誘拐
その日ゆやは、いつものように各部屋のベッドシーツを取り替えていた。
たくさんの寝室を回り、最後の一室となった狂の部屋へとシーツを抱えて走る。途中、廊下の窓から、裏庭の木で昼寝をしているほたるを見かけて、ゆやはくすりと笑った。
「ほたるさんたら・・・また庭の掃除さぼってる」
ここから声を張り上げてほたるを起こすべきか迷ったが、あまりに気持ちよさそうにほたるが寝ているのでやめておく。暑さも強まってきたこの時期、あの木陰は絶好の避暑地なのだろう。
このシーツを敷き終えたら自分もあそこで昼寝をしようか、などと考えながらゆやは狂の部屋の扉をノックした。
「・・・・・」
扉の奥からは何の返答もない。するとゆやはジト目になって扉を開けた。
そこには彼女が予想していた通り。
「・・・ちょっと狂、いるなら返事くらいしてよね」
狂が窓辺に腰かけて昼間から酒を飲んでいた。
「なんでこの俺様が下僕のために気を使ってやる必要があんだよ」
相変わらずな狂の態度。ゆやは眉間に皺を寄せる。
「ノックされたら声をかけるのが当然でしょ?それとも何?狂はトイレに入ってノックされても返事しないわけ?それで開けられてもいいの?」
「・・・何言ってんだお前は・・・」
微妙な内容で抗議してくるゆやに、狂は珍しくちょっと戸惑う。
ゆやはなおもぶつぶつと文句を言いながら、この部屋のベッドシーツを取り替え始めた。狂は窓辺から動くことなく、再び酒を飲む。
「狂、そこに座ってると日差しが当たって暑いんじゃない?」
「別に」
「そうなの?今日は結構暑いと思うんだけど・・・」
「お前とは鍛え方が違うんだよ」
そう言われ、ゆやはむっとして頬を膨らませた。そんな会話を続けつつも、ゆやの手はテキパキと動いている。
皺一つなく敷かれたベッドシーツから手を離し、ゆやは酒を飲み続ける狂へ向き直った。
「もう。昼間っからお酒飲むのやめたら?せめて少しは控えなさいよ」
すると、狂は赤い眼をじろりとゆやに向けた。
「うるせえな。下僕は黙ってご主人様に酒を持ってくりゃあいいんだよ」
さすがに、その言葉にはゆやも怒りを抑えられなかった。
「何よその言い方!人がせっかく心配してるのに!!」
「お前に心配される筋合いなんかねえな。いいから酒を持ってこい」
「絶対嫌よ!!」
頑なに拒むゆや。すると狂はにやりと口の端を吊り上げて窓辺から立ち上がった。
そして瞬く間に、ゆやのすぐ目の前へと移動する。
突然近寄られ、ゆやは驚きに目を見開いた。身体を軽く強張らせるゆやの肩に、狂の手が触れる。
「・・・・・」
「・・・・き、狂・・・っ!?」
狂の手が、そのままゆやの身体を後ろのベッドへと押し倒した。
「なら、酒の代わりにお前が俺の相手をするか?」
直後上がった打撃音。それは普段以上に小気味良く響いた。
狂の部屋を飛び出していくゆやを追うこともせず、狂はベッドの上で再度溜め息を吐く。
ゆやに叩かれた頬は赤く僅かに腫れていた。
日中は開きっぱなしの門を通り、鍵もかけられていない玄関をノックすらせず開け放つ。
完全に身内のような態度で、梵天丸はこの屋敷へとやってきた。
「さて、と・・・今頃はゆやちゃんが仕事で屋敷の中を走り回ってる頃だからなぁ・・・狂のところにでも顔見に行くか」
一人呟いて、梵天丸が廊下を歩いていると。
「うお!?」
「っきゃ・・・!?」
まるで昔の恋愛小説の如きタイミングで、廊下の角よりゆやが飛び出て二人はぶつかった。
しかもゆやの目にはうっすらと涙が浮かんでおり、梵天丸は思い切り動揺する。
「ほたるか!?それとも狂かっ!?まさかと思うが灯じゃねえだろうな!!」
