼眼の狂はどいつだ」

「何やお前!阿国はんをこないな目にあわしといて、今度は狂はんに何する気や!?」
叫ぶ紅虎を不快そうに一瞥すると、男は几帳面にも理由を語りだす。
「その女は鬼眼の狂の居場所を知っていながら話さなかった。ならばそうなるのは当然の結果だ」
冷酷に告げる男を、ゆやはきっと睨みつける。

「当然ですって・・・?阿国さんをこんなに傷つけて、何が当然なのよ!この変態!!異常快楽殺人犯!!」

その場の空気が、別の意味で凍りついた。ついでに『殺してないって』と胸中でつっこむ男たち。
「違う!俺は壬生を守る戦士だ!!断じて異常快楽殺人犯などでは・・・」
何とか立ち直ってよくわからない反論をするその男に、ゆやは更に言いつのる。
「絶対そうよ!顔からしてサディストっぽいわ!!」
「あはは。ゆやさん、それ以上は言わない方がいいんじゃない?」
「そうだぜ姉ちゃん。本当だったらどうすんだよ」
庇っているのか傷つけているのかよくわからない幸村とサスケ。もちろん男は返って怒りに震えている。
「くっ・・・女・・・よくもこの俺を、さ、サディスト呼ばわりしてくれたな・・・」
台詞を咬んだのは怒りのせいか、それとも別に理由があるのか。しかしゆやはなおも威勢よく男に向かって叫ぶ。
「本当のことじゃないのよ!ていうかあんたなんかに比べたら、狂の方がまだましね!」
「・・・どうましなのか説明してもらおうじゃねえか、チンクシャ・・・」
やけに極悪な笑みを浮かべながら、ゆやを捕らえる狂。そのため男にも、彼が狂であるとわかったようだ。

「貴様が鬼眼の狂か・・・」
「ちょ、ちょっとやだ!放して!」
「鬼眼の狂、貴様の命を貰い受けに参上した・・・」
「あっ、な、何すんのよ!?」
「俺は五曜星のし・・・」
「きゃあぁあああ!!」
「待ちやがれ狂!」
「・・・し、しん」
「狂!早まるな!」
「あんただけずるいわよ!!」
「しんれ・・・」
「姉ちゃんを放せ!」
「ゆやはんに何するんや!!」

「話を聞けえぇえ!!」

叫ぶ男を無視して、騒ぎ立てる一同。
男の胸に僅かな寂しさが芽生えたその時。

「何しに来たの?辰伶・・・」

刀を手に、殺気全開のほたるがゆらりと前に出た。微妙に辰伶の顔が輝いたように見えたのはきっと気のせいだろう。
「邪魔をするな熒惑。裏切り者の貴様は鬼眼の狂を斃してから始末してやる」
「それはだめだよ。狂を斃すのは俺だし」
「壬生の命令を無視し、こんなところに住み着いた貴様が何を言う」
「だって俺は狂の下僕だし。ここから出て行く気もないし」
「っ・・・ならば貴様を先に殺してくれる!!」
円形の特殊な刀を構え、辰伶はほたるに向って地を蹴った。

今、異母兄弟の戦いが始まる・・・!!

そしてもう片方では、狂がまだゆやを手放さずにいることに痺れを切らした、アキラとサスケと紅虎がゆやを取り返すべく最強の男へ攻撃を開始したところだった。灯は後ろで彼らをサポートし、幸村はそれを楽しそうに観戦し、梵天丸は阿国を抱えたままどうするべきかと困惑していた。

こうして互いの状況を全く無視し、二つの戦いが同時に幕を開けたのである。

どんっ。

広く豪華な食堂に重い音を響かせ、一枚の皿が食卓に置かれた。
そこには山盛りの白飯。申し訳程度に、たくあんが添えられている。
「・・・あ、あの。ゆやさん」
「なんですかアキラさん」
引きつった笑みを浮かべてアキラが声をかけると、ゆやは怖いほどにこやかな笑顔で振り返った。
「ええと・・・その、今夜の夕食はこれで全部ですか?」
「ははは。そんな訳ないじゃないですか」
「はは、そ、そうですよね」
「はい」

ごとん、と音を立ててアキラの前に置かれたのは、コップ一杯の水。

「もちろん飲み物もありますよ」
にっこりと言うゆやに、傷だらけの身体に包帯を巻いたアキラは涙して礼を述べた。

アキラと同じメニューの者は、他にも数人いる。

「ゆやは~ん。堪忍やあぁ」
「・・・・・」
まず紅虎とサスケ。二人はアキラと同じ理由である。三人で狂に攻撃をしかけて応接間を半壊させた罰として、この夕飯になったのだった。

