決着
広大な森の中にある村正の屋敷には、いつもの面々が集まっていた。
応接間の上座に、煙管を咥えた狂がいる。その肘掛けには灯。狂の左側のソファにはアキラ。その隣には梵天丸、幸村、サスケ、紅虎が続き、テーブルを囲んでいる。
そのテーブルには、人数分の皿があり、そこには様々な動物の形をしたクッキーが乗っていた。
「お待たせしました!」
トレイにいくつものティーカップを乗せたゆやが応接間へ入ってきた。
その後に続いて、ほたると辰伶もティーカップを乗せたトレイを持って入ってくる。
「辰伶のやつ、執事姿が板についてきたな」
「ここの居候になる前も、何だかんだと屋敷の手伝いをしてましたからね」
梵天丸とアキラが、呆れを含んだ声で言う。ほたると同じ裏切り者と認定された辰伶は、ゆやの勧めで屋敷に住みこむことになったのだった。
ゆやが慣れた手つきでティーカップをテーブルに並べる。ほたるはやる気のなさそうな動きだが、音も立てずにティーカップを置いていく。
そして辰伶が最初のティーカップを置いた直後、大きく後ろへ飛び退った。
「っ・・・な、何だ熒惑!!」
片手でトレイを持ち、もう片方で刀を振り下ろした姿勢のほたるは、ゆらりと身を起こす。
「カップの置き方がだめだったから」
「どっ、どこが悪いというのだ!」
「カップの向きが逆、置いた時にお茶を零してる、音も汚い」
「ぐ・・・!!」
「辰伶は俺の『後輩』なんだから、『先輩』の俺の言うことはありがたく聞いた方がいいと思うけど」
「き、貴様・・・!!」
「先輩に対する口のきき方もなってないね」
「調子に乗りおって!」
辰伶も開いた手で刀を握る。トレイを掲げたまま刀を構えて対峙する二人を、周りは白けた視線で見守っていた。
「ほたるのやつ、小姑が板についてきたな」
「普段、弟扱いされていた分の復讐でしょう。くだらない」
梵天丸とアキラが、更に呆れた声で言った。
「ここで喧嘩はやめて下さい!!」
ティーカップを並べ終えたゆやが、ほたると辰伶を叱りつける。一触即発だった二人が、肩を震わせてゆやを見やった。
「ほたるさん!辰伶さんに色々教えてあげるのは大事ですけど、やり過ぎです!」
「でも、あんただって昔、短筒で俺に・・・」
「今はお客様にお茶を出すのが先です!」
男たちの脳裏に、ほたるが執事になりたての頃の光景が思い出された。短筒を振り回してほたるを追いかけるゆやの姿に、遠い目をする一同。
「一体どんな教育を受けていたのだ、熒惑・・・」
昔を知らない辰伶が、頬に冷たい汗を流した。
やっとティーカップを並べ終え、皆がお茶とクッキーに手を伸ばす。
「今日のクッキーも美味しいねー」
「ありがとうございます、幸村さん」
象のクッキーを満足そうに頬張る幸村。サスケもキリン型のクッキーを取り、素早く口へ放り込み俯く。動物型のクッキーを恥ずかしく思うのは、自分だけなのだろうかと悩むサスケ。
「サスケ君はどう?」
「っ・・・う、美味いよ」
「そう、よかった!」
嬉しそうなゆやを見て、また俯いてしまうサスケだった。
「このライオン、鬣が欠けてる。辰伶が型抜きしたやつだ」
「き、貴様こそ、この熊の片目が潰れているぞ!」
「猫の髭が左右で揃ってない。辰伶が型抜きしたやつだ」
「ぐっ、そんな細い部分、欠けても仕方ないだろう!」
「俺のヒヨコの足は細いけどちゃんとできてるよ」
「猫の髭の方が細い!!」
「ヒヨコの足の方が細い」
「今日も平和やなぁ・・・っと、わいはぼちぼちお暇するわ」
睨み合うほたると辰伶を眺めて、紅虎が言う。
「え、トラもう帰るの?」
「今日は真尋にはよ帰れ言われとるんや」
「そう。じゃあ真尋さんにクッキー少し持って行って」
「おおきに」
紅虎と見送りのゆやが応接間を出て行った。
「このままでは埒があかん!皿洗いで勝負だ、熒惑!!」
「いいけど。でも一番細いのはヒヨコの足だから」
「だからその決着を皿洗いでつけると言っているのだ!」
「クッキーの細さと皿洗いじゃ欠片も関連性ないし」
