逃待

ゆやは必死に森の中を駆けていた。
ゆやの背丈の何倍もある大きな木が、目の前に迫る。あそこまで走ったら、その陰に身を隠そう。そう思った直後、風の動きが変わったことを感じる。
止まってはだめだと判断して、大木の脇を走り抜けた。

刹那、ゆやの背後で大木が破裂する。

周囲も巻き込んで、その木は大きく損壊していた。どう疑っても敵の放った技に間違いない。
こんなにも大仰な技を使う敵に、対するのはゆや一人である。まず勝ち目はない。こうして必死に逃げるだけで精一杯だ。逃げることもいつまでもつか、怪しいものだった。

仲間たちは今頃、自分のことを助けようとしてくれているのだろう。それだけは確信できた。だからこそこうして逃げてきたのだ。彼らと少しでも早く合流できるように。

しかし、いくら走っても仲間の姿は見えない。敵はゆやとの鬼ごっこを楽しんでいるようで、すぐに殺そうとはしてこない。それだけは今の彼女にとって救いだった。
転がるように走り、陰に身を潜め、敵に居場所を知られたらまた逃げ出す。
敵の攻撃はどこから来るかわかりやすいものだったので、ゆやでも何とか避けることができた。もしかしたら、わざとわかるようにやっているのかもしれない。鬼ごっこを少しでも楽しむために。

走り続けた脚は傷付き、喉は枯れ、肺は焼けるように熱かった。
何もかも投げ出して、この場に倒れ込みたい。追いついた敵は、自分を殺すだろうか。監禁されていた場所に連れ戻されるだけだろうか。
無事でいられる可能性に賭けたくなったが、その誘惑に耐えて走り続ける。殺されてしまったらそれで終わりなのだ。
自分が殺されたら、助けに来た仲間たちの行動が無駄になってしまう。だから何としてでも自分は生き延びなくてはならない。

何度目かの攻撃を、命からがらかわす。
敵の姿はまだ見えないが、向こうはこちらの居場所がわかっているらしい。
少しでも距離を取るために、ゆやはまた走り出した。敵はそろそろ飽きてくるはずだ。自分を殺す気になる前に、少しでも離れておかなくてはならない。離れたからと言って、生き残れる可能性がどれほど上がるかは全くわからないが。

また風が動いた。しかし、今までとは少し違う。

今度は跳んで避けるのをやめ、地面に身を伏せる。身体のすぐ上を、広範囲の衝撃波が駆け抜けていった。跳んでいたら避けきれずに吹き飛ばされていただろう。

敵が鬼ごっこに飽きたと言う合図だった。

まだ諦めたくない。死にたくない。
しかし、ゆや一人では本気になった敵に追いつかれることなど一瞬だった。
わざわざ敵が姿を見せたのは、確実に彼女を仕留めるため。
振り上げられた獲物が風を纏い、荒れる空気がゆやの動きを封じる。

彼女の身体が、木の葉のように宙を舞った。

しかし、ゆやが地面に叩きつけられることはなかった。
身体中が痛くて、息も思うようにできなかったが、ゆやは嬉しくて目元を緩ませる。
「・・・っ攫われたら、大人しく牢屋に入ってろ・・・!!」
絞り出すような、僅かに震える声。言い方は乱暴だが、酷く心配してくれたのだろうとゆやは思った。どうして彼女が牢屋から逃げ出したことを知っているのかはわからなかったが、恐らく途中で斃した別の敵からでも聞いたのだろう。
お礼を言いたいのに声が出ない。抱き付いて喜びを伝えたいのに腕も動かない。
それでもゆやは嬉しくてたまらなかった。狂が来てくれたのだから、もう何も怖くない。
遠のく意識の中で、他の仲間たちの声が聞こえる。次に目を覚ましたら、きっと灯が治療をしながら説教をしてくるはずだ。
にやける顔をどうやって誤魔化すか、考える前にゆやの意識は闇に落ちた。