切羽詰った顔の梵天丸に肩を掴まれて、ゆやは何度も目を瞬かせる。
「え?な、何の話ですか?」
「しらばっくれなくてもいいぜ。力になるから、俺には何でも話してくれ・・・!!」
「あ、あの・・・?」
何か勘違いしている梵天丸は、自分までちょっと涙ぐみながらゆやを励ましてくる。
「ええと、本当に大した事じゃないですから」
何があったのか白状しろとばかりに迫ってくる梵天丸に、ゆやが困り果てた顔で言った。
「そうかぁ・・・?まあ、言いたくないことなら無理にとはいわねえけどよ」
ぽん、と梵天丸の大きな手がゆやの頭に触れる。くしゃりと髪を撫でられ、ゆやがくすくすと笑って。
「・・・ありがとうございます、梵天丸さん」
「礼を言われるのは嫌じゃねえが、特に何もしてねえと思うぜ」
「そんなことないですよ!私が今こうして笑っていられるのも、全部梵天丸さんのお陰です!」
拳を握って力説するゆやに、梵天丸はこそばゆそうな顔で笑みを浮かべながら頭を掻いた。
「そりゃあちょいと褒め過ぎだぜ、ゆやちゃん・・・っと、やべぇ」
「どうしたんですか?」
「親父に呼び出されてたの、すっかり忘れてた・・・邪魔したな。また来るぜ」
「あ、お、お茶も出さなくて、ごめんなさい!」
頭を下げるゆやに気にするなと言って、梵天丸は屋敷を後にする。彼がこの屋敷に遊びに来た中で、もっとも短い滞在時間だった。
ゆやが部屋を駆け出していった後、狂は思い切り殺気だった様子で開かれたままの扉を睨みつけた。
「いつまでこそこそしてやがる気だ・・・」
腹の底から響くような低い狂の声。すると、扉の影から幸村が姿を現す。随分にやにやとした笑いを浮かべている辺り、先ほどの狂とゆやのやり取りは全て聞いていたようだ。
「やあ。相変わらず素直じゃないねぇ、狂さんは」
「てめぇこそ、相変わらず無断で人の屋敷をうろついてんじゃねえよ」
「あはは、それはいつものことだから気にしない気にしない。それよりさ、いくらゆやさんが可愛いからって、あんまりからかっちゃだめだよ~」
ぎきぃん!!
刹那、耳障りな金属音が響く。
ぎりぎりと刃をかち鳴らし、狂と幸村はにやりと笑った。
「いきなり斬りかかってくるなんて、随分余裕ないんだね?」
「違ぇよ。てめぇがべらべらとうるせえから、ちょっと殺そうと思ってな」
「またまた、恥ずかしがり屋もそこまでくると尊敬に値するねえ」
そんな会話を続けつつも、二人は目にも留まらぬ速さで斬り合いを続ける。
狂が振り下ろした刀を幸村が避け、高そうな花瓶が真っ二つに割れた。
ぎん!っがきぃ!ちゅぃんっ!!
狂の横薙ぎに繰り出された刀を、幸村の刀が受け止める。
少し後ろに飛んだ狂の後を追うようにして幸村の刀が突き出され、間一髪のところで狂にかわされる。
常人には見えないほどの速さで斬り合う二人に浮かぶのは、薄い笑み。
ある程度の広さはあるとは言え、室内でこれだけ刀を自在に振り回せるのは、それだけ二人の腕が達者だからだ。
互いの刀を弾くようにして、距離をとった二人は同時に刀を構え直す。
「そろそろ観念したらどうだい?狂さん」
それはこっちの台詞だ、と狂が吐き捨てる。どちらも、そんなことをするつもりは毛頭ないが。
今までにも二人はこうして何度か死合って来たが、はっきりと勝敗が付いたことはなかった。
「決着・・・つけてやるぜ、幸村・・・」
狂の言葉に答えるように、幸村の身体から鬼気迫るようなプレッシャーが噴き出した。
殺気とも違うそれに、狂はにやりと口元を吊り上げて一歩踏み出す。
そして、爆発とも取れる大音量が、屋敷中に響き渡った。
