相呼
遠く背後からぱちりぱちりと手を叩く音がして、ゆやは何事かと振り返った。
ちなみに、誰かから拍手を送られるような覚えは全くない。彼女は河原に佇んでいただけなのだから。
「ほたるさん!どうしました?」
相手の姿を確認し、声をかけて相手の様子を窺う。しかし、ほたるは手を叩いているだけで一向にこちらへ来ないし返事もしない。視線はしっかりとゆやへ向けられているので、彼女に用があるのは確かだろう。
無表情でひたすら手を叩き続ける彼が心配になり、ゆやは自分から駆け寄った。するとほたるはぴたりと手を止める。
「ど、どうしたんですか?」
「・・・ん。手を叩いたら、あんたが来るかもって思って」
そう言われて、ゆやは昨日のことを思い出す。ほたるが野良犬を呼び寄せようと、今のように手を叩いていたことを。ちなみにその野良犬は人に馴れていたらしく、すぐにほたるの元へ駆け寄ってきた。
「・・・私は犬じゃないんですけど」
犬と同列に扱われたことに、ゆやは口を尖らせて呟く。
顔をしかめているゆやを見て、ほたるは小さく首を傾げた。彼女の機嫌を損ねた理由がわからないのだろう。もしかしたら、機嫌を損ねていること自体わかっていないかもしれない。
「でも、来てくれたよ?」
「ほたるさんがいつまでも手を叩き続けているので、おかしくなったのかと心配になったからです」
「手を叩くのって、おかしいの?」
「何も言わずに手を叩き続けて人を呼ぶのはおかしいです」
「そっか。じゃあ、どうしようかな」
「何がですか?」
ゆやが尋ねると、ほたるは少し困ったような顔で彼女を見やった。僅かでもこの男が表情に出すと言うことは、余程困っているのだろう。
「あんたから来てほしい時に、どうすればいいかわからない」
ゆやがきょとんと目を瞬かせる。思い返せば、ほたるがゆやを遠くから呼び寄せたことは一度もない。気が付けば近くにいて、「ねえ」などと小さく呼びかけられることはあったが。
先ほどの行為は、どうすればいいか彼なりに悩んだ結果なのだろう。ほたるの少し落ち込んだような表情を見て、ゆやは苦笑した。
「手を叩かなくても、呼んでくれれば行きますよ」
「・・・どうやって?」
「名前でも、おーいとかでも、何でもいいです」
「・・・椎名ゆや?」
「それでもいいですけど、ゆやだけの方が言いやすいと思いますよ」
「・・・ゆや」
「はい」
「ゆや」
「はいっ・・・言いやすいですか?」
ゆやの問いに、ほたるはうっすらと笑って頷いた。