脱出

この森には、何かがある。

戻らないユージーンを心配する一同を、さらに追い詰める事実が浮かび上がってきたその時だった。ユージーンが藪から飛び出してきたのは。
「ユージーン!?」
最初にマオが驚きと喜びの混ざった声を上げる。一同が安堵の息を吐く間もなく、ユージーンはこちらに走り込んでくる。
「ここはだめだ!逃げるぞ!」
「どうっわぁ!?」
どうして、と言いかけたマオに駆け寄ると、肩に担ぎあげて走り続けるユージーン。
驚く一同の中で、最初にティトレイが動いた。そばにいたヒルダの手を乱暴につかみ、ユージーンより先を森の入り口に向かって走り出す。
「アニー!」
「ふあっ!?」
ユージーンにかなりの剣幕で呼ばれ、動揺した声を上げるアニー。目を白黒させる彼女をこれまた乱暴に担ぎ上げ、ユージーンはティトレイの後に続く。

行かなくては。自分も。クレアをつれて、逃げなくては。

ヴェイグには、仲間たちの動きがスローモーションのように見えた。心臓の鼓動がひどく大きい。これは、不安か?怖いのか?
先ほど一旦収まったはずの感情が、高波のように押し寄せてきていた。やはりこの森には危険な何かがあるのだ。それはユージーンの慌てようからも明らかだ。

怖い、怖い、怖い。

足が重い。動くのが怖い。息が苦しい。呼吸をすることすら怖い。
離れていく仲間たちの背を見ても、動けないのは怖いから・・・なのか?何が?何がだ?
自分は一体、何がこんなにも怖いのだ?

「ヴェイグ」

何度もかけられた声と、何度も触れ合った手が、ヴェイグの恐怖に固まった心を大きく揺らす。
クレアがヴェイグの手を取り、鼻が触れそうな距離で目をのぞき込んできた。何を思っているのか、うっすらと笑みすら浮かべている。
「行きましょう。あんまり遅くなったら、皆に晩ご飯全部食べられちゃうかも」
「っな・・・!?」
思わず、声が出た。呆れたのか、大きな溜め息も出た。力が抜けたおかげで、彼女の手を力強く握り返すことができた。
「がんばって走るから、置いていかないでね。ヴェイグ」
「当たり前だ」
いたずらな目で言うクレアに、間髪入れず応えてさらにその身体を抱き上げる。仲間たちはだいぶ先を行っているが、これなら追いつけるはずだ。
クレアは大人しくヴェイグの腕の中で身を小さく丸めた。声も出さずに、力を抜く。少しでも走りやすいようにと言う配慮だろう。
その態度が、信頼が嬉しかった。もう怖いとは思わなかった。

そしてヴェイグも、仲間たちに追いつくべく走り出す。視界の端にちらりと見えた、黒い何かは気付かないふりをして。

□■□

仲間たちに途中で追いつき(恐らく自分たちが追いつけるよう速度を落としてくれたのだろう)、森の入り口を出たのは全員一緒だった。
暫く乱れた呼吸だけが辺りに響き、最初に口を開いたのはユージーンだった。
「・・・全員、大丈夫か?精神に異常が残っている者は?」
一部の者はキョトンとした表情を浮かべ、ある程度事情が理解できている者は小さく首を横に振る。
「いきなり逃げろって、何があったんだよ?」
キョトン代表者のティトレイが、ユージーンに問いかける。いつも落ち着いている彼が、事情の説明もなしに叫ぶのは確かに珍しかった。
「詳しいことはわからないんだが、恐らくあそこは精神攻撃を仕掛けてくるバイラスたちの縄張りだったんだろう」
「だから皆してやたらと不安になってたのね」
首を振った代表者のヒルダが、青ざめた表情で呟いた。あのまま全員恐慌状態になっていたら、バイラスたちに全滅させられていたかもしれない。
ユージーンが神妙な面持ちで頷き、続きを話し出す。
「ああ。昔そんな話を聞いたことを思い出してな。心がざわつく感じもしていたし、もしかしたらと思ったところでバイラスに出くわした」
「で、出くわしてよく無事だったな!」
「ユリスの件で耐性が強くなったのかもしれないな」
「よ、よかったよおぉー!ユージーンが一人で混乱してたら、やられちゃってたかも!」
驚くティトレイに、ユージーンが答える。マオの言葉には全員が同意だった。そしてもし他の者が薪拾いに行っていたら、全員無事だった可能性はさらに低かっただろう。
ヴェイグは己の精神抵抗力を鍛えなくてはと身に染みて思った。あの時クレアがいなかったら、一人動けずにやられていたかもしれない。
「皆、一緒に逃げられてよかった」
クレアがにっこりと笑って呟く。彼女の精神抵抗力は、自分よりも高いのかもしれない。後で鍛え方を教えてもらいたいが、彼女が精神抵抗力を鍛える姿など見たことがない。ユージーンに聞いても、「ユリスの攻撃に耐えたから」と言われてしまったらどうすればいいのだろう。ミルハウストなら鍛え方を教えてくれそうだ。彼に会う機会があったら、ぜひ教えを請いたいと思うヴェイグだった。