続いてほたる。彼は辰伶と闘い、半壊していた応接間を半焼させた罰である。
しかし本人は気にしていないのか、平然とたくあんを摘んでぽりぽりかじっていた。
「つうかほたるはん。なんでわいらと一緒に飯食っとるんや?」
「そうですよ。あなたはそんなんでも一応ここの使用人でしょう。ゆやさん一人に給仕を押し付けるとは何事ですか」
珍しく意見の合う紅虎とアキラに言われ、ほたるはたくあんを口から離して瞬きをした。
「別に大丈夫ですよ」
ゆやがそう言って笑うと、ほたるは席を立ってゆやの元へ歩み寄る。
「じゃあ俺も後であんたと食べる」
『さっさと食え』
皆の声がそろってほたるにかけられた。

ついでに狂も応接間半壊の片棒を担いでいたため、白飯一膳ならぬ日本酒一瓶のみとなっている。既に飲み干した狂は追加を持って来いとゆやに言いつけていたが、ゆやは反省しなさいと一喝して以降それを無視していた。

「はっはっは。可哀相だねぇ君たち。せっかくのご馳走が食えないとは」
「うんうん。このスープなんかすごく美味しいよ」
そう言ってふんぞり返る梵天丸と笑う幸村は普通の夕食である。周りの者たちの食事が寂しい分、その夕食は尚更豪勢に見えた。
そして怪我をした阿国は、別室で療養中である。怪我は灯が治したので、暫くすれば起きられるとのこと。
ちなみに灯は乱闘後に皆の治療をかってでたため、お咎めなしだった。その灯は、牛ロースを切り分けながらぢろりと一方を睨みつける。
「・・・それで聞きたいんだけど、なんであんたがここにいるわけ?」

そう言う灯の視線の先には何故か、辰伶が黙々と白飯を食べていた。

ほたると闘って兄弟共にぼろぼろになった辰伶は、狂たちと共にゆやからお叱りを受け、うやむやのうちにここにいたらしい。
「椎名ゆや」
最後の一口を飲み込んで、白いナプキンを使い口元を拭ってから声をかける辰伶。
「なんですか?」
「馳走になった」
短く言う辰伶の前には、米粒一つ残っていない綺麗な皿。ゆやが数度瞬きをしてそれを見つめる。
「・・・辰伶、さん」
呼びかけられ、辰伶はゆやを見上げた。目に飛び込んできたのは、綻ぶようなゆやの笑顔。辰伶は阿国を傷つけた変態(ゆやの偏見)ではあるが、用意した食事を綺麗に食べてもらえることはとても嬉しい。
「お替り、いりますか?」
「・・・・・・頼む」
どこか放心気味に、辰伶がぽつりと言った。
「ちょっと待っていて下さいね」
周りの辰伶に対する殺気が膨れ上がる中、ゆやが辰伶の皿を手に取る前に。

「俺が行く」

ほたるが先に皿を手に取り、そう言った。
「いいんですか?」
「うん、あんたに行かれるとなんかむかつくし」
ゆやにはよくわからない理由を述べ、ほたるは身を翻した。
不思議そうな顔をしてほたるを見送り、ゆやが呟く。
「・・・ほたるさん、辰伶さんのことが好きなのかしら」
『それはない』
皆に突っ込まれ、ゆやはますます首を傾げた。

「ほたるさん遅いですね」
「きっと毒でも仕込んでるのよ」
「あはは、灯さんたら冗談ばっかり」
そう思っているのはゆやだけだろう。アキラは絶対そうだと胸中で呟き、サスケは青ざめた表情で明後日の方向を向き、辰伶の頬を一筋の汗が伝った。
梵天丸と幸村は食後のワインをかぱかぱと空け、ついでに狂はゆやに日本酒を持って来させることを諦め、自分で取りに行った。そして紅虎はトイレに行っている。

それから暫くして、やっとほたるが戻ってきた。
「はい」
どこん、と音を立てて辰伶の前に出されたのは、白飯ではなくオムライスだった。形も綺麗に整っていて、見るからに美味しそうである。
まさかほたるにこんな芸当ができるとは思わず、皆は目を見開いてそのオムライスを見つめた。
「すごいですねほたるさん!とっても美味しそう!」
「じゃあ今度作ってあげる」
「いいんですか!?ありがとうございます!」
喜ぶゆやを眺めてから、ほたるはゆらりと辰伶に視線を向ける。

「食べれば?」

辰伶が、額に汗を浮かべたままぎいぃと顔をほたるの方へ回した。
「・・・貴様。この料理に何をした」
「別に。普通のオムライスだけど」
「嘘をつくな!俺の本能が、何かあると言っている!」
「少し会わないうちに妄想癖が酷くなったんじゃない?」
「俺は昔から妄想癖などないわ!!」