屋敷が震えるほどの爆音に、狂は朱雀を繰り出そうとしていた手を止めた。
「何だ・・・?」
幸村が、ぽつりと呟くと同時に、新たな気配が彼の後ろに生まれた。
「幸村様!ご無事ですか!?」
「才蔵・・・僕は平気だ。それより何が・・・」
「ただ今サスケが原因を調べに向かっています。あいつの空耳かもしれませんが、ゆや殿の声が聞こえたと・・・」
その言葉に、幸村の顔色が変わる。まさか、あの大きな爆発にゆやが巻き込まれたのではないか。
「狂さん!今すぐ僕らも・・・・・あれ?」
幸村が振り返ると、既に狂の姿はなかった。
「っぐ・・・」
サスケが、がくりと膝をついた。口の端からは、赤い血が一筋流れている。
それでもまだ諦めていないようで、サスケは刀を杖に立ち上がった。そんなサスケに、ひゅう、と軽い口笛がかけられて。
「思ったよりしぶといじゃねえか。やっぱ守るもんってのがあると違うよな」
常に両の眼を隠し、『魂』と書かれた舌をちろりと見せて遊庵は楽しそうに笑った。
その腕には、ぐったりとしたゆやの身体を抱えて。
「ゆや、姉ちゃんを返せ・・・!!」
「そりゃあ無理な相談だぜ。ま、最初は熒惑と辰伶を始末するだけのつもりだったんだが、ただ殺すより、こういう趣向があったほうが色々と面白えだろ?」
にやりと笑い、遊庵はサスケに背を向ける。
「熒惑どもに伝えといてくれ。この嬢ちゃんを返してほしかったら、俺の元まで殺されに来いってな」
そう言って、遊庵が何をしたのかはわからない。遊庵が姿を消す直前、サスケは謎の攻撃に吹き飛ばされ、気を失った。
その時やっと駆けつけてきた狂の足音も、サスケの耳には届かない。
「取り返してくる」
ほたるは、いつも通りの無表情で狂に告げた。但し、刀を持つ手は白いほどにきつく握られていたが。
「何で俺に言う・・・勝手に行きゃあいいだろうが」
ものすごく不機嫌な顔で、狂が言った。理由を思い出すために、ほたるは暫し首を傾げて。
「・・・一応、俺は狂の下僕だし、言っておこうと思って。狂は椎名ゆやを取り返しに行かないの?」
聞かれて、狂の動きが止まった。彼の脳裏に過ぎるのは、今朝見たゆやの悲しげな顔。
あれだけ傷つけておいて、今更どうしろというのだ。
「狂が行かないなら、俺だけ行ってくるけど」
辰伶はあれから一人で遊庵の元へ行くと意気込んで向かってしまったし、幸村はどこかへ姿を消してしまったし、サスケは才蔵の手当てを受けている最中である。
ゆやを助けに行くべきか。はっきり言って、狂は迷っていた。
「迷うなんて狂らしくないね。そんなにゆんゆんが怖いなら、別に付いてこなくてもいいよ」
「あんだと・・・!?誰がいつ怖いなんぞとほざいたんだよ」
「顔がそう言ってるし」
「この俺様がんなこと言うわけねえだろうが・・・!!」
「思いっきり言ってたし。ていうか苦しいし」
胸倉を締め上げられて、ほたるは淡々と言った。
こうして、狂とほたるは、遊庵に攫われたゆやを救い出すため旅立ったのである。
「えーと、確かゆんゆんの家に行けば、椎名ゆやがいるんだよね」
狂と二人で森の中を歩きながら、ほたるが確認するかのように呟いた。
「そうらしいな。で、そいつの家はどこにある。お前は知ってんだろ?」
ほたると遊庵が知り合いだと言う事を先ほど聞かされた狂は、当然の如くそう尋ねる。
「・・・・・」
「・・・ほたる・・・知らねえとかほざいたら、てめえから殺すぞ」
殺気だって言う狂に、ほたるは心外だと言わんばかりの勢いでむっと顔をしかめた。
「知ってるよ。ただ思い出せないだけで」
狂のみずちが、森の中に炸裂した。
「いきなり怒ることないのに」
