二人
・・・本当の気持ちが、知りたいんだ
エステルの胸がぎゅっと締め付けられるかのように軋んだ。呼吸が浅くなり、肩が僅かに震える。
彼に気持ちを伝えたら、これから二人はどうなってしまうのか。これまで通り一緒にいられる保証はあるのか。一線を越えたために、ぎくしゃくして離れてしまうことだってあるかもしれない。
わ、私はっ・・・
怯えているかのような、彼女の声。不安によるものか、それとも緊張のためか。
エステルの手が、恐る恐る伸ばされた。
「嬢ちゃん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、今いい?」
「っひゃあぃ!?」
背後から軽く声をかけたレイヴンは、エステルの驚きようにたじろぐ。彼女の手から小さな本が落ちて、ぱさりと音を立てた。
「あー、ごめん。読書の邪魔しちゃった?」
「いえっ、大丈夫です。こちらこそ、びっくりさせてすみません」
「いや、始めに嬢ちゃんをびっくりさせたのはこっちだし」
「いえいえっ、夢中になってしまって、気配に気付きませんでした」
「いやいや、気配なんてそれなりに集中しないとわかるもんじゃないし」
頭を何度も下げるエステルの頬は随分と紅潮している。レイヴンにおかしな態度を見られて恥ずかしい気持ちもあったが、先ほどまで読んでいた本の影響も大きかった。ページを捲る前に声をかけられたので、本の彼女が相手に何と言ったのかはわからない。
まだ乱れている呼吸を整えるべく、深呼吸をするエステル。レイヴンは彼女が落ち着くまで大人しく待っていた。
「お待たせしてすみません。聞きたいことってなんです?」
エステルが促すと、レイヴンは少し困ったような顔をした。言い難いことなのだろうか。
「あー・・・ちょっと、聞くのが恥ずかしいことなんだけどね」
照れたような表情で頭を搔くレイヴンが、読んでいた本の青年と重なる。エステルの胸が、再び大きく動いた。
「嬢ちゃんも、答え辛いかもしれないんだけど」
彼女が動揺するのも無理はない。その態度も、その台詞も、彼女が持っている本と同じだったのだから。
「・・・本当の気持ちが、知りたいんだ」
「わ、わた、しっ・・・」
呼吸が上手くできない。本の少女より震えている気がした。肩も声も。
自分は、何を言えばいいのだろう。何を思っているのだろう。本当の気持ちとは、何なのか?
混乱するエステルに、レイヴンが近付く。彼女の鼻先が、彼の服に触れそうなほど。
そして、レイヴンが呟いた。
「おっさん・・・臭う?」
再び彼女の手から本が滑り落ちた。
「・・・・・え?」
「さっきリタっちに言われたのよ・・・『加齢臭がするから近寄るな!』って・・・」
呆然としたまま視線を上げると、少し涙ぐむレイヴンの顔が見えた。余程ショックだったらしい。加齢臭についてか、近寄るなと言われたことについてか、その両方かはわからないが。
「本当に臭うなら、嬢ちゃんも正直に言ってちょうだい」
エステルは、思わず声を上げて笑ってしまった。突然笑い出したエステルに、レイヴンは驚く。そして彼女の反応が肯定なのか否定なのかわからず、反応に困っているようだ。
涙が出るほど笑った後、エステルはレイヴンの上着に頬を寄せる。彼の緊張が伝わってきた。加齢臭をチェックされているとでも思っているのだろうか。
「大丈夫ですよ。リタも私も、レイヴンのことが大好きです」
「えっ・・・?」
顔を上げてにっこりと言うエステル。今度はレイヴンが口を開けたまま固まる。
「またリタを怒らせるようなことを言ったんでしょう?だからそんなことを言われるんですよ」
レイヴンが軽く目を見開いた。恐らく図星なのだろう。
「ちゃんと謝れば、リタも許してくれます。さあ、行きましょう」
落とした本を拾い上げ、レイヴンの手を取り歩き出す。リタや仲間たちがいるところへ向かって。戸惑う表情のレイヴンも、大人しく手を引かれてついて行く。
「・・・あの・・・加齢臭の件は・・・?」
小さな問いかけは、先を行くエステルに届いていないようだった。