「いい加減にして下さい!!」

またしても一触即発となった兄弟の間に割り込むゆや。
「辰伶さんが食べないなら、私が食べます!!」
そう叫んだゆやがオムライスをスプーンですくい、口に入れようとしたその時。

「待て!死ぬぞ!!」
義弟の料理に随分な暴言を吐きながらゆやのスプーンを奪う辰伶と同時に、ほたるが腕を伸ばしてゆやの口を塞ぎその身体をオムライスから引き離した。

やっぱり何か仕込んでやがったな、ほたるの奴・・・と各々が呟く。

「熒惑!貴様それでも五曜星か!?」
「別に。なんとなく抱き締めたくなっただけ。ほんと」
「お前が言い訳するのって珍しいなほたる」
梵天丸の突っ込みに、ほたるはそうだっけ、と首を傾げた。と、その時。

「お、なんやなんや、オムライスかいな~。やっぱゆやはん、わいのために作ってきてくれたんやな」
「え?」
ゆやが振り返った時、トイレから戻ってきた紅虎は既にそのオムライスを一口頬張った後だった。

直後、文字通り口から火を吐いた紅虎は、失神して阿国と同じ部屋に運ばれ共に看病されることになったのである。

ほたるは、オムライスにタバスコを一本入れた罰として、皿洗いをゆやに命じられていた。
大人しくそれに従い、皿を洗うほたる。しかし彼は今、あまり顔に出さずともかなり不機嫌だった。
「手荒に扱うな。割れるだろうが。それから、きちんと泡を流せ」
「・・・どーでもいいけど、なんで辰伶がここにいるの?」
鬱陶しそうに見やり、ほたるがぼそりと言う。彼の言うとおり、何故か辰伶が隣で皿を拭いているのであった。
「たとえ白飯一杯とは言え、敵に借りを作るわけにはいくまい」
言って、皿を拭き続ける辰伶。ほたるの視線に疑惑のそれが溢れる。
「ほんとに?」
「それ以外に何があるというのだ」
「椎名ゆやにいいカッコ見せるため」
「っち、違うわ馬鹿者!!」
叫ぶ辰伶を無視して、ほたるは盛大に溜め息を吐いた。

ほたるたちが皿洗いをしている頃、壁に大穴が開いたため隙間風どころではないほど風通しのよくなった応接間で、ゆやが皆に客室の鍵を配っていた。
「ええと、応接間は明日には業者の方が来て直してくれるそうなのですが」
そこまで言って、一度咳払いをするゆや。まだ怒りが収まったわけではないらしく、聞かされる一同の頬に汗が伝う。
「今夜は何にもしていないので、寒くなるかもしれませんから風邪を引かないように。あと、部屋にきちんと鍵をかけて寝て下さい」
『はーい』
揃って返事をすると、ゆやはよし、と言ってやっと笑みを浮かべた。
「・・・お前ら泊まる気か?」
狂がぼそりと言うと、もちろん、という勢いで頷く一同。
「壁の穴から泥棒でも入って、もしもゆやはんに何かあったらコトやからな!」
「俺はお前の方が姉ちゃんに何かしないか心配だ」
「なんやとこのジャリ!」
「みんなでお泊りなんて楽しみだね~!」
火花を散らす紅虎とサスケ。幸村のテンションはかなり修学旅行のそれである。
「ふふふ、今夜こそは狂の顔に・・・」
「だから無理だと言ってるじゃないですか」
もちろん直後、アキラは灯に殴られた。
「アキラ・・・そろそろ学習しとけ」
梵天丸の呟きは、床に這いつくばったアキラの耳に届いているのだろうか。
「帰れ」
そして狂が何度かそう言うが、誰も聞いてはいない。
とりあえず騒々しい一日が今日も終わった。

「ねえ」

アキラはまどろむ意識の中でその声を聞き取った。その声は。
「ねえ。起きて」
「ん・・・」
軽く揺さぶられ、アキラが小さく身じろぎする。その手は。
「起きて」
「・・・ゆ、やさ」

「魔皇焔」

「どわあぁあああ!?」
「あ、起きた」
飛び起きたアキラの目の前には、刀を手にどこかつまらなそうな顔をしているほたる。炎を出す前にアキラが起きてしまったことが不満らしい。
「っんな、ほ、ほたる!?どうしてここに・・・」
「皆を起こしてきてって頼まれたから」
頼んだのはゆやだろう。客室の合鍵をじゃらじゃらと片手で回しながら、ほたるが言った。
「アキラ、さっき何か言ってたよね」
「は?」
「俺が起こしに来た時、嬉しそうな顔して何か言ってた」
「・・・・っな!何も言ってないですよ!!」
突然赤面するアキラ。しかしほたるはその言葉を信じるほど鈍感ではない。
「絶対言ってたって。何言ってたの?」
「知りません!!ほたる、あなたは『皆』を起こすように言われたんでしょう。他の皆さんはもう起こしたんですか?」
「まだ。アキラが一番初め」
「だったら早く行きなさい!!」
「・・・アキラってそんなに寝起き悪かったっけ?」
アキラに叩き出されて、ほたるは首を傾げながら隣の部屋へと向かった。

