仕度
そこを通りかかったクレアが目にしたのは、ものすごくふくれっ面をして野菜を刻むアニーの姿だった。
晩ご飯の仕度をしていることはすぐにわかった。この宿は自炊をする必要があるため、当番制で食事を作ると数日前に決めたのだ。クレアは毎食自分が作ってもいいと言ったのだが、仲間たちが彼女一人に苦労させる訳にはいかないと断った。二人一組でやることになっていたので、今日はアニーとマオが当番だったはずだが、炊事場にはアニーしかいない。
マオがいないことも気になったが、機嫌が悪いためか幾分乱暴になっているアニーの包丁捌きの方が心配になる。間違って怪我をしなければいいのだが。
「アニー」
クレアが声をかけてやっと、アニーは彼女のことに気付いた。肩を大きく震わせて、顔を上げる。
「クレアさん」
「大丈夫?何かやれることがあるなら手伝うわ」
驚いた表情のアニーは、クレアの言葉をすぐに理解できないようだった。少し間を置いてから、瞳を揺らめかせる。泣かせるつもりなど欠片もなかったクレアは、アニーの様子に戸惑った。
「どうしたの?」
「ありがとうございますっ・・・嬉しいです・・・」
もちろんクレアはアニーが泣くほど喜ぶようなことを言ったつもりはない。アニーの背をそっと擦ると、彼女は鼻をすすりあげて大きく息を吐いた。
「今日はマオと私が食事当番なのに、マオったらティトレイさんと出かけたきり帰ってこないんです」
「そうなの」
「昼間だって片付けもしないで行っちゃうし・・・今だって私一人に押し付けて・・・」
アニーの声と顔が曇り、唇が尖っていく。それでこんなにも不機嫌だったようだ。
クレアはにっこりと笑った。アニーの窄められた唇から力が抜ける。
「それはきっと、アニーが頼りにされているからよ」
「・・・え?」
「マオにとって、アニーはとっても頼りになるから、つい甘えちゃったのね」
「・・・・・そ、そうなんでしょうか」
「羨ましいわ。私もヴェイグにそれくらい頼りにされてみたい」
「ヴェイグさんがクレアさんを放り出して遊びに行くって、ちょっと考えられないですね」
あり得ない光景を想像して、くすくすと笑う二人。
「頼りにされるって、いいことだと思わない?皆の役に立てると、私は嬉しいもの」
「・・・そう、ですね」
「でも、マオが帰ってきたらきちんと叱らないとね。皆との約束を破るのはいけないわ」
「はいっ」
笑顔になったアニーと一緒に、クレアも食事の仕度を手伝うことにした。アニーの役に立てて、嬉しいと思うクレアだった。
「アニーごめん!!」
仕度を再開しようとしたところで、マオとティトレイが炊事場に駆け込んできた。肩で大きく息をしている。
「当番の事すっかり忘れてて・・・その・・・ごめんなさい」
「俺も忘れてて、マオの事連れまわしちまって・・・悪ぃ!許してくれ!」
深々と頭を下げ、交互に謝罪する二人。アニーはぽかんとしている。
「叱らなくても十分反省してるみたいね」
クレアがこっそりとアニーへ囁いた。
それからマオとティトレイも加わって食事の準備をすることになった。二人とも積極的に働いて、アニーとクレアのやることがなくなってしまうほどだ。
「・・・本当にごめんね、アニー」
「謝ってくれたから許してあげる」
「次は気を付けるよ」
「うん」
いつも通りの様子に戻った二人を見て、クレアが嬉しそうに笑う。野菜を鍋に放り込んだティトレイが彼女に声をかけた。
「クレアも手伝わせちまって悪かったな」
「いいえ、私は手伝えて嬉しいです」
「そうか?当番じゃねえんだから、ヴェイグと出かけてくればよかったのに」
「ヴェイグは買い出し中です」
「そっか、じゃあマオじゃなくてクレアを誘えばよかったんだなぁ。そうすりゃマオはアニーと一緒にいただろうから、当番のことを忘れてても平気だった、って、ヴェイグ、帰ってきたか!」
ティトレイが手を振った方向へクレアが振り返ると、そこにはいつも通り無表情なヴェイグが立っていた。
「ヴェイグ、お帰りなさい」
「・・・ただいま」
「お帰りヴェイグ!」
「お帰りなさい」
クレアの声でヴェイグに気付いたマオとアニーも声をかける。ヴェイグはもう一度ただいまと呟いた。
両手に荷物を抱えたヴェイグの元へ歩み寄り、荷物を片方受け取ろうとする。しかしヴェイグは渡さない。
「大丈夫だ」
「たまには私にも手伝わせて」
強引に荷物を取り上げるクレア。彼女の態度が珍しく、ヴェイグは目を瞬かせる。
「あなたの役に立ちたいの」
クレアがにっこりと笑った。彼の役に立てて、嬉しい。