束縛
「あ、あのっ」
呼び止められ、振り返るとそこには、随分と深刻な顔をしたエステルが立っていた。その声を聞いた時から、少しばかり嫌な予感はしていたのだが、その表情を見てますますその予感は強くなる。
「どしたの?そんな顔しちゃって、怖い夢でも見た?」
「っ・・・!?」
冗談のつもりで言ったのだが、肩を大きく震わせるエステルの様子を見て、彼女にとって何かよくないことを言ったのだろうと言うことだけはわかった。
「あ、えーっと、ごめんなさいね。怖がらせちゃった?」
「い、いえっ、レイヴンのせいではないですっ。その、夢と言う訳ではないのですが、でも、夢だったらいいなと言うか、夢であってほしかったと言うか・・・!」
混乱気味のエステルの言葉は、何を言いたいのかいまいちレイヴンにはわからない。
「えー、つまり嬢ちゃんはおっさんに何をしてほしいの?」
悩みを聞いてほしいとか、その辺りを予想して尋ねてみると。
「今夜、私をきつく縛ってほしいんです・・・!!」
これにはレイヴンも白目をむいて倒れるしかなかった。
遠くで自分を呼ぶエステルの声が聞こえた気もするが、今ここで意識を取り戻すことはできればしたくない。色々な意味で、したくなかった。
「・・・夢遊病?」
「だと・・・思うんです」
「だから、動けないように縛ってくれと・・・」
「はい。説明が遅れてすみません」
「・・・いや・・・俺様の聞き方がよくなかったわ・・・」
確かに「夢遊病かもしれないので」の一言はほしかったが、あの時のエステルにその配慮を求めるのも難しかっただろう。
宿屋のベッドに寝かされたレイヴンは、ひんやりと濡れたタオルを持ち上げて身を起こした。天井から下がった視界に、仲間たちの姿が入り込む。
「大丈夫?まだ顔色悪いけど」
ベッドの隣にエステルと椅子を並べて座っていたカロルが声をかける。
「はは、大丈夫よ。心配してくれてありがとね、少年」
「ならいいけど。じゃあ後はエステルのこと、どうするか考えないとね」
「すみません・・・」
カロルの言葉に頭を下げるエステル。
「エステルは悪くないよ」
「そうよ。夢遊病なんて、原因がわからなくちゃ自分でどうこうできるもんじゃないんだから」
カロルとリタの言葉に、エステルは困ったような顔のまま少し微笑んだ。
「その夢遊病とやらには、いつ気付いたの?私もリタも一緒の部屋で寝ているけれど、あなたが動いているなんて気付かなかったわ」
「あたしも・・・それはちょっと変ね。扉を開けたりすれば気付きそうだけど」
ジュディスの言葉に頷き、首を傾げるリタ。
「気付いたのは今朝なんです。扉を開けてはいないと思います。あまり動いていなかったから、二人とも気付かなかったんじゃないかと・・・」
「あらそう。じゃあ、今夜レイヴンにきつく縛ってもらって様子を見る?」
「何で俺様なのよ。ジュディスちゃんがやればいいじゃない」
「私は突くのは得意だけど、縛るのは得意じゃないもの」
「何で俺様が縛るの得意って認識になっちゃってんのよ。獲物で言うならリタっちでしょうが」
「何言ってんのよ!あ、あたしにエステルを縛るなんて、で、できる訳ないでしょ!」
「リタ、ちょっと嬉しそうだね」
余計な一言を発したカロルは、リタの拳によってベッドに顔をめり込ませた。少しばかり痙攣した後、動かなくなる。レイヴンがベッドから出て、代わりにカロルが寝かされた。エステルの見立てによると、暫く寝かせておけばいいらしい。
「リタっちがだめなら、青年がやりなさいよ」
「・・・いいのか?」
「へ?」
ユーリが真剣な顔で尋ねてくるので、レイヴンは思わず間の抜けた声を出してしまった。
「エステルがいいなら俺は構わないぜ」
「私はぜひお願いしたいです。これ以上、皆に迷惑をかけたくありません」
深刻な顔で言うエステル。レイヴンの頭に、先ほどのユーリの言葉が繰り返される。いいのか、本当にこれでいいのか。いや、いいはずだ。意識を手放したくなるほど、自分はそれを拒否したかったはずなのだから。
悶々と考え込んでいたレイヴンがふと顔を上げると、片方の口の端を釣り上げたユーリと目が合った。しかし、その視線はすぐにそらされ、エステルへと向けられる。
「じゃあその前に、聞いておかないとな」
「何をです?」
「具体的にエステルが何をしてたのか、だ。起きてから何か異変があったから、夢遊病だと思ったんだろ?」
確かにそのことを聞いていなかった。ただ縛って様子を見るより、状況を把握して原因を探るなど、できることは他にもある。
「はい・・・あ、朝起きたら・・・枕元にあったバッグが開いていて・・・中に入っていた食べ物が、ほとんどなくなっていたんです・・・!」
『・・・!?』
息をのむ面々。まさか。
「わ、私、寝ている間にっ・・・皆の食べ物を勝手に・・・すいません・・・!」
「し、仕方ないわよっ。すっごくお腹が空いてたんでしょ」
「静かに食べてたら、私たちでも気付かないかもね」
涙ぐむエステルに、リタとジュディスが言う。
しかし、ユーリはこの状況でもただ一人余裕の表情を崩さなかった。ラピードはどう思っているのか、レイヴンにはよくわからない。
この男は何か知っている。そうレイヴンは思った。そしてやはり。
「エステル、それならお前は夢遊病じゃない」
「・・・え?」
「その食べ物は、そこで伸びてる先生が持ってっただけだ」
「・・・・・そ、そうなん、です?」
「ちょっと待ってよ!それならいくら何でもあたしたちが気付くでしょ!」
「お前たちはもう部屋からいなかったんだよ。カロルが部屋に行ったのは、お前たちが出てきた後だ」
「そう言えば、カロルが朝食の食材が足りないって言ってたわね」
それはレイヴンも聞いていた。そしてカロルは荷物を見てくると言って、ラピードと共に宿の二階へと上がっていったのだ。ちなみに彼らが今いるのは、自炊できる宿である。
「じゃ、じゃあ、私が寝ながら食べちゃったんじゃないんですね・・・!」
「ああ。カロルが言ってたぜ。荷物を漁っても全然エステルが起きなかったって。疲れてるんじゃないかって心配してたぜ」
「・・・よ、よかったです・・・」
エステルはへなへなとベッドへ突っ伏してしまった。ラピードが珍しく彼女を励ますように鼻先を寄せる。
彼女を縛らずに済んで本当によかったと、レイヴンも心から思った。