そして新たなドアの前に来たほたるは、大量の鍵の束から一つを選んで鍵穴へ差し込む。

「あれ?」
しかしその鍵は違うものだったようで、回すことはできなかった。
続いて別の鍵を差し込むが、これまた外れ。
更に他の鍵で挑戦するが、拒まれる。

十回ほどそれを繰り返し、ほたるは壁に立てかけておいた刀をがっしと手に取った。

「その刀で何をする気なのかしらぁ?」
「めんどーだから斬って開ける」
振りかぶるほたるの肩に手が置かれ、その握力は彼の骨が軋むほどだった。

「ほほぉ~う。この灯たんの部屋を、刀で斬り捨てようってわけねえ?」

やっと背後にいる灯に気付いたほたるが、あ、と声を上げる間もなく、彼はぶすぶすと脳天から煙を出して床に沈められる。
「乙女の部屋を刀でこじ開けようなんて、信じらんない!」
灯の捨て台詞が、ほたるに届いていたのかは本人しかわからない。いや、本人もわかっていないのかもしれないが。

「・・・ゆ、ゆやはん」
「あ、トラ!おはよう」
おはよう、と返す紅虎の顔は思い切り曇っている。というより動揺している。
それもそのはず、紅虎の視界には、ゆやともう一人、ここにいるはずのない人物がいたのだから。

「・・・で、何しとるんや、あんた」

紅虎の問いに、味噌汁をかき回していた辰伶はぴたりと動きを止めた。
実は昨夜の皿洗いの後、気付けばうやむやのうちに彼もここへと泊まっていたのである。辰伶曰く、一泊の借りを残したまま帰るわけにはいかない、と言うことで、結局またしてもゆやの手伝いをしているのだった。
そんな辰伶を思い切り胡散臭そうな目で見る紅虎。かなりもの言いたげな視線を、辰伶は真っ向から睨み返す。
ばちばちと、火花が散りそうな勢いで睨みあう二人。
しかし、それが死合いに進むことはなかった。

「トラ、ご飯はまだだから、どこか行ってきたら?」

ゆやにずばっと言い放たれた紅虎が、半泣きで手伝わせてくれと頼み込んだためである。
結局、紅虎がレタスをきざむ横で、辰伶は黙々と味噌汁をかき回し続けるのであった。

その頃、灯に殴られて暫し意識を失っていたほたるは、やっと復活して皆の部屋巡りを続けていた。
続いて幸村の部屋に着き、カチャリとドアノブを回す。
すると、音もなく扉が開いた。鍵はかかっていなかったらしい。
とりあえず幸村を起こすべく、中へ入る。

刹那、ほたるの頭上に影が差した。

「っ…!?」

ほたるの頭上に降ってきたのは、飛び退って逃げることが不可能なほど大きい網だった。黒いそれは、ほたるが払い除けようとするほど彼の身体に絡まっていく。
考えなしに動いた結果、ほたるはかなり長い黒髪へと変貌していた。網が絡まって重い頭を傾げつつ考え込む。その姿を誰かが見たら、『死なずの○ンダラ』だと騒いだかもしれない。
暫し後、ぽんと手を打つほたる。同時に、溶けるような勢いで網が燃えた。まとわりつくものがなくなってすっきりしたほたるは、客人のいないベッドに向けて声をかける。
「いい加減出てきたら?」
すると、ほたるの前にサスケが姿を現した。
常人にはいきなりサスケが出現したかのように見えただろう。だが、常人ではない動体視力を持つほたるの眼は、しっかりとサスケがベッドの下から這い出して来たところを捉えていた。
「いきなり気配消して入ってくるなよ」
サスケは、ぶっきらぼうに言い放つ。もし相手がアキラなら『人を罠にはめておいて何を言っているんですか』と反論しただろう(そして自分もしょっちゅう他人を罠にはめている)。しかし、ほたるはそんなことを気にする性格ではなかった。
「あ。うん」
そして口では素直に頷きつつも、きちんと反省するほど真面目な性格でもなかった。
かつ、サスケもそれ以上突っ込むほどしつこい性質ではないため、そこで会話は途切れる。
互いに視線を逸らしたまま、沈黙が流れた。その上、二人は平然とその状況を受け入れていたりする。
しかし、いくら全く関心がないとは言え、流石にこのままではいかんと気付いたサスケが声をかけた。
「・・・で、何か用か?」
「・・・・・・・何だっけ」
サスケの気遣いをあっさりとぷち壊すほたる。天井に視線を飛ばし、暫く考え込む。かちかちと、サスケの剣玉が音を立てること数分後。