「うるせえ・・・役立たずは黙ってろ」
「こういう時は人に聞けばいいと思う」
「馬鹿かお前は。この森の中で誰に・・・」
言葉を切って、狂は足を止めた。同時にほたるはそれ見たことかとばかりにふんぞり返る。
「ほら、やっぱり人いるし」
ほたるが指差した先には、各々物騒な獲物を携えた数十人の男たちが、殺気を漲らせていた。
「・・・ほたる」
「何?」
「てめえ、馬鹿だろ」
「馬鹿って言った方が馬鹿だし」
真顔で言う狂に、ほたるも真顔で言い返す。
「馬鹿はてめえだけだ」
「てゆーか、狂だけだよ」
「あんだと・・・!?」
「あ、辰伶も馬鹿だった」
「朱雀!!」
「・・・何か短気になったよね、狂」
狂の朱雀を何とか避けて、早くもぼろぼろになった状態のほたるがちょっと不服そうに言う。ついでに、周りにいた男たちは狂の放った朱雀で跡形もなく消し飛んでいた。
「うるせえ。今すぐ思いださねえと今度こそ当てるぞ」
「さっきも当てる気満々だったくせに」
余計なことばかり口走るほたるは、わざとやっているのだろうか。
「サスケ君?」
その声に、サスケは朦朧とする意識を向ける。
「どうしたの?顔色が悪いよ?」
心配そうに言って、彼の頬に触れてくるその手は酷く温かくて。
サスケは縺れそうになる口を何とか開いて、声を出した。
「ゆや、ねえちゃ・・・」
あまりにだるくて、震えてしまう手を伸ばすと、そっと握り返してくれた。
安堵すると同時に、噴き出す違和感。何か、違う。
「・・・・・ねえ・・・ちゃ、ん・・・?」
サスケが瞬きをすると、目の前のゆやは辛そうに笑って、消えた。
「泣きたいなら好きなだけ私の胸で泣いても構いませんわよ?」
「おばさんかよ・・・」
思い切り投げやりな声で、サスケは自分が掴んでいた阿国の手を放した。ベッドに寝かされたサスケの身体には、至るところに包帯が巻いてある。遊庵にやられた傷は、思ったより深いらしい。
「お・ね・え・さ・ん!何度言えばわかるんですの!?」
「ゆや姉ちゃんは・・・」
阿国の台詞を無視して、サスケは辺りを見回す。先ほどまで傍にいたと思ったのに、ゆやの姿は影も形もない。
そして、不意に思い出す。
ゆやは、あの得体の知れぬ男に連れ去られたのだ。
「・・・っ!!」
「お待ちなさい!まだ動いちゃいけませんわよ!!」
ベッドから身を起こしたサスケを、阿国が止める。
「放せ!」
「ゆやさんが心配なのはわかりますけれど、まだ傷も塞がっていないうちに動いたら、今度こそ死にますわよ!!」
「・・・・!!」
ぎり、と奥歯を噛み締め、痛みに疼く腹部の傷口を押さえるサスケ。
「とにかく、あと一日は寝ていること。少ししたら包帯を取り替えてあげますから、逃げたらただじゃおきませんわよ」
「・・・・・・・」
「返事は?」
「・・・わかったよ」
しぶしぶ、と言った表情でサスケが言う。今すぐ飛び出したい気持ちを抑え込むのは一苦労だった。
「今帰ったぞー」
ゆやを小脇に抱えて、遊庵は誰もいない己の家に向かって声をかけた。
「とりあえず・・・・・これからどうしたもんか・・・」
いまだ意識を取り戻さないゆやを見下ろし、頭を掻く。あれほど大見得きってサスケに言い放ってきた割に、どうするかはさっぱり考えていなかったらしい。
暫しゆやを抱えたままうろうろとし、結局己のベッドへ彼女を寝かせた。乱れた前髪を軽く梳いてやるが、やはりゆやが起きる気配はない。
「さてと・・・あいつらはちゃんとお前を迎えに来んのかね?」
ゆやに語りかけるかのように、口の端を吊り上げて言う遊庵。
直後、あたりの空気が張り詰めた。
すぱぁん!!
