料理

エステルが包丁を握っている姿を見るのは初めてだった。彼女が城にいる時から、料理をするところを見たことがない。
思わずレイヴンは彼女の元へ駆け寄ってしまった。手を止めようとした訳ではないが、エステルは目を見開いて彼を見やる。
「レイヴン?どうしたんです?」
「あ・・・いや・・・」
どう誤魔化そうか考える。しかし、その必要はないと思い直した。彼女の昔の姿を知っていることを伏せておけば問題ない。
「嬢ちゃんってあんまり料理しなさそうだから、手でも切らないか気になって」
「心配してくれたんですね。ありがとうございます」
律儀に頭を下げるエステル。騎士道精神の賜物か、うっかり自分も頭を下げそうになるのを何とか堪える。
「嬢ちゃんは料理したことあるの?」
「えと、城を出てから始めました。ユーリやカロルに教えてもらって・・・ちょっとは、慣れてきたかと」
照れたようにはにかむエステル。余計な心配だったようだ。
「そっか。二人が先生なら安心だわね」
「はい!昨日ユーリに教わった時に聞きました。生クリームさえきちんと泡立てれば大抵のものは大丈夫だって」
「全然大丈夫じゃないわよ!」
「違うんです?」
「ご飯に生クリームかけて喜ぶのはユーリだけだから!」
「さすがにそれは俺も嫌だぞ」
戦慄するレイヴンの背後から、近寄ってきたユーリが言う。遠くからでも彼の絶叫は聞こえたらしい。その腕には辺りから拾ってきた焚火用の枝が抱えられている。
「ユーリ、あの時の教えは違ったんです?生クリームを制する者は世界を制すと言う格言は・・・」
「あれはデザートの話だ。普通の飯は違う」
「そうなんです?確かフレンも以前、生クリームは刺身に必須だと・・・」
「あいつの味覚は信用するな」
あの誠実そうな騎士が破綻した味覚の持ち主だったと知ってこっそり驚くレイヴン。今度会ったら本当に刺身を生クリームで食べているのか聞いてみたくなったが、シュヴァーンとしての彼がフレンにそんなことを聞ける訳もない。
「じゃ、生クリームは使わずに頑張れよ」
軽く手を振って立ち去るユーリ。向かう先には、火打石を握ったカロルが待ち構えている。
「生クリームは使用禁止になってしまいました」
「ま、まあ、今まで生クリームは使ってなかったんでしょ。普通に作れば大丈夫よ」
「・・・はい。ちょっと考え直します」
生クリームを使えなくなっただけでそこまで考え込まなくてはならない料理とは一体何だったのだろう。気になるが怖くて聞けないレイヴンだった。
「・・・よし、決めました!」
何を作るか決めたエステルが顔を上げる。包丁を握り直し、まな板ににんじんを置いた。
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・・・・・・あ、あの」
「ほえ?」
何をするでもなく彼女の手元を見ていたレイヴンは、突然声をかけられて気の抜けた声を出した。頬を赤く染めたエステルが、困ったように彼を見上げている。
「あ、あんまり見つめられると恥ずかしいです・・・」
「あっ、ああ、ごめんごめん。つい・・・」
「つい?」
「・・・・・嬢ちゃんが作る料理の出来が心配で」
「う、だ、大丈夫、です・・・たぶん」
「はは、まあ、最初は中々上手くいくもんじゃないからね」
「レイヴンもよかったら料理のこと色々教えて下さい」
「うーん、おっさんはそんなに料理得意じゃないからねえ」
「でも私よりは上手だと思います。気になるところがあったら言って下さいね」
笑顔で言われて、レイヴンはくすぐったそうに顔を緩めて頷いた。騎士でもある自分が、姫君に料理のアドバイスなんて考えもしなかったことだ。
たまにはこう言うのも悪くないと思うレイヴンだった。