「そうそう、皆を起こしてきてって頼まれたんだった」

それでアキラのいる客室から順繰りに、この幸村の部屋までやってきたのである。しかしここにいたのは幸村ではなくサスケだったが。
「幸村ならいないぜ。あんなんでも一応俺の主だからな。護衛しないといけねーんだけど・・・」
では何故同じ部屋にいないのかと、ほたるが疑問に思う前に、サスケが答えた。
「隣りの部屋で夜から飲んでて、酒臭くて部屋に入れねえ」
だからせめて隣りの部屋に待機しているのだとサスケは言った。網は暇なのでしかけたらしい。
「そっか。ありがと」
かなり気持ちのこもっていない礼を述べ、ほたるはその部屋を後にした。

幸村(が泊まる予定だった部屋)の隣りは梵天丸の部屋だった。
ほたるが前を通りがかると、梵天丸の陽気な笑い声が響いてくる。気配が二つあることから、確かに幸村と共に酒を飲んでいるらしい。
とりあえず、この二人は放っておくことにした。もう起きているようだし、後でゆやに報告すれば済むだろう。
『梵天丸と幸村が、朝っぱらから(というか夜中から)酒を飲んで騒いでいた』と。
その後ゆやがどう反応するか、少し楽しみなほたるだった。

紅虎の部屋は誰もいなかった。その頃彼はゆやの手伝いでキャベツを刻んでいる最中だったのだが、ほたるは知るよしもない。
これで一応全員分の客室は回ったことになる。辰伶の分ははなから頭数に入れていないほたるだった。

そして最後に、ほたるはこの別荘で最も強い男の元へ向かう。
今までに何度も死合いを挑んだが、ことごとく敗れた。しかし、諦めるつもりは毛頭ない。それは自分以外の男たちにも言えることで。

ほたるは、刀の柄をしっかりと握り直して、この屋敷で一番豪華な部屋の扉を開いた。

狂は、ノックもなしに入ってきたほたるをじろりと睨みつけた。ただでさえ普段からその眼光は鋭く、殺気は痛いほどなのだが。
今朝はほたるが思わず無意識に一歩後ろに下がってしまったほど、狂の殺気は凄いものだった。
「狂。起きてたんだ」
ほたるが言う。対して狂は、無言のままだった。但し、無言の殺気は僅かに強くなっていたりするのだが。

狂の機嫌は普段より確実に悪かった。しかし、ほたるはその理由を問いただしてやるほど親切ではない。僅かに首を傾げるだけで、もうここに用はないと身を翻し。

「あ」

ほたるが僅かに零した声には、珍しく驚きが含まれていた。
軽く目を見開くほたるの視線の先には、白いリボンが落ちている。
それは昨日、ゆやがなくしたと言って探していたものだった。確かほたるは、自分も探すと言っておきながら途中ですっかり忘れ去っていたのだが、ゆやも同じく忘れていたようなので大した問題はないだろう。
絨毯の上にあるそれを拾い上げ、それからほたるは狂へ視線を戻す。

「狂が持ってたんだね」
「んなわけねえだろうが。チンクシャが勝手に落としたんだよ」

今まで何も言わなかったくせに、いきなり即答してくる狂。しかしと言うかやはりと言うか、それを突っ込んでやるほどほたるはお人よしではない。幸村ならば必ず喜々としてはしゃぎながら、色々と狂をからかっただろうが。

「知ってたんなら、返しに行ってあげればよかったのに」
何故狂はそうしなかったのだろうか。軽く首を傾げて、ほたるが不思議そうに呟く。
「はっ。何で俺様が下僕のためにんなことしなきゃならねーんだよ」
「・・・・・・?」
吐き捨てるような狂の台詞に、ほたるは何やら考え込んで。
そして、なるほどとばかりに手を打つと、狂にずばりと言い放った。