かなり小気味良い音を立てて、遊庵は開きかけた部屋の襖を高速で閉じた。しかし襖はなおもがたがたと揺れて、遊庵が少しでも気を抜けばすぐに開きそうなほどである。
「っぐ、この・・・!!」
渾身の力でそれを押さえつけ、遊庵は声を張り上げた。
「お前ら、温泉に行ってたんじゃなかったのか!?」
「・・・?」
周りが何やら騒がしいと思い、ゆやは重い瞼を何とか開ける。
「いい加減に諦めろ!見せもんじゃねえっての!!」
少しはなれたところで上がった怒声に、そちらの方へ視線を向ければ、一人の男が襖にしがみ付いている姿が見えた。
変な人がいるなぁと思いつつ、ゆやは再び眠ろうと目を閉じて・・・
「って、ここはどこ!?」
やっと重大な問題に気付いて、飛び起きるゆや。慌てて過去の記憶を辿る。
「ええと・・・確かお屋敷にいたら大きな音がして、サスケ君と調べに行って・・・それからどうなったんだっけ・・・?」
困ったことに、ゆやは攫われる前後の記憶がなかった。記憶喪失と言うわけではなく、現場に付くなり背後から遊庵に気絶させられたので、事情がさっぱりわかっていなかったのである。
「っだぁああ!いいからお前らこの部屋には近付くんじゃねえ!!」
遊庵が声を張り上げると、やっと襖(の向こう)は静かになった。
疲れたような溜め息を吐いて、彼は驚いているゆやの元へ歩み寄る。
「おう、騒々しくてすまなかったな。気にせず寝てていいぜ」
「あ、ありがとうございます・・・あの、ここはどこなんですか?」
一応、友好的な態度の遊庵に、ゆやは戸惑いながらも尋ねる。
すると、遊庵はやっとゆやが事情を理解していないことに気付き、どうやって説明すべきか少し悩んでから口を開いた。
「ここは俺の家だ。とりあえず、誰かが迎えに来るまではここにいろ・・・と、言いたかったんだが」
「・・・?」
「家族が思ったより早く帰って来やがったからな・・・やっぱ場所を移すか」
「・・・へ?」
「よし、行くぞ」
「えぇえっ!?」
事態についていけないゆやを軽々と肩に担いで、遊庵は自宅を後にした。
その数分後、やっと場所を思い出したほたると狂が遊庵の家を尋ねたのだが、遊庵もゆやもそんな事実を知るよしもない。
「ちっ・・・ほたる・・・てめぇがさっさと場所を思い出さねえからだ」
「狂が怒って暴れたりするからだよ」
「この役立たずが・・・!!」
「ほら、やっぱり狂が怒ると遅くなるし」
そして狂の朱雀が街道に炸裂し、二人の歩みは更に遅くなるのだった。
ゆやが攫われてから、一日が経った。
「お~ま~ち~な~さ~い~・・・!!」
「放せよおばさん!!」
「おばさんじゃなくてお姉さんだと言ってるでしょう!!」
「一日待ったらゆや姉ちゃんを助けに行っていいって言ったのはあんただろうが!!」
サスケは、何とか阿国の鉄線から抜け出そうともがいた。しかし、まだ回復しきっていない身体では、阿国をずるずると引きずるだけで精一杯である。
「また傷口が塞がっていないと何度言えばわかるんですの!?それが塞がるまでは大人しくしてなさい!!」
「こんなもん、走ってるうちに治るんだよ!!」
「嘘おっしゃい!!」
ぎゃあぎゃあと言い合う二人の傍で、灯はいつになったら自分が来たことに気付くのだろうかと、ひたすらに待っていた。
「とりあえず・・・あと十分待って気付かなかったら、私一人でゆやちゃんを助けに行こうかしら」
怪我を治療してもらい、灯と共に主の下へ戻ったサスケは、幸村に頭をぐりぐりと撫でられて不満気に口を引き結んだ。
「お帰りサスケ。灯さん、サスケの怪我を治してくれたんだよね。本当にどうもありがとう」
「いつの間にそんな情報を仕入れたわけ・・・?」
サスケがまだ何も言わぬ内から、全て存じているような幸村に、灯は戸惑うような顔をする。
「才蔵が報告してくれたんだ」
「ああ。治療してる時に、変なのが窓の外にいると思ったら、そいつだったのね」
「へ、変なの・・・」
部屋の端に控えていた才蔵が、ショックを受けて涙した。サスケが軽く吹き出すが、すぐに何もないかのような顔に戻る。
