紳士
「クレア」
後ろを歩く彼女を呟くように呼び、片手を握る。グローブを嵌めた大きな手が、優しくクレアの手を包んだ。
人通りが多くなってきたので、クレアが逸れないよう気を使ったのだろう。その心遣いが嬉しくて、彼女の頬が緩む。
「ヴェイグさん、紳士です・・・」
「クレアにだけだけどね」
クレアの隣りを歩く、アニーとヒルダが小声で言う。
「それにひきかえ・・・」
「おーい!早く来いよー!」
落胆のこめられたヒルダの呟きを遮り、人混みの向こうからティトレイの声が響く。彼にも幾らかの気遣いとか、配慮とかが兼ね備えられていればよかったのにと思わずにはいられない。どうしてティトレイにそんなことを期待するのか、ヒルダは考えないようにした。気を紛らわせるために、歩を速めてティトレイを追う。
「ヒルダさ、っきゃ・・・」
「アニー!大丈夫?」
ヒルダの後を追おうとしたアニーが、通行人とぶつかってしまった。互いに頭を下げ、通行人が立ち去る。真っ先に声をかけたマオが、すぐに駆け寄ってきた。アニーの声に振り返ったヒルダは、そんなマオの姿を見て少し感心する。少なくともティトレイよりは気遣いができるのだから。他の仲間たちもアニーに心配そうな視線を送っていたが、マオを押し退けようとする者はいない。
「うん、大丈夫」
はにかむようにして答えるアニーに、マオはすぐ安堵の笑みを浮かべた。
「よかった。アニーもこっちにおいでよ」
「え?」
アニーの手を引き、マオが駆け寄ったのはユージーンの元である。
「ユージーンの尻尾に捕まってれば、逸れないし安心だよ!」
「・・・そ・・・そうね・・・」
「マオ・・・悪気がないことはわかっているが、アニーにそれを勧めるのはどうかと思うぞ」
紳士の鑑であるユージーンは、マオにそれとなく諭すが、少年は理解できずかくりと首を傾げた。
「マオの背がもっと伸びないと、エスコートは難しいんじゃない?」
引き返してきたヒルダが率直に指摘する。
「む、何か子供扱いされた気がするんですけど」
「気のせいじゃないわよ」
「僕だってエスコートできるよ!ほら、行こうアニー!」
「え、あ、マオっ・・・」
アニーの手を掴んで、マオが歩き出す。
「マオ、行き先はこっちだ」
「あ、そうだっけ」
ユージーンに言われて、彼の方へと方向転換。ユージーンが先を進み、さりげなくマオを誘導している。やはりユージーンは紳士の鑑だと残された仲間たちは思った。
「ヴェイグ、ヒルダさん、私たちも行きましょう」
「ああ」
「っ・・・そ、そうね」
クレアが繋いできた左手を、恥ずかしさのあまり振り払わないよう必死に我慢するヒルダだった。
「あ、このお店?」
「そのようだな」
「こ、混んでますね・・・」
マオとユージーンとアニーが店の前で立ち止まっているところに、ヴェイグたちも辿り着く。
そこは美味しいと評判の食堂だったのだが、評判がよ過ぎるようで長蛇の列ができていた。お昼時だから仕方ないのかもしれない。
「とりあえず並ぶ?」
「俺は構わないが」
「わ、私もですっ」
列の最後尾に並ぶマオたちに、待ったをかけたのはこの店に行きたいと言ったヒルダだった。
「他の店にしましょう。・・・その、私に気を使わなくていいから」
「私もこのお店のご飯を食べてみたいです」
「・・・折角来たんだ、少しくらい待ってもいいだろう」
そう言ってクレアとヴェイグも行列に並んでしまう。
「あ、あんたたちねえ・・・っ」
「だってヒルダが食べてみたいって言うご飯だよ!?どれだけ美味しいのか気になるじゃん!」
「私も気になりますっ」
「俺も気になるな」
「・・・俺も」
「私もです」
「っ・・・・か、勝手に期待されても、美味しくなくたって知らないわよ!?」
「その時はその時だよ、ねー?」
マオの言葉に他の仲間が頷き、ヒルダは赤くなった顔を隠すように俯くしかなかった。
「おぉーい!皆、こっちだこっちー!!」
声がする方に皆が視線をやると、いつもの緑色が両手を大きく振りながらジャンプしている。そこは店の外に設置されたテラス席で、一際大きなテーブルが置いてあった。
「ティトレイ!?」
「席が取れたんですか!?」
驚いた声を上げて、マオとアニーが駆け寄る。
「だから早くって何度も言っただろうが。昼飯時は混むんだから」
仲間を置いてさっさと行ってしまったのは、席の確保を優先したためらしい。
「ティトレイも、それなりに気が利くようだな」
「きっとヒルダさんに喜んでほしかったんですね」
「・・・あいつは、いい奴だ・・・」
ユージーンとクレアとヴェイグの言葉に、ヒルダはますます顔が上げられなくなる。
「っ・・・じ、自分が食べたかっただけでしょ・・・!」
俯いたまま掠れるような声で反論すると、仲間たちはそうかもしれないと同意するのだった。