「そっか、本人に取りに来てほしかったんだ。なのに来てくれなかったから、狂は機嫌が悪いんだね」

「みずちぃいっ!!」
盛大な騒音を立てて、部屋の扉が吹っ飛んだ。壁に大穴が空かなかったのは、それなりに部屋が広かったお陰か。それとも狂のためにと頑丈に作ってあったお陰か。
「・・・随分短気になったね、狂。そんなに来てもらえなかったのがショックだったの?」
狂の攻撃を、窓の方へ飛び退って避けたほたるが、刀を構え直しつつ尋ねる。
「違うっつってんだろーが・・・!」
「でも殺気凄いし。少し落ち着いたら?頭に血ぃ昇らせてる狂と闘っても、簡単に斃せちゃうし」
挑発ともとれる台詞を無表情に告げるほたる。もちろん狂はそれを挑発と受け取った。にやりと口の端を吊り上げて、更に強い殺気を放つ。
「言うじゃねえか・・・簡単に斃せるかどうか、やってみるか・・・?」
狂の殺気でざわりと空気が震える。ほたるは、少し考えてから『まあいいや』と呟いて構えていた刀を下ろした。
「やらない。今の狂と死合っても意味ないし」
「あぁ?」
今更何言ってやがるてめえ、と狂に凄まれるが、全く気にせずほたるは手にした白いリボンを見やる。

「それに、早くこのリボン渡したいし。お礼に何してもらおう」

「白虎ぉおっ!!」
屋敷を揺らすほどの爆音が立ち、窓ガラスが吹っ飛ぶ。
リボンを届けた後にゆやからもらう褒美を考えていたほたるは、白き獣の爪牙に触れた。
まともに狂の攻撃を食らって崩れ落ちたほたるだった。白いリボンがはらりと落ちる。
刀を鞘に納めた狂が、盛大に舌打ちをしてから殺気を振りまきつつ部屋を出て行った。
こうして狂の部屋には窓の代わりに別の大きな換気口が開いたのだった。

「・・・こりゃまた盛大にやったんやなあ」
感慨深げに呟く紅虎の前には、全壊した狂の部屋。そこは、ほとんどの家具が綺麗に吹き飛んでいた。しかも扉は綺麗になくなっているし、窓は破壊され二周りほど穴が大きくなっていたりする。
同じくそこへ駆けつけていた辰伶は、まだ倒れ付しているほたるの頭をがっつりと蹴り飛ばした。

「起きろ熒惑!貴様、それでも壬生の戦士か!?」
「・・・だから違うって言ってるんだけど」

乱暴な起こされ方をしたほたるは、額に青筋を立てながら身を起こす。
すると辰伶の隣りにあるメイド服の一部が視線に入り、ほたるは動きを止めた。

暫ししてから、そろりとほたるが顔を上げると、そこには虚ろな目で救急箱を抱えるゆやの姿。

「・・・・・・ほたるさん。脱いで下さい」
そう言われ、ほたるは普段の紅虎のようにボケつつ本気でゆやに襲いかかりたい衝動に駆られたが、あまりにもゆやが静かに己を見下ろしてくるので、大人しく頷くとリボンタイを外して上着とシャツを脱ぐ。
ほたるの傷をてきぱきと手当して、ゆやは無残に散らかった部屋を片付けだした。それはもう淡々と。

あまりの機械的な動きに、少し涙目になりながらそれを手伝う紅虎。辰伶までもが、何故か手伝わなければという衝動に駆られ、瓦礫を一ヶ所に集める作業を共にやる。そしてほたるもゆやを手伝うべく腰を上げた、のだが。

「ほたるさんは部屋で大人しくしていて下さい」

「え?でも・・・」
ほたるの台詞を遮って、ゆやは彼の背中を押した。
「そんな傷だらけの身体で手伝わせるわけにはいきませんよ。だから、ほたるさんは部屋で大人しくしていて下さい」
部屋の外へほたるを押し出し、ゆやはやっと無表情から少し困ったように笑った。

「お願いですから・・・あんまり無茶しないで下さいね」

「・・・うん。ごめんね」
何故謝ったのか、ほたる自身にもよくわかっていなかったのだが、気付いたらその言葉が出ていて。
ゆやは、わかってくれればいいと言ってまた笑ったが、ほたるの胸中に現れた重苦しい感情が消えることはなかった。

結局、後からサスケとアキラと幸村と梵天丸と灯も駆けつけて、午前中は作った朝食も食べずに瓦礫の片づけで終わることとなった。
何とか普通に歩き回れるくらいに片付いた部屋で、皆が終わったー!!とばかりに、大きく溜め息を吐く。
「すいません。お客様なのに、手伝わせちゃって・・・」
埃だらけになったゆやが、申し訳なさそうに頭を下げた。
「姉ちゃんが謝る必要なんかねえよ」
「そうやそうや!ゆやはん一人にこないなことさせられるわけあらへんやろ」
すぐさま声をかけるサスケと紅虎。珍しく意見が一致している。
「結構楽しかったよねー!」
「力仕事は俺たちに遠慮なく言いな」
一晩中飲んでいたとは思えない体力で、幸村と梵天丸が言う。
「ま、たまにはこういう運動もダイエットにいいわよね」
「あなたがダイエットしても無意味じゃないですか?」
思わず漏らした一言が原因で、アキラは灯に殴り飛ばされた。
「・・・こ、これは借りを返すためで」
ぼそぼそと言う辰伶に、突っ込みを入れる者は誰もいない。