「そんなことより、ゆや姉ちゃんはどうなったんだよ」
真顔に戻ったサスケが幸村に尋ねる。再び影で才蔵が『そんなこと・・・』と泣き濡れていたが、誰も見てはいなかった。
「今さっき才蔵が報告してくれたんだけど、ゆやさんはまだ遊庵という男と一緒にいるらしい。ここから西の方に移動中だって聞いたから、これからそこに向かおうかと思ってたんだ」
一緒に行くかい?と尋ねられ、サスケと灯は間を置かずに頷いた。
『秘密基地ぃ?』
今向かっているのは誘拐犯の秘密基地だと聞かされ、胡散臭げな声を揃えて復唱するサスケと灯。幸村は、面白そうに笑う。
「うん。小助が遊庵の家族から聞いてきてくれたんだ」
「家族って・・・そいつらに騙されたんじゃねえのか?第一、秘密基地なら家族にも場所は教えないもんじゃねえのかよ」
「いや、嘘ではないみたいだよ。一番上のお姉さんが場所を知ってて、内緒で教えてくれたんだって」
幸村がそう言うと、サスケはふぅんと小さく呟いて考え込んでしまった。しかし、それ以上否定する気はないらしい。
「どうでもいいけど、馬車で三時間って、冗談じゃないわけ・・・?」
馬車に揺られること既に一時間、疲れた灯の言葉に、幸村はにこにこと笑って『冗談じゃないよ』と頷いた。
「ねぇ、ゆんゆんの秘密基地ってどこ?」
「はぁ?いきなり何だよ」
「ゆんゆんの秘密基地の場所知らないの?」
「だから何しに来たって聞いてんだよ」
「本当の本当に知らないの?」
「理由くらい説明してから聞けよ!!」
仕事中に、やけにぼろついた格好の男二人に押しかけられ、遊庵の弟である庵曽新はかなりの迷惑顔で叫んだ。
「ゆんゆんがメイドを誘拐したから、探してる」
「・・・・・は?」
「だから、ゆんゆんがメイドを誘拐して、追いかけたんだけどゆんゆん家にはいなくて、多分秘密基地に行ったんじゃないかって庵樹里華に言われたから探してる。場所は庵曽新に聞けって言われた」
庵曽新は、無言のまま仕事場を猛ダッシュで駆け出して行った。その顔は酷く青ざめ、まさかそんな馬鹿なと書いてあるかのようだ。
「あれについて行けば、ゆんゆんの秘密基地に行けそうだね」
「・・・そうだな」
庵曽新を見失わないよう、ほたると狂がその後を追う。
「あ、あの」
「ん、何だ?腹でも痛いのか?」
「痛いというか・・・酔いました」
別の場所とやらに移動する遊庵の肩に担がれたゆやは、一定のリズムで揺られながら、弱った声で答えた。
「酔ったぁ?吐くのはいいが、俺にかけんなよ」
「吐きませんっ!ていうか、いい加減に下ろして下さい!!」
ゆやがばたばたと暴れる。振り回される腕を軽々とかわしながら、遊庵はくつくつと笑った。
「せっかくお前が疲れないように気を使ってやってんだろ。俺の秘密基地まで、後どれくらいかかると思ってんだ」
「秘密基地って・・・そんなの私にわかる訳ないじゃないですか」
「まあ、二時間くらい我慢してな。そしたら着く」
「に、二時間!?」
「吐いてもいいぜ」
「吐きません!!」
にやりと笑う遊庵に、ゆやは精一杯叫んだ。
「・・・あ、あの」
遊庵の肩で揺られること更に三十分、沈黙に耐えられなくなったゆやは、乗り物酔い(?)の気分も紛らわせる意味でもう一度声をかけた。
「遊庵」
「へ?」
「まだ名乗ってなかっただろ。俺の名は遊庵だ。壬生で太四老やってる」
「あ・・・私は椎名ゆやです。村正様の別荘で、召使をしてます」
「そうか。よろしくな、ゆや」
「はい。よろしくお願いします、遊庵さん」
何故か少しずつ仲良くなっている二人だった。
「よし、着いたぜ」
あれから更に移動すること一時間強。やっと遊庵が足を止めた。
「こ、ここが・・・」
唖然とするゆやの前で、遊庵が自信有り気に踏ん反り返る。
「おうよ!ここが俺の秘密基地だ!!」
二人の前には、一件の喫茶店があった。
「・・・秘密基地なのに、これじゃあ人が入りまくりじゃないですか」
「表向きは喫茶店、しかぁし!実は秘密基地だったのだ!と、言うコンセプトだ」