言い合いを続ける二人の横から、幸村が問題のクッキーを覗き込む。
「うーん、これは判断が難しいね。どっちも同じ太さじゃないかなぁ」
『絶対俺の方が細い!』
「うるせぇ・・・!そんなもん、こいつでケリをつければいいだろうが・・・!!」
狂が得物を手に立ち上がる。巻き添えを避けるために周りが退却の姿勢をとったところで。
大地を殴りつけるような揺れが、彼らを襲った。
「っな、何だ!?」
「近くで何かあったみたいだな」
「灯ちゃん、お尻打ったぁ~」
アキラと梵天丸は、灯を無視して辺りの様子を窺う。背後から錫杖が振り下ろされるとも知らず。
「・・・」
狂が無言で応接間を出ていく。その雰囲気に何を感じ取ったのか、幸村も続く。
「お、おい、幸村」
「俺たちも行こうぜ」
戸惑うサスケに声をかけて、梵天丸が皆を外へ促した。
「トラ!!」
ゆやが泣きそうな声で叫ぶ。紅虎へ駆け寄り、深くえぐられた右肩を見て息を呑んだ。出血が酷い。
「トラ!しっかりして!」
メイド服のスカートを大きく破り、肩の止血をする。強く縛った際の痛みで、紅虎が呻いた。
「っぐ・・・ゆや、はん・・・にげ・・・」
「喋らないで!今、灯さんを呼んでくるから・・・っ」
ゆやの背後から、黒い影が差した。
紅虎が左手で槍を掴む。ゆやは紅虎を庇うように振り返って両手を広げる。
二人の前に立ち塞がり、片手を上げる襲撃者が動きを止めた。彼らからは逆光となり、表情が見えないため、男が何を思ったのかはわからない。その黒衣は、以前ゆやが幸村と共に目にしたものだった。
暫し、三人の時が止まる。
最初に動いたのは、襲撃してきた男だった。全壊した門を飛び越え、森の中へと姿を消す。
ゆやと紅虎は、ぽかんと口を開けたまま硬直していた。そんな二人に、再び影が落とされる。
「っ・・・・・狂・・・」
ぽつりと影の主を呼ぶゆや。狂は返事もせず辺りを見回す。赤い目が油断なく森の奥を捉えていた。
「ゆやさん!トラ!」
「ど、どうしたんだ!?」
アキラと梵天丸がゆやたちの元へ駆けつけた。
「おい、灯!」
「わかってるよ!」
珍しく焦るアキラの声に、灯が錫杖を掲げる。
紅虎の肩が、見る間に直っていく。彼の呼吸が落ち着いてきたことを確認し、ゆやがほっと息を吐いた。
「詳しい話を聞く前に、屋敷の中へ戻ろうか」
ゆやが落ち着いたのを確認して、幸村が皆に声をかけた。
屋敷の応接間に再び集まる一同。紅虎はソファに横になり、体力回復のため眠っている。
「さて、何があったのか話してもらえるかな」
幸村に促され、ゆやは重そうに口を開いた。
「前に会った、真達羅って言う人が突然現れて、トラを・・・」
「っ・・・佐助・・・」
「・・・・・」
幸村の呟きに、サスケは身を固くする。己の事ではないとわかっているが、辛そうな主の顔に、罪悪感を覚える。
「真達羅・・・確か、この前私とほたるを襲ってきた奴ですね」
「・・・そうだっけ?」
アキラの言葉に、ほたるが首を傾げる。
「そう名乗ってましたよ。しかし、一体何のために・・・」
「・・・彼は、ゆやさんを連れ去ろうとしていた。まずは周りの人間を個別に排除しようとしているんじゃないかな・・・」
幸村の考えに、肩を小さく震わせるゆや。申し訳なさそうに、紅虎を見やる。自分のせいでこんな大怪我をさせて、いくら謝っても足りない。
「さっきは狂さんが来たから、身を引いたんだろうね」
「でもよ、何でゆやちゃんが真達羅って奴に狙われなきゃならないんだ?」
「真達羅じゃなくて、壬生の誰かがゆやさんを狙っているんだと思うよ」
「誰かって誰?」
ほたるの問いに、困ったような笑みを浮かべる幸村。
「紅の王はゆやさんと知り合いじゃないみたいだから、もう少し下の誰か、かな?」
「それは太四老のことか?まさか吹雪様だと言うのか?」
辰伶の言葉にきょとんとした反応をするゆや。
「ひしぎ様、時人様、あとは遊庵様だが・・・」
「あ、遊庵さんは知ってますよ。たまに喫茶店の手伝いをお願いしに来るので」