口々に言う周りの言葉を聞いて、ゆやは泣きそうな顔で笑った。

「それじゃあ、ご飯にしましょうか!」
『おー!』
いつもの笑顔に戻ったゆやに、元気よく同意する一同。
「あ、でもその前にみんなはお風呂入って来て下さい。その間に仕度終わらせちゃいます」
「ならわいはゆやはん手伝うわ」
ずずいと身を乗り出して言う紅虎。一同の胸中に嫌な予感が駆け抜ける。ただ一人、驚き眼を瞬かせるゆやを覗いて。
「えっ、いいの?トラ」

「あったりまえや!わいはどこまでもゆやはんについていくで!たとえ風呂の中までも!!」

皆の怒りの鉄拳が、紅虎を宙に舞わせた。

「狂!」
その声に、狂は何も言わなかった。屋敷の裏にある大きな木の上に座った姿勢を崩しもせず、視線を下ろしただけである。
眼下には、ゆやが頬を膨らませて拳を振り上げている。部屋を破壊した本人に、文句でも言いにきたのだろうと判断した狂は、面倒くさそうに溜め息を吐いた。すると、それを見ていたゆやは頬を膨らませてから口を開いた。

「ご飯できてるんだから、さっさと食べに来なさいよ!!」

「・・・・・」
「ちょっと!聞いてるの!?」
「・・・・・」
「皆もう食べ始めてるんだから!」

それから暫し狂が無言でいても、ゆやは食事の話題しか出さなかった。
「もう!!早く来ないと、木の上に持ってくわよ!?」
「・・・馬鹿か?お前は」
「え!?何っ?」
擦れるような狂の声は、ゆやの耳に届かない。
「チンクシャのくせに・・・俺様の心配するなんざ百年早いんだよ」

そう言って口元を緩める狂の顔も、ゆやには見えていなかった。

「もっとはっきり言ってくれないと聞こえないじゃない!そろそろ観念して降りてきなさいよっ・・・て・・・え?」
刹那、ゆやの目の前にはらりと白いものが降ってきた。手に取ったそれは。
「あ・・・リボン」
それを探そうとしていたのはつい昨日のことだったはずなのに、随分と昔のように感じて。ゆやはまじまじと手の中のリボンを見つめた。
「これ、狂が持ってたの?」
ほたると同じようなことを言われ、狂は再び顔をしかめる。
「お前が勝手に俺の部屋に落として行ったんだろうが」
「・・・そっか・・・」
てっきり怒り出すかと思いきや、ゆやはそれ以上何も言わず。そして髪を結うのに使っていた赤い紐を外すと、いつもの白いリボンで結び直す。
何故か、それを見ていた狂の心中にあった緊張が解けていった。本人は、決して認めはしないだろうが。

ゆやが髪を結び終えると同時に、狂が木の上から飛び降りてきた。
かなりの高さがあったにも関わらず、ほとんど音も立てずに着地する。
「ご飯、食べる気になったの?」
今回は思ったより素直だとゆやが驚いていると、狂は顔をしかめて舌打ちをした。
「酒を取りに行くだけだ」

歩き出す狂の腕を、はっしとゆやが掴む。

「お酒もちゃんとあげるし、部屋を壊したことも怒らないから、ちゃんとご飯食べて!!」
「・・・・・」
結局、ゆやがぐいぐいと狂を引きずる格好で、二人は屋敷の食堂へと向かった。

二人が食堂に着いた頃、皆は食べ終わっていた。
狂は、ゆやの手を解いて上座に着くと、用意されていた食事を無言で食べ始める。そこにはまだ酒が用意されていなかったのだが、何故か文句は言わなかった。

十人以上着くことができる大きなテーブルには、空になった皿と、何故か口元がすっぱりと切られたワインの瓶が数本。
「・・・これ、どうやったんですか・・・?」
恐ろしく綺麗な切り口を見つめながら、ゆやが尋ねる。
「コルク抜きがどこにあるかわからなくてよ。手刀で開けさせてもらったぜ」
平然と言い放つ梵天丸に、ゆやは暫し放心したような視線を向けた。
「・・・・・・あ、す、すいません。用意してなくて・・・」
「いいってことよ。ゆやちゃんは色々と忙しかったからな。なあ、ほたる?」

梵天丸が、含みたっぷりの言い方でほたるを見やる。つられてゆやも顔を向けると、そこにはちびちびと舐めるようにワインを飲んでいるほたるの姿。もちろん食事済みである。
「うん。そうだね」
「・・・聞いてねえなお前」
「うん。そうだね」
「・・・・・」
無言で拳を振り上げる梵天丸。まさに乱闘が始まろうとしたその時。