「はぁ・・・そうなんですか」
「誰か掃除してるんですか?」
「あぁ?ここは俺の秘密基地だぜ?もちろん俺が掃除してるに決まってんだろ」
「へぇ・・・意外ですね。そう言うことは全部人任せなのかと思ってました」
「それは褒めてんのか?」
「もちろん褒めてますよ。ええもちろんそうですとも」
畳みかけるように言うゆやの顔は真剣である。一応、見た目だけは。
「ほぉ、そりゃあどうもありがとうよ」
遊庵がこつんと額を小突くと、ゆやはくすくすと笑って『どういたしまして』と返した。
「おい・・・」
「また狂の我がままが始まった」
「お前に言われたくねぇよ・・・それよりほたる、本当にあいつの後を追えば、辿りつくんだろうな?」
走り続ける庵曽新を追い続けて、かれこれ一時間は経とうとしていた。狂が一言言いたくなったのも無理はない。
「着くってば。そうじゃなかったら、庵曽新はどこに向かってんの?コンビニ?」
「・・・・・」
「ほら、答えられないなら文句ばっか言わないでちゃんと走りなよ」
「走ってんだろうが・・・!!」
こうして超がつくほど過酷な長距離走はまだ続く。
更に走り続けること一時間後、庵曽新が足を止めたのは、あまり人気のない場所にある喫茶店の前だった。
その直後に、汗だくの狂とほたるが到着する。
「・・・ここか・・・?」
「秘密基地なのか喫茶店なのか、はっきりしてほしいんだけど」
長時間は知り続けて疲れたのか、二人の声には随分と不満がこめられていた。
そして同じく疲れ果てた顔の庵曽新が、無言で扉を開け放つ。からんからん、と扉についた鈴が鳴り。
「いらっしゃいませー」
そしてにこやか過ぎる笑顔のゆやに出迎えられ、三人は呆けた顔で目を瞬かせた。
「・・・何してんだお前・・・」
「へ・・・狂?ほたるさんも、どうしてここが?」
「庵曽新に連れてきてもらった」
ほたるが指差す先には、遊庵の胸倉に掴みかかる庵曽新の姿があった。
「兄貴!あれはどういうことだよ!?」
「あれ?あれって何の話だ?」
けろっとしらばっくれる遊庵。庵曽新がびっしとゆやを指差し叫ぶ。
「あの女のことに決まってんだろ!誘拐したって、本当なのか!?」
「あー。そういやそんな話もあったな」
「何勝手に過去の話にしてんだよ!!」
兄がとち狂ったのではないかと、庵曽新は気が気ではない。青ざめた表情で、その手は小刻みに震えている。
「待てよ。そもそも俺がゆやを攫ったのは、熒惑を誘き出すためだったんだ。断じて『俺の秘密基地は喫茶店でもあるから、ウェイトレスとして働いてもらおう』と思って攫ったんじゃねえからな」
「ゆんゆんてば見苦しい言い訳しないでよ。しかも俺に罪を擦り付けないでくれる?」
ほたるが憮然とした顔で文句を言う。生憎、それは遊庵に軽く無視されてしまったのだが。
「帰るぞチンクシャ」
「・・・・・ま、まだ帰れないの」
狂が、ゆやに声をかけると、彼女は首を振って答える。
何も言わずに、狂は目を細めてゆやを見た。代わりにほたるが口を開く。
「そんなにゆんゆんと一緒にいたいの・・・?」
その声は、いつもよりずっと低く響いた。
しかしその言葉にも、ゆやは首を横に振る。
「もう遊庵さんからお給料を貰ったから、今日はここで働いていきます。明日になったら帰るから」
『・・・は?』
訝しげな顔をする狂とほたる。遊庵が、弟にがくがくと胸元を揺さぶられながら、勝ち誇った笑みを浮かべる。
「そー言う訳で、ゆやは帰さねぇ。わかったらとっとと出ていきな」
僅かに、静寂が訪れる。
「さっき言ってたことと違うぞお前」
「ゆんゆん、俺を誘き出そうとしてたんじゃないの?」
「兄貴!やっぱりメイド目当てじゃねぇか!!」
三人から突っ込みを受けて、遊庵の頬に一筋の汗が伝った。
「ここが問題の秘密基地らしいね」
「本当に喫茶店ね・・・」
「こんなところを秘密基地にするなんて、頭おかしいんじゃねぇのか」
馬車に揺られて三時間、疲れていた灯とサスケはそれなりに気が立っていた。相変わらずにこにことしている幸村はどうだかわからないが。