「手伝いをしてるのか?」
「いいえ、私はこちらの召使いですから」
辰伶の問いに首を振るゆや。
以前ゆやを攫ってウェイトレスをさせていた遊庵だが、まだ諦めていなかったらしい。
「遊庵と二人で会うなんて、危ないのでは・・・」
「最近は喫茶店で出してるケーキとか持ってきてくれますよ」
「・・・随分フレンドリーな太四老ですね」
アキラの頬に一筋の汗が流れた。
「うーん、誰がゆやさんを狙ってるんだろうね」
「真達羅とかゆーのをぶちのめして、聞けばいいんじゃなぁい?」
「でも、大人数で行くと真達羅は逃げるんだろ?」
幸村と灯とサスケが言い、揃って考え込む。
「一人でそいつを斃せばいいだけの話だろ・・・」
ソファから立ち上がり、身をひるがえす狂。
「狂!一人でなんて危ないわよ!」
「俺が負けるわけねぇだろ」
駆け寄るゆやに、にやりと笑って返す狂。幸村も頷くが、その表情は硬い。
「僕も狂さんなら勝てると思う・・・けど、相手もそう思っている場合、姿を現さないんじゃないかな」
「狂以外を行かせた方が、真達羅が出てくる可能性が高いってことね」
灯の言葉に頷く幸村。
「だから、僕が行くよ」
「幸村さん・・・!」
ゆやの心配そうな声に、幸村は大丈夫と笑って返す。
「彼には個人的にも用があってね。僕に行かせてくれないかな」
「・・・っ俺も行く!」
サスケが立ち上がって声を上げた。主を一人行かせる訳にはいかない。
「サスケ・・・」
「近くに隠れていれば、一人増えてもいいだろ。何かあったら、他の奴らを呼びに行ってやるよ」
「・・・そうだね。ありがとう、サスケ」
ぽんぽん、とサスケの頭を撫でる幸村。子ども扱いに憮然としつつも、要求が通ったので、今は大人しくしているサスケ。
「私も行きます!その方が、真達羅が出てくる可能性が上がりますよね」
ゆやも続いて立ち上がる。幸村が申し訳なさそうに眉尻を下げた。彼女を危険な目に合わせるとわかっていても、その申し入れを受けない訳には行かなかった。
「・・・そうしてくれるかな。ごめんね、ゆやさん」
「いいえっ、自分も関係あることですから」
気丈に振る舞っているゆやだが、その肩は小さく震えている。その肩に、大きな手がぽんと触れた。
「大丈夫だって!幸村は強ぇし、何かあれば俺たちがすぐ駆けつけるからよ!」
「そうそう、ゆやちゃんは大船に乗ったつもりで構えてればいいのよ」
「怪我をしないよう、気を付けて下さいね」
「・・・俺も死合いしたい」
「貴様、今までの話を聞いていなかったのか・・・?」
皆の言葉に、ゆやがぎゅっと眉根を寄せてから、嬉しそうに顔を綻ばせた。
そこには先ほど、紅虎と真達羅が戦った傷痕が、そのままに残っている。
全壊した門、えぐり取られた大地、紅虎の傷から溢れ出た血液が草を赤黒く染めて。
吹き抜ける柔らかい風が埃を舞い上げ、ゆやが咳き込む。隣の幸村が、ゆやの背をそっと擦った。ゆやが照れたように笑って礼を言う。
そんなやり取りを、サスケは近くの木の上から見下ろしていた。
傍から見れば、お似合いの二人だ。自分とゆやよりは、余程。
こんな時に何を考えているのだと、首を振って重い気分を振り払うサスケ。今は二人と、その周りにいるはずの襲撃者に気を配らないと。
とす、と軽い音が足元から聞こえた。
見下ろすと、脹脛に己の手のひらほどの棒型手裏剣が刺さっている。
状況を理解し、激痛を知覚するまで一瞬を要した。痛みを堪え、手裏剣を引き抜く。刃の輝きを見て、痺れ薬が塗られていることに気付くサスケ。まさか、自分から襲撃されるとは。
痺れが下半身を覆い尽くし、がくりと膝が折れる。木の枝はサスケを受け止めることなく、その身体は地面へと落下する。
上体を捻り、着地のダメージを減らそうとした彼の視界を、黒い影が覆った。
「っ・・・!!」
真達羅の刀が、サスケの眼前に迫る。間に合わないとわかっていながら、己の得物を掴むべく背に手を持っていく。
がきぃっ!!