「ねえ、これから海に行かない?」

『は・・・?』
幸村の思い切り場違いな台詞に、一同は思わず間の抜けた声を揃えて出してしまった。
「うん。そうだね」
但し、ほたるを除いて。
突然何を言い出すのだこの男は、と皆が幸村を見やった。
しかし彼がどういう思いを持ちその言葉を吐いたのかは、誰にもうかがい知ることはできない。

「ね、いいでしょ?海に行こうよ」
「・・・何を企んでいるのかは知りませんが、無駄ですよ」
アキラがあからさまに警戒して言うと、幸村はきょとんと目を瞬かせてから残念そうに肩を落とす。

「そっかぁ。せっかくゆやさんの水着姿が拝めると思ったんだけど、お見通しなら諦めるしかないね」

ぞわり、と部屋の空気が変わった。
「何馬鹿なこと言ってんのよ!もちろん行くに決まってるでしょ!!」
「そうやそうや!!行かんとかほざいとるバカアキラは無視しとけばええんや!!」
がたんと立ち上がり、結構な形相で言い放つ灯と紅虎。その刹那。
「誰が行かないなどと言いました・・・?」
一瞬にして凍りついた紅虎へ、殺気だったアキラが言い放つ。
「無理だと思うがなぁ・・・」
「姉ちゃんが仕事放り出して出かけるわけねえだろ」
呆れる梵天丸と、冷めた表情で言うサスケ。二人の呟きが皆に聞こえる訳もない。

そしてその頃ゆやは。
「ねえ。いい加減に諦めて飲めば?」
「えと、本当に結構ですから。ほたるさんが飲んで下さい」
酔ったほたるの差し出すワインを、必死で断っていた。
そんなこんなで大騒ぎになっていた食堂の空気が、突如一変する。

「うるせーぞ、てめえら。さっさと帰りやがれ・・・!!」

響くのは静かな狂の声。しかし、放たれる殺気はものすごい。思わず皆が息を呑んで。
「・・・仕方ないね。じゃあ今日はそろそろ帰らせてもらうよ。行こうサスケ」
始めに動いたのは、幸村だった。苦笑して席を立つ幸村の後に、サスケも続く。
「じゃあね。また遊びに来るから」
「はい、また来て下さい!」
手を振って部屋から出て行く幸村に、ぱっと顔を輝かせて言うゆや。そしてサスケにも声をかける。
「サスケ君も、また一緒にお菓子作ろうね!」
「っ・・・」
サスケは一瞬目を見開いてから、顔を隠すようにこくんと頷いて身を翻した。

続いて立ち上がったのは梵天丸とアキラと紅虎(いつの間にやら復活していた)と灯である。
「じゃあ俺らも帰るとするか」
「・・・仕方ないですね」
「そうやな。海に行けへんのは名残惜しいけども、こればっかりは仕方あらへん」
「狂ぅ、すぐまた会いに来るわ。ゆやちゃんに襲われないように気を付けてよ」
「そんなことするわけないじゃないですか!!」
憤慨するゆやに、灯がくすくすと笑って手を振り背を向けた。そして四人が部屋からいなくなる。

「それでは私も帰らせて頂こうかしら」

突如、狂の背後へ降り立った人影にゆやが目を見開いた。
「お、阿国さん!大丈夫なんですか!?」
辰伶によって大怪我を負わされたはずの当人は、まだ包帯を巻きつつも平然とした様子で狂の肩にしな垂れかかる。
「ふふ、もちろんですわ。それでは狂さん、すぐにまた会いに来ますわね」
ふわりと、飛ぶようにして阿国は姿を消した。

「・・・で、辰伶は帰らないの?」
ほたるに冷たい目で見られた辰伶は、鬼気迫るような顔で立ち上がる。

「俺は鬼眼の狂を始末するためにここへ来た。任務を果たさずに帰るわけがあるまい」
「とか言って普通にここで飯食べてたくせに」
「うるさいぞ熒惑!裏切り者の貴様も処分対象だと言うことを忘れるな!!」
「ていうか辰伶の方こそ忘れてたんじゃないの?ご飯食べてたし」
「わ、忘れるわけがない!俺は壬生の戦士だぞ!!」
「あ。どもった」
「どもってない!」
「絶対どもってたって」

「二人とも!喧嘩するくらいなら、後片付け手伝って下さい!!」

怒鳴るゆや。その声に、二人はぴたりと口を噤んだ。
そして結局、ほたると辰伶も後片付けを手伝うことになる。
またしても二人は皿を洗いながら喧嘩をし、ゆやに怒られることとなったのだった。