サスケが偵察のため、先に扉へ近付く。中に数人の気配を確認し、それらが思い切り油断していることに拍子抜けした。
「・・・幸村。殴り込んだ方がいいのか?」
「うーん、誘拐犯がいる割には殺気だってないみたいだし、普通に入ってみようか」
幸村の言葉に頷いて、サスケが扉を開け放つ。からんからん、と扉についた鈴が鳴り。
「いらっしゃいませー」
『・・・・・』
にこやか過ぎる笑顔をしたゆやの声がかけられ、ほたると狂に睨まれて、三人は目を点にしたまま硬直した。
「えっとぉ、あたしオレンジジュース」
「俺はコーヒー」
「はい、かしこまりました」
遊庵の喫茶店は、久々に『OPEN』の札が表になった。
ゆやは、長年培ってきた召使技術の賜物か、完璧な接客態度でウェイトレスの仕事をこなしている。
そんなこんなで、喫茶店のお客は徐々に増えつつあった。
「きゃー!可愛い!!」
「ねえ僕、お手伝い?偉いわねぇ!」
「・・・僕・・・」
思い切り子供扱いされたサスケが、ぴくりとこめかみを引きつらせた。しかし、相手は『お客様』である。ゆやに言われたことを守って、『お客様には手を上げない』精神を貫くサスケ。先ほどから何度このストレスに耐え抜いてきたことか。
狂のように、客を睨みつけて即行ゆやに叱られ裏方へ追いやられるよりはましだと己に言い聞かせ、何とか笑顔を保つ。
そんな訳で、サスケはまたしても可愛いと連呼されながら、『お客様』より注文を取るのだった。
「ショートケーキと貴方の写真がほしいの・・・!!」
「名前教えて下さい!!」
「写真なんて持ってないよ。名前はほたる。で、あんたの注文はなんなの?」
こんな接客の仕方でも許されているのは、ほたるに声をかける客がひっきりなしにいるお陰だろう。
注文を取ってくれだの、水がほしいだの、客の要望に淡々と応対し、こなしていくほたる。これも狂の屋敷で召使として働いていたお陰か。
「あー・・・めんどくさい」
思わず漏らした呟きは、新たなお客の呼びかけにかき消された。
「疲れたぁあ~っ!もう、働き過ぎて肩がこっちゃったじゃない!」
日が暮れ、喫茶店に『CLOSE』の札がかけられた直後、灯が大きく伸びをした。
「え?何回か裏に行ったけど、灯ちゃん何もしてなかっ」
ごん、と音が立って、ほたるは言葉途中で大人しくなる。
「皆さんお疲れ様でした。今日は本当にありがとうございます」
ゆやが煎れたお茶をすすり、一息つく一同。ゆやを一人で置いていく訳にもいかず、かといってゆやを一人で働かせておくのも忍びないと思った一同は、結局総出で喫茶店の経営を手伝ったのだった。
ゆやとほたるとサスケは接客をし、途中で裏方に追いやられた狂と、灯と幸村は裏方をこなした。才蔵は当主が皿洗いなどやめてくれと幸村に泣きついていたが、結局は二人で皿洗いをしていたりする。
遊庵はほくほくした様子で、一同に給料を弾んでくれた。
「お前らのお陰で助かった!またよろしくな!!」
『絶対嫌だ』
ほたるとサスケが、即行で斬り捨てる。
「まあまあ、そう謙遜するな」
『してない』
「仕方ねぇなあ、今度はもっと給料上げてやるからよ」
『いらない』
そんなこんなで、ゆやたちの一日喫茶店体験記は幕を閉じたのだった。
「・・・・っ!!」
辰伶の右肩が浅く斬られた。血が僅かに飛び散り、彼の頬を赤く汚す。
「五曜星の辰伶、大人しく壬生へと戻りなさい。今ならまだ間に合う」
淡々とした声音で男が告げる。それは説得ではなく、単なる事実を突き付けていた。
己の傷だらけになった身体に、まだ動くと叱咤し続け、辰伶は二振りの刀を構え直した。
「断らせて頂きます」
「・・・何故ですか」
男の声に、僅かな感情が見えた。しかし、辰伶が付け入る隙は微塵もない。
それでも、ここで負けるわけにはいかない。
「助けなければならない人がいるのです。だからひしぎ様、たとえあなたの言葉だとしても従うわけにはいかない!!」
「・・・・」
ひしぎは、諦めにも似た溜め息を吐く。
辰伶の水龍が辺りの地面を薙ぎ払い、大地は大きく揺れた。