呼出
宿屋の食堂でいつものように仲間たちと夕食を共にした後、部屋へひきあげようとしたレイヴンはふと足を止めた。仲間たちは気付かず、または気にせず先に進んでいく。
「後で、お話があります」
レイヴンの上着の袖口を細い指先で摘んだエステルが、小さく囁く。その表情は随分と思い詰めているように見えた。
□■□
皆が寝静まった頃を見計らい、レイヴンは一人で宿を出る。ユーリやラピードは恐らく気付いているだろう。自分が宿を抜け出すことは日常茶飯事なのて、大して気にしていないだけで。
エステルの話とは何なのか、歩きながら推測を巡らせる。天を射る矢の幹部だとバレたか。もしくは騎士団隊長首席だとバレたか。様々な可能性をあげ、どう誤魔化すかを決めていく。面倒な事この上ない。
どうせなら愛の告白でもしてくれればいいのに。
エステルの性格ではまずあり得ない状況に、思わず自嘲気味な笑いが漏れた。清廉潔白なお姫様が、胡散臭い上に中身も汚れきった自分に好意を寄せるなどあり得ない。例えあっても気の迷いだろう。
そう、ただの気の迷いだと言って終わらせられる。正体を誤魔化すよりずっと楽だ。
溜め息を吐いて上を見上げると、無数の星が瞬いていた。今夜は月も雲もないらしい。
声をかけられた時に指示した場所へ向かうと、エステルは先に着いていた。こちらの姿に気付き、頭を下げてくる。
「よ、嬢ちゃん。待たせたな」
「いえ、大丈夫です。私こそ突然呼び出してすみません」
この言い方だと、恐らく結構待ったのだろう。まだそれほど寒くはないが、これで風邪をひかれたら寝覚めが悪い。風邪をひいた原因を仲間たちに問い詰められる可能性もあるだろう。レイヴンは上着を脱ぐと、エステルにふわりとかけた。
「えっ、あ、あのっ」
「気にしないでー。あ、もしかしておっさん臭くて嫌?」
「い、いいえっ」
ぷるぷると頭を振るエステル。気遣いなのかもしれないが、とりあえず信じることにする。
「ありがとうございます」
律儀に頭を下げてくるエステルに、いいのいいのと頭を上げさせた。
「んで、話ってなんでしょ?愛の告白?」
先ほど考えていた第一希望を振ってみたら、エステルの顔がみるみる赤くなった。まさか本当にそうなのか。
「えっ・・・!?っち、違います・・・!」
「あらそうなの、そいつぁとっても残念ねぇ」
レイヴンのもう失われた心臓があった場所が、何故か少し締め付けられた。本当に期待していたのだろうか。この少女から好意を寄せられることに。まさか。
「嬢ちゃんがおっさんのこと好きになってくれたら、何でもしてあげちゃうんだけどなぁ」
思い付くままに軽口を叩く。いつも通りに。エステルはまだ赤面したまま、あわあわと口を震わせている。レイヴンのような無礼な態度ではない男たちに、言い寄られたことはないのだろうか。彼女の境遇では社交の場にも出ていないのかもしれない。
「真っ赤になっちゃって、可愛いわねぇ」
笑いをかみ殺しながら言うと、震えていたエステルの口元が膨らんだ。もしやこれは。
「か、からかうのは止めて下さいっ」
「怒っちゃった?ごめんごめん、冗談よ」
「・・・どこまでが冗談なんです?」
「え、ああ、可愛いと思ったのは本当」
「ああ、とか言われて信じる訳ないじゃないですか」
「いやいや、いつも可愛いと思ってるわよ」
「わざわざ慰めてくれてありがとうございますっ」
ぷいとそっぽを向くエステル。いつもより幼い仕草にまた笑みが零れた。
「いえいえ、どういたしまして」
ジト目でこちらを見やったエステルが、軽く溜め息を吐く。どうやら許してくれるようだ。
「ところで、お話したいこと・・・と言うか聞きたいことがあります」
どうやら本題に入るらしい。赤くなった頬はまだそのままだが。
「はいはい、どーしたの?」
「え、ええっと・・・その・・・」
何故かエステルは、それこそ告白でもする気ではないかと言うほど頬を染め、もどかしそうに身を捩っている。これで愛の告白を期待しない方がおかしい。何故かまた苦しくなる胸の内を無視するべく、レイヴンは息をのんで彼女の言葉を待った。
「・・・れ、レイヴンは・・・好きな女性とか、いるんです・・・?」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
「・・・・・やっぱり愛の告白よね?」
「っち、違います!」
「え?何がどう違うの?俺の常識がおかしいの?」
「はいっ、おかしいです!」
「ええ?俺の常識全否定?これでも結構長く生きてるんですけど」
「長生きかどうかは関係ありません!こ、告白じゃないったらないんです!」
何故か真っ赤になって否定してくるエステルに、そう言うものなのかと言う気もしてくる。まあ、ちょっと一緒に旅をしただけで、それほど親密にもなっていない間柄なのだから、告白ではない方が普通なのだろう。彼女の態度はともかくとして。
「あー、じゃあ告白じゃないとして、嬢ちゃんはおっさんの好きな女性が知りたいと。告白じゃないけれど」
「は、はいっ、告白じゃないけれど知りたいです」
「どして?」
「えっ、ええと、それは・・・ちょっと・・・言えません・・・すみません」
消え入りそうな声で謝られた。ここで駄々をこねて教えないと言うこともできるが、すでに彼女の瞳は潤んでいる。自分が理不尽な要求をしていることに申し訳ないと思っているからなのか。これ以上エステルを泣かせるのは気が引けた。
「うーん、じゃあ特別に教えてあげる」
「っい、いいんです・・・!?」
「いいわよ」
「あ、ありがとうございます・・・!!」
また頭を下げるエステルの両肩を掴んで、強引に頭を上げさせた。彼女に首を垂れさせるのはどうも落ち着かない。
エステルの瞳を見つめ、苦笑交じりに口を開く。
「おっさんの好きな女の子はねー、まず年の頃は18くらいで、髪の色はピンクで、華奢な見た目の割りには結構強くて、困ってる人を見捨てられなくて、今もこうして誰かに頼まれておっさんの好きな相手を聞き出そうとしている子」
エステルがぽかんとした顔で硬直した。さすがに露骨過ぎただろうか。
「っ・・・・・え・・・っそ、それって・・・あのっ」
「んー?もう十分教えてあげたでしょ。さすがにこれ以上は恥ずかしくて言えないわ」
色々含んだ笑みを浮かべてウインクしてやると、エステルがますます顔を赤らめた。
「あああ、あのっ、それも、冗談です・・・っ!?」
「さーあ?これ以上は言えないって言ったでしょ」
「ええ、で、でもっ」
「冗談かどうか、頑張って考えな。嬢ちゃん」
身を翻し、先に宿屋へ戻ることにした。これ以上は長引かせない方がいい気がする。
「っほ、本気にしますよ・・・!」
背中からかけられた声に、思わず肩が震えた。が、何とか振り返るのは耐えて、片手をひらひら振るだけに抑えた。
彼女がどうするのか、レイヴンにはわからない。例え好意を向けられても、ただの気の迷いだと説得するだけだ。自分には彼女の好意を受け止める資格はないのだから。
「なら最初から思わせぶりなこと言うんじゃねーよ」
そんな一人ツッコミは、星空の中にむなしく消えた。
□■□
後日、ピンクのカツラをかぶったオカマバーの店員たちが大挙してレイヴンに押し寄せた。あの時強引にでも相手を聞き出しておけばよかったと後悔したのだが、それはまた別の話である。