「っ・・・ゆ、幸村・・・」
サスケの身体を支え、真達羅の刀を受け止めたまま、幸村は済まなそうに顔を俯かせた。
「大丈夫かい、サスケ」
恐らく、真達羅が先にサスケを狙うことに、気付けなかったことを悔やんでいるのだろう。そう思ったサスケは、できる限り平然と答えた。
「ああ、平気だ。ありがとな」
立ち上がろうとするが、痺れ薬の効いた下半身は全く力が入らない。
「サスケ君!」
その声が思った以上に近く聞こえて、サスケはぎょっとした。幸村の腕が離れると同時に、反対側からゆやの腕が自分の身体を支える。
「サスケのこと、よろしくね」
「はい!」
気まずそうなサスケに肩を貸し、幸村の元を離れるゆや。
「大丈夫?」
「・・・あ、ああ・・・」
役に立てない己に苛立ち、サスケは俯いて答えた。
「伝達役の動きは封じました。お仲間は助けに来られませんよ」
「全く、僕としたことが君の気配に気付けないなんてね」
「こう見えても、元・忍びですから」
「そうだったね。佐助」
「・・・真達羅だと名乗ったはずです」
「誰から依頼を受けた」
「それは、自分を斃してから訊くことです」
話しながらも、全力で刀を押し付け合っていた幸村が、ふと笑った。
「・・・わかったよ」
幸村の気配が、爆発する。
「っ・・・!」
圧迫される闘気に、真達羅が一歩身を引く。その動きに合わせて身を捻り、上体を捻って斬撃を繰り出す幸村。刀で受け止める真達羅が、衝撃を抑え切れずに後ろへ跳ぶ。
追いかける幸村の視界を、真達羅の放った煙幕が覆った。
範囲はそれほど広くないため、横に跳んで黒い煙から抜け出す。視界の端に、サスケとゆやの姿を確認し、真達羅を探して視線と感覚を研ぎ澄ませる。
ぎぃん!
煙幕の中から飛び出した棒手裏剣を弾く幸村。それはサスケの足に刺さったものと同じ、痺れ薬が塗ってある。
防御した刀をそのまま己の側頭部へ移動させる。刹那、死角からの斬撃が刀にぶつかった。
「幸村!!」
サスケの声に目を見開き、その身を捻る幸村。がらりと音を立て、地に落ちるのは真達羅の刀。持ち主は幸村の頭上から、僅かにずれたところへ小刀を深々と突き立て着地する。サスケの声が、幸村に真達羅の罠を気付かせた。
次の一手を繰り出すべく動きかけた真達羅の首元に、幸村の刀が触れる。
「依頼主は誰だい?」
真達羅が、僅かに口元を緩める。
「・・・殺さないのですか?」
「もう、勝負はついた。それに、殺したら黒幕がわからないだろう?」
「貴方は甘い・・・昔から」
「そうだね」
あっさりと認めてしまう幸村に、真達羅は苦笑する。
「・・・依頼主は・・・」
からんからんと軽快な音を立て、ドアが開いた。
「あぁ?CLOSEの札が見えなかっ・・・て、ゆや!!」
「お久しぶりです、遊庵さん」
以前攫われてきた喫茶店の入り口で、ゆやはにっこりと遊庵へ微笑んだ。
その柔らかい笑みに、遊庵の顔も驚きから喜びへ変わる。
カウンターを飛び越え、ゆやの元へ駆け寄る遊庵。両腕を広げて叫ぶ。
「本当に久しぶりじゃねーか!やっと俺のウェイトレスになる決心がついたんだな!!」
『誰がてめぇのウェイトレスだ』
見事な唱和と共に、男たちの拳や足が遊庵にめり込んだ。
「遊庵さん、いくら喫茶店の経営が忙しいからって、刺客を雇って人を攫うなんてだめですよ!」
続けてゆやの叱責が頭上に降りかかる。それから一時間、みっちりとお説教やら文句やらを浴びせ、狂一行はがやがやと喫茶店を後にしたのだった。